第22話

「何ですかー。何がはいはい何ですか?」


 と、牧那は目元をにっこりと細めて、こちらを伺った。


「どうでもいいだろう。どうしてこんなところにいるんだ、お前。とうの昔に授業は始まってるぞ」

「それは先輩も一緒じゃないですか。先輩こそ、どこに行こうとしていたんですか」

「俺は‥‥‥」


 足止めをくらったままでは目的地にたどり着けない。


「職員室に用があるんだ。でも二年の職員室な。お前には関係ないだろ」

「そうですね。牧には関係ないかも」


 牧? どういう意味だろう、と突然飛び出したその単語に、抱介は首を傾げる。

 少し考えてそれから彼女の名前が『牧那』だったことを思い出す。


 自分のことを名前で呼ぶ女か‥‥‥。

 それもフルネームじゃなくて、牧、だけ。


 まき、ね。


 このまま関係を続けていたら、いつの日か自分にもそう呼べ、と彼女が言い出しそうな気がしてきて、抱介は顔をしかめた。


「どうかしました?」

「いや、自分のことを名前で呼ぶやつはあまり好きじゃないから」

「えっ、軽くショックなんですけど」

「もっとショックを受けてくれていいよ。俺には関係ないことだから」


 もしも姉の方まで、自分のことを名前で呼ぶような、そんな女だったら。

 この妹の方がまとわりついてくるだけで、嫌な記憶が呼び覚まされてしまいそうで、そうじゃなくてよかったとほっと一息をつく。


「先輩ー、つめたーいい」

「冷たくていいから、廊下で大声出すな。先生に聞こえたら、俺まで注意を受けるだろう」

「へへっ。それを狙ってやってるんです」

「こいつ‥‥‥」


 一歳年下の少女に、ものの見事にからかわれてしまった。


 それでも苛立ちというか、怒りに似た感情が沸き起こってこないのは、彼女の人懐っこい大きな瞳のせいかもしれない。

 好奇心旺盛でこっちがなにかを言おうとしたら、その都度、ブルーグレーのカラコンが入った瞳がくるくると、あっちを見たりこっちを見たり、激しく動き回ってせわしない。


 かといって落ち着きがないわけじゃなく、小柄なくせに、何十年も生きた独善的な老婆のような、なんだこの感覚は。


 どう表現していいか、語彙が出てこない。


「うち、もう職員室は行ってきましたから。先輩のお供もできますよ」

「はあ?」

「ほら、これ」


 と、牧那がブレザーのポケットから取り出したのは、自習を許可する一枚の書類だった。

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