第16話

「抱いたよねえ? まだ入ってるし。元気」

「……どうしろと?」

「ね、気持ちよくなかった? わたしは良かったよ?」


 季美の目が細くなる。

 半分ほどに細められる。

 飢えた獣が獲物を捕まえて食べることを決めた時のような、そんな冷たい目だった。

 ぞわり、と抱介の背筋を恐怖心が走り抜ける。


 ……ヤバイ。

 恐怖心は何も肉体的なものだけではなくて、精神的な、社会的な楔となってしまい、永遠に季美という名前の港から出してもらえないような。

 抱介という名前のボートはずっとその波止場に係留されたまま、放置されてしまいそうな。


 船の上には抱介だけが孤独にいて季美を待っている。

 でも季美は彼を抱擁して抱き締めたまま、どこにも行かせてくれない。

 彼女はどこにでも好きなだけ外出して、どんなやつだって遠慮なしに引き連れてさっさと手放すのに。

 自分だけはそうさせてもらえない。


「俺も……」

「俺もー? なにかなー? 女の子がっかりさせたりしないよねー?」


 答えはもう決まってるでしょ?

 季美は目でそう告げていた。

 それ以外の答えは認めないと、そんな目だった。


「分からないよ。初めてだ」


 抱介はそう言い、目を逸らした。

 同時に思い出す。

 初めて会った頃、とはいってもあれから数週間しか経過していないけれど。


 季美、お前。

 中古品になったのか?

 そう問いかけようとして、それは言葉にならない。


 抱介の喉の奥に詰まってしまったようになり、出てこなかった。


「へえー、そっか」

「お前だって」

「私? まあ……うん。良かったからいいじゃない、ね?」


 うまくごまかされたような気がする。


「大好きだよ、抱介」


 抱き締められた。

 季美の豊満な胸が迫ってきて、その片方に抱介は引き寄せられる。

 突起の先に吸い付くようにして歯を軽く立てたら、くぐもった声がした。


「離れないでね」

「ん……」


 もう一度、強く吸い、それから歯噛みしてやる。


「っ――!」


 季美が切なそうな声を上げた。

 見ると目を閉じてその感触を味わっていた。


 もう駄目なんだろうな。

 俺はまともじゃなくなったんだな。

 と、抱介は恨みを込めて大きく口を開くと、牙を突き立てる。


 それは血がにじみ出るようなものではなかったけれど――季美が痛みを耐えようとする顔をしたから見上げたら、少しだけ心が癒される気がした。


 ある意味、特別で。

 ある意味、どうでもいい。


 そんな存在に堕とされてしまった気がして、少年はいま最高の快楽と心の中で彼女を勝ち取ったという余韻に浸るべきはずなのに、それができないでいた。

 ……ここに来たのは人生で最高の失敗になるかもしれない。


 最大じゃなく、最低でもなく、最高の失敗。


 ここから先は、どんなに足掻いても――季美が自分の心から消えることはない。

 そう心のどこかで実感できた。

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