犬の日


 好きな人を笑顔にしたい。


 たしか、小学生の頃。

 お袋に話した、俺の将来の夢。


 それを聞いて。

 珍しく優しい笑顔を浮かべたお袋が。


 頭を撫でてくれたことを。

 鮮明に覚えている。



 でも、俺にはそれから。

 好きな子どころか。

 友達もできなかったから。


 こうして、当時の想いが。

 変わらないまま今の俺を動かす。



 ……そう。

 当時の想い。


 笑顔にさせることと。

 笑わせる事の区別もつかなかった、その時の気持ちのまま。


 俺は今日も、秋乃を無様に笑わせるために。

 こうしてネタを鞄から出すんだ。




 秋乃は立哉を笑わせたい 第18笑


 =好きになったあの子を笑わせよう=




 ~ 十一月一日(月) 犬の日 ~

 ※鶏鳴狗盗けいめいくとう

  つまらんことしかできん人。

  あるいは、つまらんことでも

  何かの役に立つこと。



 多分。

 そう、多分。


 俺はこいつのことが好きで。

 こいつは俺のことが好き。


 一か月間考えに考えて。

 前者について答えを見つけたその直後。


 後者についても。

 その答えを教えてもらった。



 だが、だからと言って。

 早急に関係を書き換えることは怖い。


 きっとこいつは。

 ずっと同居してるこいつは。


 そう感じているんだろう。


「…………同居の方が急展開だと思うんだが?」

「な、何の話……?」


 飴色のサラサラストレート髪を揺らしながら。

 俺に振り向くこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 きっと今告白したところではぐらかされる。

 そう、俺の中に書き込まれて来たこいつの反応が予測されて脳裏に浮かぶ。


 だが、いつになったら受け入れてくれるのだろう。

 それまで俺はどうしよう。


 悶々と週末を過ごし。

 俺は一つの答えに行きついた。



 初心忘るべからず。



 俺は、秋乃を無様に笑わせたその時。

 告白することにしよう。


 決意も新たに。

 板書を始めた先生の目を盗み。


 鞄からネタを取り出す。


 二個セット、千とんで八十円。

 犬用の、骨のおもちゃ。


 こいつで無様に笑わせてくれる!


「……おい、夏木」

「ん? なあに、保坂ちゃん?」

「おまえんち、犬飼ってたよな」

「なにそれ、ゴムの骨? くれるの?」

「欲しいか?」

「うーん。喜ぶかな……」


 授業中だというのにお構いなし。

 俺の話に普通に受け答えするとは。

 さすがは聞け子。


 そして俺たちの会話が先生に聞かれやしないかと。

 秋乃はわたわたし始めた。


 よしよし、丁度いい。

 俺は二本のうち一本を秋乃に渡して。

 わたわたを加速させながらきけ子と話を続ける。


「なんだ、喜んで欲しがると思ったのに」

「二人いるんだけど、一人にはでかすぎるし、一人にはちっちゃすぎるのよん」

「そうなのか。でかいって、どれくらい?」

「セントバーナード。小学生の頃は乗れたのよ?」


 今も乗れるだろ。

 そう突っ込みたいのを我慢して。


 俺は無駄話を引き延ばした。


「小さい方は?」

「チワワ」

「何て名前なんだ?」

「ゴビ」


 …………なんでゴビ?

 じゃあ、セントバーナードの方は。

 サハラなのか?


 下らない想像をしながら。

 先生の方を見ると。


 ようやく板書を終えて。

 こっちに向き直したところ。


 よし、もうちょっとだ。

 話を引き延ばさねえと。


「じゃあ、でかい方の名前は?」

「鳥取」

「うはははははははははははは!!!」


 こらきけ子!

 お前が俺を笑わせてどうする!


「こらお前ら! 何をしている!」


 予定とは違ったが。

 結果は同じ。


 待ちに待っていた先生の雷が落ちた瞬間。

 俺は秋乃に命令した。


「秋乃! 隠せ!」


 俺の言葉に。

 わたわたが加速して、てんてこまいになった秋乃。


 その肩を、トントン叩いて振り返らせると。

 待っていたのは、骨のおもちゃを縦に半分まで咥えて隠しきれずに。

 間抜け面をさらした俺。



 ……の、目に映った。



 骨を横に口に入れて隠したカッパ。



 すぽんっ!



「うはははははははははははは!!!」



 なんて顔してるんだお前!

 ちきしょう、また負けた!

 

 でも、どうしてだろう。


 俺が大笑いすると、視線が集まって。

 何人かが秋乃を見て吹き出すのが普通なんだけど。


 今日は静かなまんま。


 いつもと違う状況のせいで。

 ようやく全員が先生の方を見てひきつっていることに気が付くと。


 先生は、赤くなったおでこを押さえて。

 怒りのあまりプルプル震えながら。

 おもちゃの骨を摘まんでいた。


「げ」


 そして骨を。

 窓から思いっきり外に放り投げると。


 静かな声で。

 俺に命じたんだ。


「取ってこい」

「…………わん」



 今日、俺は珍しく立たされなかったわけだが。

 その代わり。


 校庭から教室の往復の間。

 二本足で立つことを許されなかった。



 ちきしょう。

 明日は絶対笑わせてやる!

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