11月22日『泣き笑い』
あの日の心細さだけは、今でもよく覚えている。
ある朝目覚めたら、そこは私の部屋ではなかった。
目の前には三十歳ぐらいに見える、知らない男性。状況が分からず、私のものでないベッドの中で不安になっていると彼は冷たい表情で口を開いた。
「×××、××××」
話しかけられているのは分かったが、知らない言語で理解できなかった。私がどう返答するべきか困っていると、
「あぁ、そっか。こっちの言葉なら、分かる?」
「あ、はい。あの、あなたは誰ですか?ここは私の部屋ではないようですが……。お父さんとお母さんは?」
彼との会話が成り立ったことに多少
「君の両親は、事情があって君と暮らせなくなった。僕は、君の両親に頼まれて君を預かることになったんだ。僕の名前はラビン。魔法使いをしている」
「…………。そう、ですか」
「君は今日から僕の弟子だ。と言っても形だけの弟子だけどね。君、名前は?」
「ティア、です」
「そうか。ティア、もう分かっているかもしれないけれど、ここは君のいた国ではない。この国の公用語はこれから教えてあげるけど、なるべく早く覚えてくれ」
「……分かりました」
「それと、僕は君に魔法を教える気はないから。もし覚えたいのなら、僕をよく見ているんだね。家事もできる範囲は自分で済ませるように。まぁ、怪我されると困るから、食事だけは僕が用意するよ」
「……。はい」
私は今日からこの人の弟子らしいが、それは形式上のようだ。表情だけでなく雰囲気も冷たいこの人の元で、私はやっていけるのだろうか。
俯きながら、小さく頷いて返事をした。お父さんとお母さんから貰って、ネックレスにしていた鍵を握りしめた。
突然失った日常に泣けるものなら泣きたかった。でも、涙は一滴も出てこなかった。
◆
お父さんとお母さんを思い出すと悲しくなるので、鍵のネックレスはラビン師匠に預けた。そして、師匠にこの国の公用語を習い、日常会話に困らなくなった頃。私は村の初等学校に通うことになった。洋館から村の初等学校まで、週五日通う日々が始まった。
年齢で区切られた学級に転入したけれど、母国で家庭教師をつけてもらっていたのが幸いし、授業や学習面では困らなかった。
問題は……、同級生との交友関係だった。村に住んでいない、季節外れの転入生で、しかも魔法使いの家で生活している私。悪い意味で目立つ存在だった。
クラスの男の子達には、すぐに標的として認識されて休み時間の度にからかわれた。そんな私と仲良くしたがる女子生徒もいなかった。クラスの、というよりも学校の中で浮いた存在。
学校も、師匠のいる家も、私にとって居辛い場所だった。
「おい、ティア。お前って魔法使いと一緒に、あのおばけ洋館に住んでるんだろ?……ってことは、お前も魔法使えるの?……使えるわけねーか!あはは!」
クラスで一番嫌がらせをしてくる男の子、ノルア。彼はなにかにつけて、私をからかってくる。
「お前、お父さんとお母さんいないんだろ?ずっと黙って俯いてるし、暗いから捨てられたんだな!」
この一言で、今までずっと我慢していた何かが、切れた。
◆
学校から電話がかかってきた。ティアの保護者としての呼び出しだったようで、急いで村の初等学校まで出向いた。
放課後の学校は生徒も少なく、応接室へ通された。そこには髪はボサボサで頬は引っ掻き傷だらけの、冷ややかな表情のティアと、同じような身なりで泣きじゃくる男の子がいた。この子はたしか、クリーニング屋の長男だった気がする。
ティアのクラスの担当教諭が頭を下げて説明した。常日頃からティアをからかっていたノルアやクラスの男子生徒に、いつもは無反応だったティアが今日は激怒したらしい。
ティアとノルアで派手な取っ組み合いの喧嘩になり、大騒動になったそうだ。
説明を受けている間に、クリーニング屋の中年夫婦がやってきた。同じように話を聞くと、母親は迷うことなく息子の頭に
「あんた、また女の子いじめてたのかい!?あれだけ優しくしなさいって言ってたのに……!ティアさん、ラビンさん、うちの
家族揃って頭を下げられたが、ティアはまだ冷ややかな表情のままだった。ぶっきらぼうな口調でティアは話す。
「別に、もういいです。いつもの仕返しをしただけだし。……私がお父さんとお母さんと暮らしていないのも、事実だし」
ティアは、怒鳴ることもなく涙を流すこともなく、ただ淡々と話した。
……形だけの弟子とはいえ、ティアが嫌な思いをしていたと知って僕は不愉快だった。
脅しになるかは分からないが、僕はクリーニング屋の息子に黒い笑みを向けた。
「ノルア君、だっけ。君が手を出したのは、深淵の魔法使いの弟子だ。僕が深淵と呼ばれている意味を、君のご両親からよく教えてもらうといい」
学校からの帰り道、ティアと二人で洋館まで歩く。
「ティア。あのクリーニング屋の息子になんて言われたの?」
ティアはしばらく答えるか迷っていたが、
「……私が、暗い子だから、お父さんとお母さんに捨てられたんだろうって」
「なるほどね。……ティア、君は両親に捨てられてなんかいない。事情があって一緒にいられないけれど、いつか二人のところに帰れるよ。僕が保証する」
ティアの頭を撫でると、
「ティア、君が覚えたいのなら……。魔法のこと、教えてあげるよ」
「ひっく……、ぐすっ……。え?ほんと、ですか……?」
「うん。気が変わったから」
ティアは、いつかは自分の国に帰れるだろう。ただ、それは何年先になるか分からない。いずれ彼女が自身で生計を立てられるように、そのために何かできるとしたら。僕が教えられるのは魔法ぐらいだ。
「魔法のこと、覚えたい、です」
「分かった。明日から少しずつ教えてあげるよ。だから、そろそろ泣き止んで。ティアが泣いていると君の両親が知ったら、僕が怒られてしまうから」
困ったように僕がそう言うと、ティアは「はい!」と泣きながら笑った。
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