11月15日『おやつ』

 朝食後、僕は少し仮眠を取ることにした。リビングのソファーでうとうとと微睡まどろんでいるうちに、いつしか熟睡してしまった。眠っていたのは小一時間ほどだろうか。

 起きた時には、ローテーブルにティアからの置き手紙があった。



 ラビン師匠へ。

 昨夜お伝えした通り、今日は村のヘレナおばさんのところへ行ってきます。夕方には戻る予定です。冷蔵庫に昼食があるので、温めて食べてください。

                             ティアより



 ……そうか。そういえば、昨夜ゆうべそんな話をしたな。冷蔵庫を開ければ、ティアが用意したお弁当箱があった。

 今頃、ヘレナさんの家でキッチンに立っているであろう彼女の姿を思い浮かべる。自然と口元が緩んだ。


「僕の弟子は、今日はどんな料理を覚えてくるのかな?」



   ◆



「え?クッキー、ですか?」

「そう。たまにはお菓子作りもいいかと思って。どうかしら?」


 ヘレナおばさんは、村で料理教室を開いているほど料理が得意。私は毎月一回、おばさんに料理を教わっている。特別に、一対一での個別指導である。


 今日も、いつものようにヘレナおばさんの家を訪ねると、キッチンには計量済みの材料が並んでいた。


「私、お菓子は……。食べるのは好きだけれど作ったことは……」

「大丈夫。今日、用意した材料で作るのは基本的なプレーンクッキーよ。初心者でも上手にできるわ」


 ニコニコと、笑顔のヘレナおばさん。おばさんは毎回、親切丁寧に色々な料理を教えてくれる。

 お菓子作りは初めてで、不安もあるけれど。


「おいしいクッキー、作れるようになりたいです。よろしくお願いします!」




 お菓子作りの基本は材料を正確に計量すること、らしい。


 私はメモを取り、時折質問もしつつ、ヘレナおばさんと一緒にクッキーを作った。材料を少しずつ混ぜ、冷蔵庫で寝かし、生地を麺棒で伸ばす。


「型抜きクッキーにしましょう。好きな型を使ってちょうだい」


 おばさんがそう言って持ってきたのは、ステンレス製の型。それも、たくさん。


「わぁ!色んな形がありますね!」

「大きな街へ買い物に行った時や旅行先で見つけて、ちょっとずつ集めてみたの。でも、買い過ぎ、ね。よかったら後で少しプレゼントするわ。新品でなくて申し訳ないけれど」

「いいんですか?ありがとうございます」


 クッキー型なんてあの洋館いえにはないから、有り難く頂くことにした。

 型抜きをしたクッキーを、予熱したオーブンで焼く。焼けるのを待つ間、使った物を片付けながらヘレナおばさんとお喋りする。私は洗い物担当だ。


「ティアちゃんも手際が良くなったわねぇ。以前の、たどたどしい手つきが懐かしいわぁ」

「あー、あれは……。師匠に弟子入りするまで、包丁握ったことすらなかったので……。あはは、お恥ずかしいです」

「恥ずかしがることないわ。あの頃、ティアちゃんはまだ幼かったもの。ラビンさん、今はティアちゃんのおいしい手料理が食べられて幸せでしょうね」


 ヘレナおばさんは微笑ほほえみながら、拭いた調理器具をしまっていく。私は洗い物の手を止めずに、「どうでしょうね」と呟いた。


「師匠は、いつも食事は残さず綺麗に食べてくれるし、おいしいと言ってくれるけれど……。あの人が幸せかどうかは、私には分からないなぁ」

「そう、ねぇ。本心はラビンさんにしか分からない、か。でも、昔に比べたら……。ラビンさん、楽しそうよ」

「楽しそう?」


 オウム返しにたずねると、ヘレナおばさんはどこか遠くを見ながら話してくれた。


「ずっと前、ティアちゃんがあのお家に来る前のことよ。村から離れた洋館に引っ越して来たばかりの頃のラビンさんは、冷たい空気をまとっていたわ。ラビンさんが作る薬はよく効くから、村の人もその点では頼りにしていたの。けれど、それだけ。お互い深く関わろうとはしなかった。私も、ね」

「……そうでしたか」

「あなたが来てから、ラビンさん変わったわ。鋭かった目がだんだん穏やかになって、私達にも笑顔を見せるようになったもの。今のラビンさん、昔よりも楽しそうよ。……あ、ごめんなさいね。お師匠様のこと、悪く言って」

「いえ、気にしないでください。だって……。私も、最初は師匠が怖かったから」

「そう」


 話が途切れたところで、家庭用オーブンのブザーが鳴った。開けるとクッキーは良い色に焼き上がっていて、甘い匂いがキッチンに広がった。



   ◆



「師匠ー!戻りました〜!」


 昼過ぎ、私は帰宅した。師匠はキッチンでお弁当箱を洗っていたようで、「あれ?」と手を拭きながら疑問符を浮かべている。


「ティア、もう帰ってきたのか。夕方になると思っていたよ。お昼ご飯は?」

「ヘレナおばさんの家で頂いてきました。これ、午後のおやつには早いけれど、師匠と一緒に食べようと思って」


 手提げ鞄から借りてきたタッパーを取り出す。中身はもちろん、


「……クッキー?」

「そうです。おばさんと一緒に作りました!」

「へぇ。おいしそうだ。ちょっと味見させて」


 師匠はクッキーを一枚ひょいとつまむと一口かじった。


「あぁ〜、つまみ食いされた!」


 私の文句にも動じず、師匠は二口、三口、とクッキーをペロリと食べた。


「うん、甘くておいしい。食感も良いね」


 満面の笑みを浮かべる師匠に、「仕方ないなぁ」と私は呆れて苦笑いするのだった。

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