11月13日『うろこ雲』

 今日はラビン師匠と花壇の手入れをしている。


 花壇、といっても植えられているのはほとんどがハーブ。朝晩はめっきり寒くなってきたので、ハーブも冬支度が必要だ。

 耐寒性があるものとないものと、それぞれに合わせて手を入れる。園芸用ハサミで地際まで刈り込んだり、花壇から植木鉢へ植え替えたり。いくつかの植木鉢は、ガラス張りのサンルームへと運んだ。それほど広くないサンルームは植木鉢でいっぱいになった。


「師匠、こっちは片付きました」

「ご苦労様。僕の方も終わったよ」

「じゃあ、お手入れはこれでおしまいですね。そろそろお昼ですし、昼食を用意します」

「うん、頼むよ。うろこ雲が出ているし、今日のうちに冬支度が済んで良かった。二、三日の間に雨が降るだろうからね」


 師匠の言葉通り、空にはうろこ雲が広がっている。


「ちなみに午後はどうします?」

「そうだなぁ。特に予定は無いけれど……。あ、そうだ」


 うろこ雲を見上げて、師匠は言う。


うろこで思い出した。久しぶりにあいつを呼んでみよう」





 漆黒の鱗に、大きな翼、頭部には二本角にほんづの

 午後、裏庭のひらけた場所に師匠が召喚したのは、


「ドラゴン!?」


 真っ黒のドラゴンだった。


「僕の使い魔の、黒曜こくようだよ」

「使い魔?師匠って使い魔いたんですか?初耳なんですけど」

「何匹かと契約しているよ。みんな気難しい性格だから、滅多に呼び出さないけれどね」

「気難しい奴で悪かったな」


 不機嫌そうに低い声がそう言った。


 ……え?


「ドラゴンが、喋った!?」

「おい、深淵。この小うるさくて阿呆な小娘はなんなんだ」

「あー、あはは。ふたりは会うの初めてだね。紹介するよ。この子はティア、僕の弟子」

「師匠!小うるさくて阿呆な、ってところ訂正してください!」


 私が噛みつくように主張すると、ドラゴン……、黒曜は鼻で笑った。うわ、嫌な奴!


 黒曜は「ん?はて、弟子?」と首をかしげ、師匠をしげしげと見つめた。


「深淵、またりずに弟子を取ったのか。この小娘もすぐ辞めるだろうに」

「まあ、色々と事情があってね」

此奴こやつはいつ弟子入りしたんだ?」

「ティアが弟子になったのは十年近く前だよ」

「十年、だと?」


 師匠の返答に黒曜は目をぱちぱちとまばたきさせて驚いているようだ。いや、ドラゴンを見るのは初めてなので、その動作の意味は正確には分からないけど。


「十年か、そうか。……涙は雫となりて波紋を広げる、だな。我があるじは半世紀の間にずいぶんと丸くなったようだ」

「あぁ、そうだね」


 しみじみと話す黒曜と、頷く師匠。何を言っているのか私には理解できず、置いてけぼり状態だ。


「で、今日は用件があるのか?」

「いいや。うろこ雲を見て、君の漆黒の鱗を思い出したんだ。ティアに会って欲しかった、というのはあるけどね」

「なるほど。では、我はもう帰るとする。この老いぼれをあまり呼びつけんでくれよ」

「分かってるさ。五十年後ぐらいに、また会おう」


 師匠が魔杖まじょうを軽く振る。黒曜の姿は徐々に薄れ、やがて消えた。


「師匠。涙は雫となりて……って、なんですか?黒曜が言ってた意味が分からなかったんですけど」

「あれはねぇ……。ざっくり言うと、ティアのおかげで僕が穏やかになったな、ってこと。僕、昔は冷たい雰囲気だっただろう?」

「んー、たしかに。弟子入りしたばかりの頃の師匠って、クールでドライな人だなーって印象でしたね」

「黒曜を前に召喚したのは半世紀前だから、きっと驚いたんだと思うよ」


 黒曜がいたところには漆黒の鱗が一枚落ちていた。師匠はコートのポケットに入れていた手袋を片手にはめて、鱗を拾い上げる。


「あいつは昔と変わらないな。人間は良くも悪くも変わるけれど」


 そう呟く師匠は笑っていたが、その顔はなぜか自身を嘲笑しているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る