11月11日『からりと』

 からりと乾いた風が吹く。


「よく晴れてるなぁ」


 屋上で洗濯物を干しながら、好天に感謝する。

 遠くの山々は紅葉していて色鮮やかだ。もう秋も終盤。そろそろ冬支度を始めなければ。


 洗濯物を干し終わってひと息つくと、


「ん?」


 ひらり、ひらりと、空から封筒が舞い落ちてきた。なぜ、と思って頭上を見上げれば、上空で鳥が円を描くように飛んでいた。あの鳥が運んできたのだろうか?


 鳥は二、三周、円を重ねるように飛ぶと、南の方へ去っていった。足元の封筒を拾うと、師匠宛の物だった。

 差出人は……、山染め屋と書かれている。また、師匠のご友人からかな。


「ラビン師匠〜。また師匠宛のお手紙が届きましたよー」


 洗濯かごを片付けてから、庭木の手入れをしていた師匠に声をかけにいった。

 師匠はガーデニング用のエプロンで手を拭いてから、手紙を受け取った。


「屋上にいたら封筒が落ちてきました。鳥が届けてくれたみたいです。誰かの使い魔ですかね?」

「どれどれ。あー、あぁ……。あいつからか……」


 師匠は封筒の差出人を確認すると、がっくりと肩を落とした。落胆しているようだ。


「どうしたんですか?」

「ティア……。面倒な仕事が入ったよ」

「いやいや、まだ封も開けてないじゃないですか。まずは中を確認しましょうよ」


 師匠は気重そうに、封筒の端をびりびりと手で破る。この前もそうだったけれど、雑な開け方だな……。


「……やっぱり」


 便箋びんせんの文章にサッと目を通し、師匠は再び落胆した。

 いつもはゆるい空気をまとい、のほほんとしている師匠が、こんなに気を落とすなんて。


「いったい、どんな仕事なんです?」

「山染め屋の仕事代行だよ」

「……はい?」


 このやりとり、なんか既視感デジャブ



   ◆



「これは見事な緑色だなぁ」


 師匠が呆れるように言った。


 私達は師匠の転移魔法で、我が家から北西にある山のふもとに来ていた。山といっても、それほど高い山ではない。師匠によれば、子供の足でも山頂まで登れるそうだ。

 登山道も整備されていて人の手が入っている山のようだけど、ぱっと見で広葉樹が多い割には木々が青々としている。


「あのー、山染め屋って?」


 詳しい説明もなく連れてこられたので、私は状況を把握できていない。


「山染め屋は僕の知り合いなんだけれど……。彼の仕事は山を紅葉させることでね。広葉樹を特殊な染料で染めていくんだけれど、あいつ、かなりの気分屋なんだよ。この山はあえて紅葉させずに染めなかったそうだが、山の精霊や神様からクレームが入ったらしい。あいつ自身は仕事をしながら南下してるから、僕に代行依頼がきたんだ」

「へぇ〜。山を染めるなんて、珍しいお仕事ですね」

「報酬はいいんだけど、それなりに骨が折れる依頼だよ……。はぁ。じゃあ登ろうか」

「え、登るんですか?」


 突然の登山宣言に、私は戸惑った。

 転移魔法を使う前に、動きやすい服に着替えるよう指示はされていたけれども……!


 師匠は平然と言う。


「うん、登るよ。転移魔法で上に行くと目立つからね。でも、山頂まで行かないと、あの魔法は使えないから」


 今度は私が落胆する番だった。



   ◆



 歩くのは好きだけど、山道を登るのは慣れていない私。師匠に先導され、途中で休憩を取りながら山を登っていった。お天気もいいし、登山日和ではある。

 登山道は歩きやすいように土が固められ、場所によってはウッドチップも敷かれていた。


 私が息を切らしながら歩いているのに、師匠は全く呼吸が乱れていない。師匠は普段そんなに体を動かしていないはずなのに……。

 私は若干、敗北感を味わった。


 道中で他の登山者とすれ違ったり、この山に棲む精霊達と出会った。山の精霊には挨拶をして、山頂を目指す。


「やっと……!着いた〜!」


 二時間ほどかけて、ようやく山頂までたどり着いた。見晴らしがいい、のは良いのだが、


「師匠。人、多くないですか?」


 小声で師匠にたずねる。

 山頂では登山者が思い思いに景色を楽しんでいて、写真を撮っている人もいる。身動きできないほど、ではないが、こんなに人がいては魔法を使いにくいのでは。


 魔法使い狩り、なんて昔の話だが、この国で魔法使いは珍しい存在。ここで魔法を使ったら、確実に注目の的である。


「分かっているよ、ティア。山頂標識のところまで行くからついてきて」


 山の名が書かれている山頂標識のところまで行くと、周囲の人がいなくなるのを待った。そして、誰も見ていないうちに、師匠は標識の根本に小さな麻袋をさりげなく置いた。


「よし、これでいい。下山するよ」

「え」


 まだ魔法を使っていないのに、師匠は来た道を引き返してしまった。私も慌てて後を追う。もちろん、山の木々はまだ緑色である。


 師匠に色々と質問したかったが、同じように下山中の登山者が前後にいたので何もけなかった。仕方なく黙々と歩き、麓に着いた頃には空が茜色になっていた。


「師匠?山の木、まだ緑色ですけど……?」


 周りに人がいないのを確かめてから、師匠に問う。師匠は背負っていたレザーリュックから魔杖まじょうを取り出しながら、


「大丈夫。これで準備は整ったから」


 師匠は魔杖を山頂の方に向けて、短く呪文を詠唱する。


「風よ、我が意のままに運びたまえ」


 山の上から、強い風が吹く。今朝、屋上で感じた、からりと乾いた風と同じような空気感だ。


「あ」


 山頂の方から木々の葉の色が変わっていく。赤や、赤茶、橙色、黄色など、木々は綺麗に色づいていった。


「さっき山頂に置いてきたのは、山染め屋が使っている染料を粉末状にした物だよ。風の魔法でそれを撒いたんだ。僕がやると山染め屋がやるよりは色ムラも多いけど、まあ及第点だろう」

「なるほど」

「あー、転移魔法と山登りに、広範囲魔法で疲れた〜。依頼も達成できたし帰ろうか」

「はーい」


 師匠は伸びをしながら言った。疲れたと言ってはいるが、その表情から疲労感は窺えない。


 ……私の師匠、体力おばけだったのか。

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