11月8日『金木犀』

 ラビン師匠にお使いを頼まれて、村の雑貨屋さんに一人で来ていた。


「ティアちゃん、おまたせ。ラビンさんが注文していた品だよ。お代は先にもらっているから、中身を確認してちょうだいな」


 顔馴染みの店主のおばさんに言われて、紙袋の中身を確認する。

 ペレット状の蜜蝋みつろうと、植物油のホホバオイル。うん、師匠から言われていた通り。


「大丈夫です。ありがとうございました」

「こちらこそ、いつも贔屓ひいきにしてくれてありがとうね。ラビンさんにもよろしく伝えておくれ」

「はい。分かりました」


 雑貨屋さんを出ると、しっとりと雨が降っていた。傘を持って来てよかった。店先の傘立てから小花柄の自分の傘を取る。

 今日の雨は、朝から降ったり止んだりだ。


 村を出て洋館うちへの道を歩く。途中で金木犀きんもくせいの並木道を通った。

 今年はこの金木犀、咲くのが早かったからか二回咲いたんだよなぁ。九月の上旬に一回、十月に入ってからもう一回咲いて、良い香りが二度も楽しめた。


 そういえば師匠と一緒に開花前の金木犀を少し集めたな。あれは、アロマオイルにすると言っていたけれど。そろそろできあがる頃だろうか。


「寒いなぁ……」


 傘を持つ手が冷たい。そして、両手が若干荒れている。

 最近空気も乾いているし、お肌の手入れをすればいいんだろうけれど。


「おばさんのところで、ハンドクリーム買ってくればよかったかな」


 今さら来た道を戻る気にはなれず、そのまま洋館へと歩いた。



   ◆



「師匠〜、戻りましたー」

「おかえり、ティア。雨の中悪かったね。温かい紅茶を淹れておいたから、手を洗ったら飲んでよ」

「ありがとうございます。あ、雑貨屋のおばさんが師匠によろしくって言ってましたよ」


 師匠に紙袋を渡して、洗面所で手を洗う。

 キッチンへ行けば、ダイニングテーブルにティーポットと私のマグカップが並んでいた。

 師匠は紙袋の中身を確認して頷いている。


「蜜蝋とホホバオイル、何に使うんですか?」

「ちょっと作りたいものがあってね。まずはお湯を用意するかな」


 珍しく師匠がキッチンに立つ。何を作るか興味があったので、私はマグカップ片手に師匠の隣で眺めることにした。


 最初は片手鍋に水を張り、コンロの火にかける。お湯が沸くのを待つ間に、小ぶりのビーカーにペレット状の蜜蝋とホホバオイルを少々注ぐ。お湯が沸いたら火を止めて、ビーカーを湯煎する。中身をスプーンで混ぜ続けると、だんだんと熱が伝わり、蜜蝋はやがて形を失い溶けた。


「粗熱が取れるのを待とうか」


 ビーカーを片手鍋から出して、台布巾の上へ。師匠は一度自分の部屋へ行って、遮光性のガラス小瓶を持って戻ってきた。


「よし、少し冷めたようだね。じゃあ、次はこれ」


 小瓶の中身を数滴、ビーカーへ垂らす。スプーンで軽く混ぜると、覚えのある香りがした。


「この香り……。金木犀?」

「その通り。消毒しておいたアルミ缶に中身を移すよ」


 ビーカーの中身が完全に固まる前に、平たくて丸い、小さめのアルミ缶に中身を注いでいく。しばらくすると、黄色と橙色の中間色のようなそれは、冷えて固まった。


「はい、これで手作りハンドクリームの完成だよ」

「ハンドクリーム?師匠、手が荒れているんですか?」


 私の質問に師匠は数回まばたきすると、こらえきれなかったように、クスクスと笑いをこぼした。


「ティア、手が荒れているのは君の方だろう。このハンドクリームは君に渡すつもりで作ってたんだけど?」

「え、そうだったんですか?というか、気が付いてたんですね。私の手荒れに」

「もちろん。それにティアが金木犀の香りを気に入っているようだったから、このアロマオイルで香り付けしたし、ね」


 普段はゆるい空気をまとっているのに、目敏めざとい師匠である。でも、その目敏さが少し嬉しかった。


 アルミ缶の蓋を閉めてから、師匠は缶を私の手のひらに載せた。


「ティア、水仕事を任せてしまってすまないね。いつもありがとう」

「いいんですよ。師匠に任せると時間がかかる上、悲惨な事になりますし」


 私の言葉に師匠は苦笑いした。


「ハンドクリーム、ありがとうございます。今度は私も一緒に作りますね」

「そうだね。一ヶ月ほどで使い切った方がいいから、来月また作ろうか」




 その晩、眠る前にハンドクリームを使ってみた。

 私の好きな、金木犀の良い香りに包まれて、とても心地よく寝入ることができたのだった。

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