一章4 黒髪幻想幼女・レイ

「シクシク、シクシクシク……」


 長い黒髪、ハーフアップの三つ編み。大切に髪を編まれたその姿のままで、うずくまっている。


 しくしく、しくしく、セミが鳴くように一定の間隔で、それでいて物悲しく。


「……んっ?」


 2階へとつながる階段の踊り場、真昼でも暗いそこを、気の抜けた顔をした海衣が通りかかった。


 透は兄貴とお話中、不知もそこに取り残されたまま……では、この泣き声は。


 不知がいつか話していた城のもう一人の住人、レイのものだった。海衣はこれが初対面。


 海衣がのぞきこむと、おでこをのせた膝を抱えて涙をこぼす、小さな一人の女の子。


「えっと……」


 海衣は困り果てるが、レイは海衣に気がつかず顔を上げることはない。


「シクシク、シクシクシク……」


(どうしようっ……)


「シクシクシクシクシク……」


(ううっ……)


「シク……」


「誰に泣かされたの! お姉ちゃんが助けてあげる!!」


 正義感を胸に閉じ込めておけず、海衣は奮起した。


「今日いるなんて、きいてない……私が、私がわるいんですぅッ……ごめんな、さいいっ……」


 途切れ途切れに、幼い少女は誰かに謝っている。


 ――今日いる――きいてない…………間違いない、この城でその条件に該当するのは、部外者の兄貴氏だけだ。


「なぬ!? 兄貴さんのせいで泣いてるの?」

「そうです、でも、私が悪いんですぅっ」


 涙ながらに、幼女はそう漏らした。


 泣かされているのに自分を悪とする、その健気さに海衣の胸は痛められ、火をつけた。


 兄貴が、小学生にも見える幼いこの子を泣かせた。


 そうと分かれば、海衣は許しておけない。すくりと立ち上がると、その勢いのまま兄貴と透が話すエントランスへ飛び込んでいった。



 守るべき小さい子への庇護欲と義憤だけが今の海衣を突き動かしている。


「叔父さ……兄貴さん! 小さい子を泣かせてどういうこと!!」


 唾を吐く勢いで海衣が問いただすと、


「あ? 誰のことだよそれ」


 透と会話をしていた兄貴は眉をしかめる。


「しらばっくれないで! 現に証言が……」


「だから誰のことだって」


「誰って……この城に住んでいるあと一人の」


 そこで透は海衣の言葉を遮るように、「なに言ってるの? この城には三人だけ」


「……この城には透と不知、それとお前だけだろう」


「え……でも」


 確かに、さっき存在したのに。


 透を見ると、なにやら苦しげな表情だった。


 兄貴も、海衣の見境無い言動に困惑している。


 夜の沈黙が、場を支配する。


 そしてようやく、海衣は自分の失態に気づいた。

 迸る感情のままに行動してしまったが、あの子からは何も聞いていない。


 幼い子どもは、自分が悪いと言っていた。まずは事情を聞いて、あの子を慰めるかなにか、手を差し伸べるべきだったのだ。


 ただ、海衣は出しゃばっただけだった。


「ごめん忘れて……」そういって、海衣はすごすごと引き下がった。


「あ、ああ……」



 気を取り直して海衣は階段の踊り場に舞い戻ると、

「もしかして……私のことが、見えているようですが」


 むくりと、女の子は顔を起こす。長い黒髪が髪に張りついていて、小学生くらいの小さな身体で海衣をじろりと見上げてくる。薄緑色の子供用入院着を着ていた。


「さて、どうしてくれましょうか。私を知ってしまったあなたは」


 地獄の底から響かせるように声を出し、髪をなびかせ、反動をつけて接近してきた。


「ごめんなさいごめんなさい、どうか命ばかりはお助けっ……」


「いえ命まで取るつもりはないんですが」急ストップ。


「ではなにを!?」


「……ここから立ち去れって命じて、素直にバイバイしてくれるようなタマじゃないですよね」


「あー、ちょっと困るかな……あたし、この世界に居場所がないもので」


「なーんだ、冷静なんですねー。私が何者かも分かっているようで、役者さん?」


「緊迫の演技に見えましたかパイセン!」


「ううん、全く! 役者と言うより道化ですね。大変見物でしたよ!」


 足蹴にされてしまった。


「あなたがレイちゃんさん?」


 不知がいつか言っていた、もう一人の城の住人だろうかと海衣はすぐに気づいていた。

 だから、レイの茶番にのってあげたのだ。


 なかなか迫真の演技で、稚児に対して肝が凍ってしまったのは海衣だけの秘密。


「そーです、私はユーレイのレイちゃん! 始めましてですね」


「あたしは海衣。よろしくね!」


「そうですか……」

 レイは海衣の顔をまじまじとみる。


 そして、海衣はすべき事を思い出すが。

「……さっき泣いてたよね?」


 気まずいが、指摘せずにはいられなかった。


 レイの顔には、一切の涙の痕跡がなかったのだ。


 あれだけ嗚咽を泣き声を外に漏らしていたのに。

 苦しそうに、しくしくと。


 だが、レイには涙が頬を伝った跡も、赤く腫れた眼もなかった。

 平然と、立っている。


「いえ、泣いてませんけど」


「うそおっ!」


「実のところ、私は泣けない、というところなんですよね」


「……?」


「じゃあ、さようなら」


「ひゃっ」 


 一切の抵抗なくレイが壁にのめりこみ、そのまま姿を消してしまった。


 ただ、薄暗い階段の踊り場には海衣一人が置いてきぼりにされてしまった。


 ひゅう、と冷たい風が吹き抜ける。

「……なんだったんだろ」

 海衣は身震いした。



###

「……なんなんですか、あの人」

 海衣の攻勢にたまらず壁を突き抜け、外に飛び出たレイは呟く。


 そうでもしないと、隠し通せそうになかった。


 海衣の行動に、ただただレイは戸惑っていた。

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