一章3 城への訪問者
「よう、元気にしてたか!」
右手を高々と挙げて、夜の城に声を響かせる若い男。この人が、『スパイス』のリーダー。
着崩してシワのよった白シャツにジーンズといった身軽な格好で、どこか世間と離れた雰囲気だが、裏組織の首領の貫禄さは一切見られない。
そして、なによりも――
「……どうして、叔父さん?」
海衣は、この人物を知っていた。
「おう、海衣。大きくなったな!」
やっぱりそうだ。この人は、海衣の叔父。
叔父さんと前に会ったのは、かれこれ十年前になるだろうか。
それなのに、叔父だと海衣がすぐに認識できたのは――
「そういう叔父さんは全然前と変わらないね」
記憶の中の映像と、目の前の叔父さんの顔がピタリと一致するのだ。10年という月日を感じさせないほどに。
「そうだな……あれから不摂生ばっかだったのに、見た目だけは青臭せえままなんだよ」
そういって、叔父さんは自分の短い髪を荒く掻きむしった。
ああ、記憶の中の叔父さんと寸分変わらないその仕草だ。
想起される過去の思い出。おままごとに楽しいお話、たくさん遊んでもらったっけ。
そうだ、思い出に浸っていてはいけない。聞かなくてはいけないことが、海衣にはいくつもあった。
「叔父さんが、『スパイス』のリーダーなの?」
過去の楽しい思い出からも、今の振る舞いからも、彼には裏社会のリーダー像とは全く結びつかなかったが。
「ああ、そうだ。俺が『スパイス』のリーダー、『兄貴』だ」
そう言って、叔父は自分が裏組織のリーダーだと断言したのだった。ただ暗い言葉とは対照的に、兄貴から漂う軽薄さは薄れぬまま。
なぜ、彼が裏組織のリーダーなどを務めているのか、海衣には全くもって理解が及ばなかった。
「家が燃えて一人で逃げてきたんだろ、大丈夫だったか?」
「うん、平気だよ。透と不知は優しいし、楽しくやってる」
「そりゃあ、よかった」
言いながら、叔父さんは重たい袋を台車から放り投げた。
袋の中には全て同じ黄色のラベルが貼られた固形栄養食が詰まっている。
もはや食べ飽きておなじみの憎きパッケージだ。
ともあれ、これで食糧問題はひとまず解決だろうか。
「この食糧、どこから入手したの?」
今の社会情勢で、これだけのまとまった食糧たちを集めるだけでも一苦労だろう。同じ物ばかりとはいえ、文句はつけられない。
海衣も食料調達の術を知って、自分たちだけでも生活できるようにしておきたいところだったが。
「ある伝手で、な。これがどうにも難しいんだ。食い物に気をとられている場合じゃないってのによ」
何かやり遂げなくてはならない使命があるように、兄貴はそういった。
「……なにをしてるの?」
兄貴の口調からは焦りが感じられる。よく見ると、化粧で誤魔化しているようだが兄貴の顔には色濃く隈が見える。
しわしわのシャツといい、兄貴はちゃんと寝てもいないのかもしれない。
「正義だのなんだの言っても、結局は意地なんだよなあ、これが」
答えになっているようで、答えになっていない返答。
海衣がその意味を問いただそうとしたところで、
「ただいま……あっ」
ここで、透が鍛錬から城へ帰ってきた。
兄貴の姿を見つけると、わずかに緊張しているようにみえる。
「おかえり!」
海衣はいつものように朗らかに挨拶をするが、
「……よう透、久方ぶりだな」
なんというか。
「その……元気してたか? ちゃんとご飯食べられたか?」
海衣への威勢はどこへ行ったのやら。たどたどしく、兄貴は透に尋ねる。
これは……、あれだ。
「年頃の娘に対する父親か!」
このおかしさを一緒に笑いたくて思わず不知の姿を探すが、見当たらない。よくよく観察すると、毛布の山があった。
「不知ち、なにしてるの……?」
「しーっ。潜伏中」
「は?」
「兄貴さんに顔を見せたくない」
「え……」ここにももう一人変なのがいた。
なんななんだこいつら……普段の海衣も大概なのだけど。
「悪かったな、時間が取れずになかなか会いに来れなくてよ」
「全然大丈夫」
「うっ……」
透の言葉は無意識に兄貴を傷つけていた。
「ま、まあいいんだ。これ給料な」
兄貴は封筒を透に差しだす。現金が、社会でどれだけ価値を保てるのかも分からないが。
「……こんなに?」
透が首をかしげたその封筒は、大きく膨らんでいた。ざっと一万円百枚は優に超えている。
「受け取っておいてくれよ、頼む」
「でも、私そんなに……貢献してない」
そのお金に見合うほど役に立てていないと、悲しげに眉をひそめた。
「どうせ価値が下がるんだ、これくらい持っておかないと」
「でも」
「使わなくてもいいから、もっておいてくれ」
口調を若干強めてそう言うと、兄貴は札束入り封筒を強引に透の手に押しつける。
「……そう。ありがとう」
透はそれを拒むことを諦め、しぶしぶ受け取った。
それを見届けると、兄貴は海衣に向きなおった。
「あ、食料の話だったな、現状入手は困難だ。……獲れるところで取らないと」
兄貴のよく分からない方向への決意が透けて見えるのだが。
「……すまんが海衣、しばらくここを離れてくれ。透と話し合わないといけないことがある」
「……はあい、わかった」
「あ、不知ち」
むくれながら場を去ったあとで、不知ちを取り残してきたことに気がついた。
さて、この暇をどう潰そうか。
###
「……透、前回の任務は問題なかったんだな?」
「あ……うん」
「……悪いが、厳しく言わねえとならねえな。嘘をつくな」
兄貴は、声を低く一変させ、眉を大きくしかめる。
「お前は単身で敵の前に突入し、戦闘にまで及んで海衣を助け出したと聞いているが」
「……それは」
「危険なことはするなといっただろうが」
「でも……」
透は反論を試みようとするが、兄貴に透の言い分を聞こうとする気は一切無い。
「いいか、俺が指示したのは安全なら海衣を保護し、敵がいるようなら様子を報告する、というところまでだ。あいつが敵に遭遇したあとなら、俺たちに任せればよかった。間違ってもお前は命が懸かったそんな危険を冒しちゃいけねえよ」
兄貴は語気を荒げて透を叱った。
「……勝てたし、私も戦える、から」
透のそんなか細い声を兄貴は、
「お前よりも強い敵はごまんといる。今回は運が良かっただけだろう。自分の力を見誤るなよ」
と痛烈に断罪する。
「……ごめんな、さい」
「いいか、俺たちを頼って……」兄貴はなぜか、声を詰まらせた。
「……無理だよな」
「え、そんな」透は続く言葉を押し止めようとするが、
「分かってるさ」
兄貴の疲れが滲む酷い顔は、透に裏切られても何かを堪えようと必死に堰を守っていた。
苦労が、苦難が、苦心が、錆色の霧となって兄貴を渦巻いていて、それは覆い隠そうとしても、もう隠しようがない。
透もそんな兄貴を見て、表情を歪める。
兄貴の言葉が、今の状況で正しすぎる答えだったから、何も言葉を返せない。
透と兄貴。
そこにあるのは決定的にすれ違う、全く親子でない親子のような歪な関係だけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます