一章1 朝食

「ね、私は魔法使えないわけ?」

 海衣の声。


 指先に魔法で小さな炎を点し、暗い物置の中を照らす不知を見て不満げだ。


「魔法、使えたことあるの?」


「ないから聞いてるんだけど」


「なら、才能ないから諦めた方がいいよ。ボクと透さんは人間が普通に歩くような感覚で魔法を使うから」


「えー、あたしも幻想者なんじゃないの!?」


「魔力が少ないとかね」


「ええ……」

 たしかあの男たちもそんなことを言っていた。

 せっかくのファンタジーで魔法が使えないとは。海衣はがっくり落胆する。


 不知はそんな海衣を励ますように、


「海衣が幻想者なら、魔法じゃなくてもなにかしらに能力を使えるはず」


「うーん、あたしは……」


海衣は能力に心当たりを探して、

「神様と話せる、とか?」


「は、頭大丈夫?」


 当然の反応だろう。

 学校に通っていたときも、海衣はそれを恐れて、誰にも話さずに生きてきたのだから。


「でも、本当に神様の言ったとおりになったし……」

 異世界ファンタジー。仲間。

 今のところ神の予言通りに海衣の世界は動いていた。


「それが本当なら」

 不知は重いため息をついた。

「ボクたちの現状も、その神とやらに助けてほしいよ」


「ほんとにそれ……」

 海衣もつられてため息をつく。

 あれ以来、神様は連絡を取ってこないのだ。海衣から神様に呼びかける術はない。


 海衣の脳内で住まわせてやっているというのに、あの神は何をしているのだろうか。


「食糧不足、深刻な問題だね……」


 火が点されている不知の指先の先には、残りわずかに積まれた固形栄養食がぎらぎらと銀色に輝いている。


 ずっと味気ないこればかりで飽き飽きしていたが、その不満ですらも尽きようとしていた。


「お金もないし、そもそも最近なんでも高いし、そのうえ料理誰もできないし……」


 海衣は不安を羅列する。

 収入は、透が『スパイス』とかいう謎の組織に所属して少し稼いでいるの頼りで、輸入品や加工食品を中心に物価が大暴騰しているし、海衣も料理の腕は絶望的。


 海衣としては透に働いてもらっているのに家事もろくにこなせず、情けないばかりだ。


 物の価格の上昇に関しては食品に限らず、生活必需品を中心にとんでもない暴騰で、どういうわけか世界全体の経済が不安定になっていた。


 トイレットペーパーは諦めたほうがいいし、牛のステーキなんて夢のまた夢だ。


 肉汁したたる分厚いそれを今食べられるのは余程の富豪か、肉に命を懸けている者だけだろう。


 世界の異世界転向の弊害なのだろうかと海衣は想像してみるが、経済は難しすぎてよく分からない。


 テレビ番組やネット記事も適当な憶測を述べるだけで、当てにはならなかった。


 とにかく、不味い状況だということは海衣も肌で感じている。お母さんの温かい手料理が恋しい。


「不知ち、食料どうにかならないの?」


「定期的に『スパイス』の人が物資をわけてくれるんだけど、今回は遅れてるね」


「そっかぁ」


 透が所属する『スパイス』とやらの活動内容を海衣はよく知らないので、透がどんなことをしているのかが心配していたりもするのだ。


 あの頼もしい少女に海衣の杞憂は余計なのかもしれないが、あの美しい銀髪の儚さが不安をかきたてるのだと、銀髪評論家の心の声海衣ちゃんはおっしゃっている。


「まあ悩んでもしょうがない! 前へ進め!」


 残りの食糧は5日ぶんくらいだろうか、今日の分だけ取り出した。

 海衣と不知は狭い入り口をかがんでくぐり、物置の暗がりを抜け出す。


 城にやってきてから1週間ほどたち、海衣も大分ここでの生活に慣れた頃になっていた。


 海衣は我が物顔で物置から長い廊下を歩き、ダイニングへたどり着いた。


 教室の半分は座れそうな椅子の数と机の大きさに、裏には一流レストラン級の調理器具が並ぶ。とても豪勢なダイニングだが、料理もしない4人の家にはもったいない。


「そういえば、今日もレイちゃんはいないの?」


 この城のもう一人の住民、レイのことは海衣の気がかりだった。


「うん、最近見ないね」

 不知も残念そうに言う。


「もっと仲良くなりたいのになぁ」


 できるだけ早く、仲間とは親交を深めておきたかった。海衣も人間関係にそこまで明るくないから、これは不安要素の一つだ。


 その点、不知や透とは1週間でなかなかの関係を築くことができたように海衣も思う。これは彼らの優しさに甘えた結果なのだが。


「レイさんは実体ないからご飯食べられないし、食事の場に出てくることはないよね」


「実体がない!?」


「いや、幽霊だから」


「幽霊!!」


 なんだか会うのが怖くなってきた。うっかり地雷を踏んで呪われたりしないだろうか。海衣ならやりかねない。


 顔に出ていただろうか、そんな海衣の不安を打ち消すように、

「大丈夫だよ、あの子も優しいから」

 固形食を袋から取り出しながら、不知はいった。


「ならいいけど……」

 不知がいうなら間違いないだろう。会えるときを楽しみにしておく。


 固形食を食卓に並べ、お湯をコップに注ぎ、完璧な朝食の用意がととのった。


「ただいま」


「おかえり」「おはよう!」


 いつも通りの黒い帽子を被っていて、透が毎朝の鍛錬から城へ帰ってきた。透は毎朝早起きしてランニングで体力を増強し、手足とナイフの捌きの練習を欠かさない。


 海衣も一度ついて行ってみたことがあったが、最初のランニングから透は異次元の速さで、海衣は早々に諦めてしまった。


 透は昼も夜もさらに激しいトレーニングを積み重ねているのだが。海衣は努力する透を本当に凄いと尊敬する。


 そんな透はなにやら新聞紙を持っていて、海衣の興味を引いた。

「それどうしたの?」


「ああ、号外が落ちてた」

 味気ない食事をごまかそうと、会話で場を暖めようとする。


 海衣は透の広げる新聞をのぞき込むと、

『【号外】政府、異常事態を宣言 緊急事態法施行』


 なにやら不吉な文言がずらりと並んでいた。


 世界各国に存亡の危機だとか、迅速に国家の危機に対応するために、強い権限を持つ法律をばんばん通すとか。


 具体的に何が危機なのかが明確に記されておらず、マスメディアさえいくつかの憶測を並べるしかないようだ。


 気候変動の収集がつかなくなったとか、エネルギー不足だとか、特に重大とされている情報は異常な物価の上昇だろうか。


 生活に必要な物が市民の手に入らなくなっていると言うことは、海衣も身をもって実感していた。


 その根幹になにがあるのかは分からない。これではいたずらに人々の恐怖心を煽るだけだろう。


 まったく政府は秘密を覆い隠して何をしているのだろうか。

 今となっては現代社会の教師の発言も安易に笑えないな、と海衣は遠い教室を思った。


 とはいえ、世間が見えない恐怖に騒ぐなか、海衣は今起きていることの一部を知っている。


 何せ世界を管理する張本人で或、神その人から聞かされているのだから。


 今頃政治家なんかが、情報を手に大騒ぎしているのだろうか。


 うかつに国民に情報を漏らしては混乱を招くだけだから、情報統制を行う訳も分かる。


「異世界ファンタジーへの転向……」


 海衣は固形食を食べながら呟く。


 間違いなく、この世界でそれが進行しているのだと。

 それ以外にありえないと、海衣は強く思った。


 昨日の魔獣が関係しているのだろうか。

 それとも、もっと危険な何かであろうか。


 そこまでの想像はつかないが、これは異世界ファンタジー化の弊害なのだ。


 これは始まりに過ぎず、もしかすると局面はもっと悪化するかもしれない。


 海衣も、覚悟を決める必要があった。

 胃は痛みを訴えるし、心が悲鳴を上げたとしても、それでも。


「え、異世界ファンタジー化って、なにそれ?」

 食事の手をおいて、不知が尋ねる。


 海衣の思考は中断され、

「あ……神様に聞いたの」

 ぼんやりと言った。


「海衣の能力だっていうあれか」

 不知はため息をついた。

「透さん、どうおもう? 海衣が神様と意思疎通をとれるっていうんだけどね」


「信じて、透」


「ん、信じる」


「どうしてそんなに純粋なの……」

頭を抱えた不知。


「本当だって! 不知は私を信じられないの!?」

海衣は不知の情に訴えかけにでた。信じてくれないのは辛い。


「うわ……わかった、信じることにするよ。海衣が救いきれないばかだって思いたくないしね」


「なにそれ」


「それで、異世界への移行、か……現状、世界が大きく変わっていることは間違いないよね」

 不知は確認するようにいった。


「うん、神様はこの世界が、異世界ファンタジーに転向していくって言ってた」

 海衣は、自分が持っている情報を共有することにした。隠していたわけでもなく、言う機会がなかっただけだ。


「異世界ファンタジーって何?」

 透が尋ねる。


「そういうジャンルの物語があるの。簡単に言うと魔法や剣がある主に近代の異世界で、冒険したり戦ったりする。

 神様によるとこの世界で、魔法とか、モンスターがでるとか、大人たちと対峙するとか……」


 並べ立てるうちに、海衣は自信をなくしてしまう。もっと神の話を聞いておくべきだった。


 これでは、内容の薄い概念を並べただけで、あまりにも具体性に欠ける。

 実際に何が起きるとか、そういうことが分からないのだ。


「うーん……魔法っていうと、これだけど」

 言いながら、不知は指先に火を点す。


 透も魔法を使い、風を自分の体にまとわせた。少し出力が強すぎたようで、被っていた帽子を慌てて右手で押さえる。


「いいなあ……」

 二人は気軽に魔法を使えるのに,海衣は使えない。

 海衣はショーウィンドウの向こうのケーキを外から眺める子供のように、透と不知を羨ましく思ってしまう。


「ファンタジー……話が飛びすぎ。やっぱり頭の中の神様って海衣の幻想じゃん」

 不知がぼそっと言った。


「ちがうって!」

 それだけは断固として否定したくない海衣。

 そもそも、魔法が使える幻想的存在の不知がそれをいうか。


「はいはい」


 不知は適当に海衣をあしらう。海衣の扱いにもう慣れきってしまった様子だ。


「う……」


 海衣はうなだれる。自分がめんどくさいという自覚がないのが海衣のまずいところ。


「とにかく」

 停滞しかけたその場を、透が仕切った。


「まずは今、この世界で何が起きているのかを知らないと」

 役に立たない新聞紙と、結局有益な情報を出せなかった海衣を見ながら、透は言う。


「そうだね、捜査の基本は情報収集から!」

 海衣も透に同調する。


 海衣はこの世界が『異世界ファンタジーになる』ということは知っているが、今現在、実際に何が起こっているのかはまったく知らない。


 新聞記事からもただならぬ様子だし、異論はなかった。


 だが、二人の一致とは反対に、不知の顔は曇っている。


「……知ってから」

 不知は切実な声で言った。


「いま起きていることを知ったら、透さんはどうするの」


「それは……」

 透は唾を飲むと、


「もちろん、戦う」

 そう、強く断言した。


 海衣はその勇気を褒め称えたいところだが、不知の様子がそれを許さなかった。

 思わず押し黙ってしまう。


「なんのために?」


 不知は重ねて問うた。一体、何が不知をそこまで必死にさせるのか、海衣には理解できないが。


「みんなを、守るため」

 透は、再び強く言う。


「……そう、なんだね」

 すると、不知は顔を陰らせて口を噤んでしまう。


 不知の問いの理由は、明かされないままだった。


「私は、強いから、大丈夫。そのための鍛錬」


 不知を安心させるように、透はいう。


 透も不知がなにを不安がっているのか理解できない様子だが、それでも不器用に言葉をつむいだ。


 透の言葉に、不知も表情を若干緩めたようだ。


「うん……無理はしないでね」


「私に、任せてよ」


 透は子供を諭すように、そう不知にいった。


 不穏は霧散して見えなくなり、海衣は安心して再び味のない固形食を口に押しこんだ。


 海衣も、まだまだ不知と透について知らないことばかりだ。

 それがどうしようもなく歯痒い。彼らのために、何かできればと思うのに。


「まず、情報共有からじゃないかな。自分たちが持っている情報を整理しておかないとね」

 不知がそう言う。


「あたしは神様がいるってことを知ってる!」


「はいはい、もうそれはいいって」


「そんな……それと、『スパイス』についてよくわからないんだけど」

 切り替えの速さは海衣の長所。


「透は説明下手だからボクが教えようか。『スパイス』は裏組織なんだけど、戦闘や索敵に優れている人たちも多く所属しているね。

もともとは『香利しんり』から分裂してできた。それで、今は……」


「『香利』と『スパイス』は、敵対関係にある」

 透が、不知の言葉を引き継いでいった。


「らしい、ね。兄貴さんからその辺りの理由とか訊いてないの?」


「それが、全然。私を仲間外れにしてる」


「うーん、因縁とかありそうだけどね。そこがわからないとどうにも」


「じゃあ、その辺りを中心に明日聞けばいいね!」


「そうだね、あとはメディアが当てにならない世界情勢も聞いておきたい」


「さあ、とにかくまずは情報収集戦! 世界を知ろう。それからあたしたちの方針を決めて、この世界と戦おう!!」


 とりあえず、海衣は盛り上げ役に徹することにした。


 これから透と不知を、海衣がたくさん知っていけば良いのだ。


 海衣は拳を振り上げ、奮起を誘う。


「おー」

 不知と透は苦笑しながらも、小さく拳をあげた。

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