序章5 家を去る

「君の名前、未末?」


「私は未末海衣! 真の名をスイート・クロス・フユーチャ!! 最強の妄想女子高生にして、この時をもって私はこれから――最強の無双主人公!!!」


 流暢に溌剌と。

 日常的に練習していた決め台詞を、唖然とする透に向かって堂々宣言。


「え……」

「……」

 沈黙が場を支配する。


「あごめん引いたよねなかったことにして」


「それで、スイートさん」


「ごめんなさいごめんなさい「海衣」でいいから!」


「それで、……海衣」

 透はなぜか恥ずかしそうに言った。美少女に名前を呼ばれて恥ずかしいのは海衣の方なのだが。


「うん!」

 名前を呼ばれて、海衣は元気よく返事をする。


「君は、これからどうする?」


「……たしかに」


 絶賛家は燃焼中。母親はどこかへ逃亡。いつあの男達が再び襲ってくるかも分からない。


 海衣の行き先は、地球上のどこにもなかった。


「よければ、私たちの『城』へ……」


「へ、お城!?」


「そう」

 城。透と同居。「私たち」という言葉から漂う、新たな出会いの予感。


「……住みたい!!」

 嬉しすぎる展開に、海衣のテンションは果ての見えない尻上がりだった。


「わかった。そんなに豪華なものでもないけど」

 透は少し思案して、

「必需品だけもって。ここから出る」

 

 海衣が頷き、ふと下を見ると火が廊下を侵食していた。


「ど、どうすんのこれ」

 海衣が慌てふためくも、


「2階から脱出」

 透の澄んだ海のような声は冷静沈着そのものだ。


「わ、わかった」


 透の頼もしさに安心しきり、言われるがままに階段をかけあがって、自分の部屋から「必需品」を選び出すため本棚の前に。


 透はぴたりと海衣の背についてきたので、本棚で急ストップした海衣にこつんとぶつかった。


「ええとリイチは必須、私転生にはじセカ、それにフィギュアたちも……ああ重い重い、電子書籍に移行しておけばよかった」


 その手のグッズにベッドが埋もれる海衣の部屋で透は物珍しそうに、天井のポスターから棚の細々とした小物まで見渡していたが、


「なにしてるの急いで」

「ごめんなさい」


 透の背中からの視線と、2階からはまだ見えない火の手の圧力に屈し、小説を持って行くのは諦めることにした。


 消防隊の方々が海衣の大切な聖書たちを守ってくれることに期待するしかない。

 海衣は肌身離さず持ち歩きたいのに。


 悲嘆に暮れながらも、ノートPCと財布だけ抱え、透の次の指示を仰ごうとする。

 火の手はもうすぐそこまで迫っていた。


「窓から脱出するしかない」

 透はきっぱり断言する。


「ひええ……」

 ここは2階。そこまで高さがないとは言え、大変おっかない。


 とはいえ自分の命がかかっているので、つべこべ言ってられない。意を決して飛び降りようと窓を開けたが。


「背負っていこうか?」

 透に魅力的な提案をされる。


「お願いします……」

 海衣は運動神経に自信もなく、よくドジを踏む。


 落っこちて尾てい骨を骨折なんてことになったら、未末家代々に語り継がれる恥になってしまうところだった。海衣は胸をなで下ろす。

 

 すぐにこの提案を受けたことを、猛烈に後悔することになるのだが。 


「また敵に見つかるかもしれない、特殊なルートで行く」

 透は海衣を背にのせながら、そう告げた。


「特殊?」

 返事はなかった。透の肩にしがみついて身動きのとれない海衣は不安になってくる。


 透は、こんどこそは割らずに窓を開けて桟に乗り上げ、一瞬にして屋根上に飛び上がった。外は日が完全に沈んで真っ暗だ。


 海衣はぎゅっと背中から透を抱きしめる勢いでつかまる。黒い帽子と揺れる銀髪が海衣の鼻の先にあった。


 冬の寒さが身に凍みたが、それ以上に透の人肌が温かい。透が屋根の上で走り出したので肝まで冷えたが。


「たかいたかい!」

 海衣が赤ちゃんみたいになっているが、目に映る光景は恐怖でしかない。


 透がますますスピードをあげ、風にのって隣の民家の屋根に飛び移った。浮遊感に海衣の気はますます狂う。


 子供用のジェットコースターでさえ踏破できない高校生の海衣だ。

 いったいこれは時速何キロなんだろう。

 下をのぞくと見える、道路を走る車よりも透の足が速いのは間違いない。


 透は躊躇せず、次から次へと足がけにする家を変え、何車線もの明るい通りも颯爽と越える。もう目を瞑って耐え忍ぶしか、海衣の弱いハートを守る術がなかった。


 透にしがみつく手もかじかむ。ちょっとした衝撃で手を離してしまいそうだったが、自分の命を守るためどうにかこらえる。


 全面ミカン色の電車たちが止まる鉄道駅、デパート屋上の観覧車、公園の緑とその中心のライトアップされた城を目の端に映し、30か40か、透が飛び移った屋根を海衣が数えるのを諦めたころになって、苦痛の時もようやく去った。


 透が突然平行移動をやめ、急降下したため海衣は危うく漏らしかける。

 

 地に着いた感覚があり、おそるおそる目をふさいでいたまぶたを開いた。


「大丈夫?」


 透が海衣を背中から降ろし、場の暗さで灰に見える髪を揺らして、海衣の顔をのぞきこんでくる。


 海衣の細い足はがたがたと生まれたての仔牛のように震えていた。

 頭もふらふらで、右も左もはっきりしない。端的に言って、酷く無様だった。


「だ、だいじょぶ……楽しかった」

 どうにか張れてない虚勢を張る。またよろけてしまい、透に体を支えられてしまう。


「そ、そう……」

 透は眉をひそめて申し訳なさそうだった。

 そんな顔をさせてしまい、海衣まで申し訳なくなる。


「そ、それで、ここは!」

 海衣はなんとか気合いで声を出した。


「ここは、『城』」


「城!」

 その名前に海衣は興奮して飛びつく。


 透の往くままにたどり着いた薄暗い場所。酔いが多少落ち着いてきて、ようやく顔をあげる。


 そうして目に飛び込んできた光景を全身で受け止め、

「ろけーしょんオールOK、ザッツこれからマイハウス!!」


 海衣は快哉を叫び、両手を大きく広げた。

 無理を押して飛び跳ねた反動で吐き気がして、喉でなんとか嘔吐物の侵入をとどめる。

 自称女主人公にあるまじき汚さだ。これはなかったことにする。


「なんという素敵なお城でしょう! 雰囲気でる!!」


 そう、目の前に佇む大きな建物は一昔前の立派な洋風建築。五階建てくらいあるだろうか、元は純白だっただろう石で組まれた壁は今は薄灰色に煤け、ところどころ苔も生えていて、この建物の歩んできた途方もない時間を感じさせる。


 荘厳とした迫力は一階部分の高さから感じられるものだ。


 ランプや屋根など装飾も職人によって隅々まで凝られており、一体内装はどうなっているのか気になる。


 趣とか風情とか全然興味ない現代っ子海衣でも、目の前のおじいちゃん城には素直に感嘆していた。


 異世界ファンタジーの舞台である近代欧米とはちょっとずれるのかもしれないが、大正ロマンのような城はファンタジーの拠点として、これ以上相応しいものはないくらいだろう。


 透が住んでいるこんな立派なお城に、海衣もこれから住むことになるのだ。

 これからの楽しそうな生活の予感に、自然と海衣の胸が弾む。


「そんなにいいかな」


「ばっちりだよ舞台設計ナイス」


「そう。私もここが好き」


 そういって透が帽子の中から浮かべた表情は、海衣がはじめて見た微笑みだった。それは愛おしくていつまでも愛でていたくなるもので、海衣は惚ける。


 そんな海衣に気づかず透はずんずん城の中へ歩みを進めていき、海衣は慌ててどこかに飛んでいた自我を取り返し透に続いた。

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