序章4 戦闘

 去ろうとしていた男は、少女の参戦に対し僅かに焦ったように見える。

「あいつ、スパイスの連中か?」


「俺たちに楯突いてるっていう奴らですか……」


「ちょうどいいか。おい、アレを用意しろ!」


「しかし、あれは実験動物ですし証拠が残ると政府に……」


 戦闘服の一人が忠言するも、男は聞く耳を持たず怒鳴りつける。

「つべこべいうな! あいつを倒せるのかお前」


「は、用意します」

 もう一人の戦闘服は部屋を飛び出していき、飼育用ゲージを持って帰ってくる。


 透が海衣を背に庇い、敵の行動に美しい顔をしかめる。

「何?」


「これで死ね!」


 男がゲージを解放すると、なにやら禍々しくどす黒い泥のような獣が現れ、


「ガるるるるッ!」

 海衣と透に吠え、牙を剥く。


 その見た目と大きさは海衣の知るところの狼のようだが、放っているオーラが半端ではなかった。


 むんむんと天井まで届くまでに黒い気体を発し、頭頂部には角を生やしていた。

 見るからに異質で凶悪なそれは地球に存在してはならない生物だ。


「なにあれ強そう……」

 海衣は透の背からちらっと覗くが、危険な獣を一目見ると頼れる背中に隠れる。


 海衣はあれに似た獣に覚えがあった。

 異世界では定番の討伐対象、『魔獣』。


 間違いなく、神が言ったそのままに、この世界が異世界ファンタジーで染まっている。

 その事実が海衣の目に焼き付けられ、もはや疑いようもなかった。


「大丈夫。あの大きさで力を無駄に空気に放出するのは、自身で力を制御できない無能である証左」


 透は堂々とナイフを構え、そう言い放った。

 その言葉は、海衣を安心させるためのものなのか。


「動物に『幻想』を無理矢理植えつけた? 自力で戦おうとしないの」


 続けて、透は淡々と相手を怒らせるような事を言う。海衣はひやひやした。


「おい何抜かすてめぇ! もういい、いきやがれえ犬!!」


 あれが犬なのかはさておき、青筋を浮かべた飼い主に命令され、それに応えるように全身の毛を逆立たせた犬が、二回りも筋肉を膨らませて透へ突進する。


「わ、く、くるよ!」

 海衣はどうしていいかわからずただ慌てふためくが。


 犬に単身立ち向かった透は、飄々とした様子でナイフを横にして牙を防ぎ、押し返す。


「とうっ」


 相手のひるんだ隙を狙い、透は横から、犬のどす黒い毛並みを側面から、白く張った脚で思いっきり蹴り飛ばす。


「ガウウッッ……」

 犬は壁に叩きつけられ、隙を長く見せず直後に立ち上がると、再び一直線に飛びかかる。


 最初よりも『幻想』の力で幾段か太く増長した犬の腕に対抗し、透も助走をつけて犬にナイフを叩きつける。攻撃と同時に透が腕をさっと振って繰り出したのは、


「風魔法……?」

 海衣が呟いた認識で正しい。

 それは海衣が本物を初めて見た、ファンタジーの象徴でお約束――『魔法』だった。


 風魔法は相手の視界を攪乱し、犬は不快そうに身をよじらせた。


 透はチャンスを逃さず、部分的に強く吹く風魔法を、自分の腕の追い風に使って相手をナイフの柄で殴る。


「ギャウン!」

 犬の悲鳴が部屋に響く。


 この戦い、犬が劣勢だと男達も理解し、銃を持って透に続けざまに発砲、犬の援護射撃に出た。


 流れ弾が海衣のすぐ横の床にまでめりこんできて、海衣も命の危険を感じる。


 大人と魔獣4対1人の少女、透は絶望的不利に陥ったように見えたが。


「やるしかない……」

 透が呟く。


 瞬間、海衣の目にとまらぬうちに、戦闘服の男2人は地に伏せられていた。


 顔面が赤く腫れ、微動だにしない。リーダーの男は手を叩かれ、銃を呆然と取り落としている。


 全て、海衣の一度の瞬きのうちに、透が2本の腕を振って相手を下した結果だ。


 目の前の少女は圧倒的な力を持つのだと、海衣は呆然としたのちようやく理解し、背筋が凍った。


 このファンタジー銀髪少女、強すぎる。

 海衣が感嘆するうちに、透は海衣を庇う元の位置に、銀髪を揺らして舞い戻り、再び魔獣の犬だけに意識を集中する。


 獣も不利を悟ってか、角が大きくなり、体ももっと大きくなったように見える。これも『幻想』の力なのだろうか。


「ガウ」

 獣が奔り、左から回って透の腕をその凶悪な牙で砕こうとする。

 スピードも、パワーも、一段二段と増したようなキレのある動きだ。


「はっ」

 透も力で負けてはいない。


 ナイフで獣の動きを押しとどめると、左膝に反動をつけて腹の一番柔らかいところに叩きこむ。


 連打、連撃、透は四肢を使って獣を叩き、徐々に獣を隅に追い込んでいく。


 獣の動きが止まる。すかさず透は頭蓋を上から蹴り落とす。


 獣の顎が地につき、勝敗が決したと思われたが。


 獣は散々叩かれても残ったわずかな力の残滓だけで、のそりと4脚で立つ。


「ガウオウェアァァ!」


 突如、犬が牙を見せた口から、火を噴いた。


 透は風魔法を行使して炎の直撃から逃れるも、獣が追い込まれていた部屋の隅は、風魔法で炎が拡散され、辺り一面が朱に染まった大惨事になっていた。


 獣は火を噴いて力を使い果たしたのか、崩れ落ちるように地に伏せた。


 それを見届け、透は構えていたナイフをゆっくりと下ろした。


 男たちの襲撃からわずか数分、透は腰の銃を使わずに、3人と1匹の敵を殲滅して見せたのだった。


「あ、ありがとう」


 透に海衣は心から礼を言った。透が来なければ海衣は男たちに連れて行かれどうなっていたことか、最悪の事態は想像もしたくない。透は海衣の命の恩人だ。


「……うん」

 透は海衣から顔を逸らすと、燃える犬を見る。


 獣の、『幻想』によって大きく膨らんでいた体は小さくなっていく。


 柴犬くらいの大きさになったところで縮小は収まり、犬の体を炎が蝕んでいった。


「……眠れ。君の敵は私が討つ」


 動かなくなって炎で灰になっていく犬に、透は顔を悔しさで満たして黙祷を捧げる。


 勝手な人間の私欲のために実験体として体を弄られ、無理に『幻想』を体に取り入れた代償で命が尽きてしまった犬だ。


 犬は何も悪くなかった。全て、命を駒と捉えるような人間が悪い。


「痛っ」

 海衣が黙ってそれを見守っていると、火の粉が散って足に刺激がはしった。


「大丈夫?」

 透は犬への黙祷を終え、悲鳴を上げた海衣に近づいてきた。


「うん、なんともない」

 たいした火傷もしていないだろう。今はそれどころじゃないし。


 部屋を見渡すと、あちこちで物が燃え、部屋に焦げ臭い煙が立ちこめている。


 炎は海衣の背の高さまで育ち、自力での消火は絶望的だ。


「ああ……」

 部屋の家具たちに火が燃え移っていき、海衣は天を仰ぐ。


 盛る炎が壁に燃え移り、さらに悲惨なことになる。2階には海衣の、命の次に大切なコレクションたちがあるのに。


 長く座ったいつものソファー、母さんの好きだった絵画、ずっと昔に父さんが買ってきたクリスマスツリー。


 思い出の品々が、跡形もなく灰になってしまう。


 家庭の温かさが突如乱暴な炎に蹂躙されたようで、海衣は思わず目を逸らした。


 いなくなった母親がもう家に帰ることはできないし、海衣もいつ再び敵が現れるかもしれない危険な場所にとどまる訳にも行かないだろう。


 家族が集える場所が、男たちの勝手な襲撃によって突然失われたのだ。

 それが何を意味するか。


 もう、取り返しはつかないのだ。


 決定的に、海衣の人生も、世界の軌道も、酷く歪みきっている。


「これが、異世界ファンタジー」

 小さく呟く。


 海衣が、望んでいたはずの異世界ファンタジー。それが現実になったとき、ただただ醜い悪と幸せを奪う炎が混在しているだけで。


「ごめん、諦めて。君はこの家に帰ってこられない」

 透は悲しみをこらえるように言う。


「ううん、命があるだけよかった」


 こんなかわいい子と会えたわけだし、と海衣は無理に思考を切り替えようとした。


 主人公なら、ここで折れるわけにはいかないのだ。

 細い指が、腕が、心が震えようとも、堂々と立っていなくてはならない。


 一度は透に頼り切ってしまったが、これからはそうはいかない。


 海衣の憧れる主人公像があるから、その希望を捨ててしまっては海衣の中に何も残らない。縋れるものはどこかの強き主人公の虚像、ただそれだけだった。


 そうして、海衣は不安を残したまま前を向く。


 自分を殺して進むか、立ち止まったら堕落だ。


 それならば、まだ終わりたくない海衣が進める道は一つしか無い。


「ここを出よう」


「うん」


 燃えさかる部屋を離れて廊下に退散。

 ここでようやく、つかのまの緊張に荒れた呼吸を整える時間があった。

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