序章3 銀髪幻想少女・透
放課後になって、
いつからどこから異変が起こるのだろうかと街路樹に
お母さんにはどう伝えようかとか、何を持って行くべきだろうとか、仲間と仲良くなれるかなとか、海衣はこれからに頭を悩ませるうちに、家への道のりも残りわずか。
普段は自分が異世界転生したときのシミュレーションに頭を悩ませるので、ぼんやりとしていつの間にか家に着いていることに変わりはないが。
「あああーあーああー(自棄気味の下手な歌)」
それはそうと、今日もトラックが道から飛び出てきたので驚いた。
軽トラだったし転生させてくれなそうだけど。
軽トラのあんちゃんを心の中で恨んで、海衣は我が家の玄関を視界に入れた。
「まあ、私に分かることではないか!」
海衣はさじを投げて、玄関の重厚な扉を開く。
神が異世界ファンタジーが向こうからやってくると断言したのだ。海衣がどうこうしなくてもそれは必然なのだろう。
「お、海衣! おかえり」
「ただいま、母さん!」
ドアを開くと玄関に座ってお母さんが靴を履いていた。これから出かけるのだろうか。
私のファンタジーが始まるまえに、お母さんにどう言い訳しようかと海衣は心を陰らすが、どうやらそれは杞憂だったようで、
「悪いんだけど」
お母さんが前置きをする。まるで何か悪いことが起こるような言いぶり。
海衣の頬を冷や汗がつたった。
「な、なに……?」
「しばらく会えなくなる。達者でな」
お母さんはそう言い残すと、最後に思い出したように、
「海衣のことは保護を頼んでおいたから!」
急のことで動けない海衣の背につけくわえて、玄関のドアに手をかける。
「え、ま、まって!」
「ごめん急いでいるから5分でお願い」
お母さんはおちゃらけて言う。
「思ったより余裕あるね」
「我が愛しの娘のためなら5分くらい捻出できるわよ」
「おお、お母様……じゃなくて!」
「どういうこと? しばらく会えないって」
「お役目があるのよ。私だけに課せられた、絶対に守らないといけないことが。もちろん海衣も大事だけど、これは海衣を守るためでもあるのよ」
海衣が見るのは初めてかもしれない、お母さんの頼りきってしまいたくなるような声。
「ふーん……いってらっしゃい」
急いでいるお母さんをこれ以上とどまらせるわけにもいかず、海衣はだまってお母さんを見送ることにした。
「うん、いってきます。母さん、がんばるから」
玄関で立ちすくむ海衣の横を通り抜け颯爽と外へ飛び出していく。
いつもふざけてマイペースな海衣の母の横顔は、いつになく真剣そのものだった。
「これも神がいった通りになる予兆なのかな。ママに気遣う必要がなくなって助かるけど」
海衣は母と別れた心細さを覆い隠して、呟く。そこに悲壮はないが。
何かが、着実に変わり始めていた。
凍えるような冷気とそれに付随する不穏さが、開きっぱなしの玄関から吹きこむ。
それと、新たなファンタジーの始まりの空気も伴って、温もりがあった家の中の温度を下げた。
海衣は寒さに耐えきれなくなって、ドアを閉めて鍵をしっかりかける。
海衣はソファに寝そべり、スマホを触りながら長い黒髪を床へ流してふてくされていた。いつでも出られるように、高校の制服から余所行きの服に着替えた。
「どうしたんだろうお母さん……」
マイペースとはいえ、海衣のことを大切にしてくれていたお母さんが海衣を放って血相を変え、飛び出していった。
一体何が起きていて、これから何が起こるのだろうか。海衣には一寸先も見えなかった。
「ぐぅぅ」
口からじゃない、お腹からだ。いや、両方かもしれない。いいえ、心の奥底からの叫びなのだ。
さておき、どちらにせよ海衣はお腹が空いた。お母さんがいないと、食事すらままならない。
「とりあえずカップ麺たべるか」
いつの間にか日が沈んでいる。今夜は冷えるし、心から温まるように暖ををとりたい。
のっそり億劫げに立ち上がり、給湯ポットからカップ麺に熱湯を注ぎ、危うくこぼしかけた。テレビの前のソファーでアニメを見ながら食うことにする。
自分の部屋なのにどこか落ち着かない部屋で、集中できないままにいつもの行動をとる。
画面の向こう側では、風の魔法を駆使して短剣で戦う猫耳銀髪キャラがいる。
銀髪は幻想的で美しく、異世界ファンタジーが始まるなら海衣も会ってみたいなと呑気に思った。
そこで、ふと疑問がわきあがる。
――おかしい、部屋が冷えている。たしかに玄関は閉めたのに。
「ああ、お前は
顔のすぐそばで男の声がした。海衣が顔を上げると、白シャツに眼鏡をかけた見知らぬ男がいる。思わず飛びのく。
さらに肩に銃を構えて黒い戦闘服を着た二人が、ずかずかと部屋に入ってきた。
テレビの中の銀髪キャラの声が、男達が動くとともに鳴る装備の音にかき消された。
「な、なんで勝手に入って……」
海衣の震えた声を無視して、シャツの男はアニメの再生をリモコンで止める。
「私たちは『
「はっ」「はっ」
左右の戦闘服が一斉に敬礼。そびえ立ち海衣を見下す男が、大きく見えた気がした。
「微弱な幻想反応はこいつからだな?」
「ええ、そのようです。この女は『
左の戦闘服が答える。
「すでに本来の目的である
「畏まりました。では、捕獲を?」
左の戦闘服が問う。
すでに海衣は、両手を掴まれ押さえつけられたあとだった。
「ああ。母親が娘をおいて逃げるとは、この娘も可哀想にな」
海衣は一方的に蔑まれる。
海衣は現実味のない一連の会話を、ただ呆然と顔をこわばらせて聞いていた。
「母さんはそんなことしない……」
海衣の必死の訴えも、冷酷な男には届かない。
左の戦闘服は海衣に追い打ちをかけるように、
「つまりはな、我々『
お疲れさん。まあお前は軍事用に洗脳されないだけましだよなあ」
抑えつけられ絶望に暮れる海衣の耳元で、そういった。
「おい、『
男が戦闘服をいさめる。
「あ、さーせん」
「全く……お前は幻想者で、未末の家の者だから連行されるのだ。悪く思うな」
男は海衣を戦闘服たちに任せてこの場を去ろうとする。
二人の戦闘服にソファーの上で、うつ伏せに這いつくばらせられ、枷を取り付けられようとする海衣。
海衣は訳も分からぬまま絶望した。
もうこれで終わりだと、血も涙もない男の語り口から理解してしまう。
いっそ舌でも噛み切ろうかと、最悪の選択肢が頭をよぎったときだった。
ふと浮かんだ、これまでの生き方。
主人公になるんじゃなかったのか。海衣は、停滞の今までを変えるのではなかったのか。
まずは目の前の困難に、立ち向かえ。
自分で自分を叱咤する。
序盤も序盤、こんなところで海衣の英雄譚は終わっていられない。親もいなくなった今、海衣の道は、自分で切り開いていくしかないのに。
男たちが少女一人に対して油断しきった隙を突くしかない。
細身の体で男の間をすり抜け、すかさず男たちと距離をとった。
単身で男と対峙し、威勢良く
「おい、あたしは幻想者、だぞ……っ。あたしにかかれば、お前らなんて一瞬で首が吹き飛ぶんだぞ! 良いのか!」
と、見事な啖呵を切ったのだった。
男たちが恐れている、幻想者。神から聞いた言葉の断片を思い返しながら、相手が自分を怖がってくれるように。
震えた声は喉の奥に押し込み、恐怖にふらつく膝を叱りつけ、弱い自分の心の内を覆い隠して。
自分が強く見えるように、背伸びをして、胸を張って、勇壮な表情を浮かべようとして。
海衣は、『主人公』になろうとした。
この瞬間だけは、海衣は世界の中心だった。浮かべる表情とその存在全てが、輝いている。弱い影は覆い隠しきれた、はずだった。
「……はったりですぜ、こいつ」
男たちは一瞬気圧されたように見えたが、すぐにその余裕の立場を取り戻してしまう。
「ええ、先程も申した通り幻想反応は微弱です」
「愚かな奴だな、全く。おい、がちがちに固めておけ」
目の前が真っ暗になる。
「くそおっ」
海衣は歯噛みする。自分で自分を嘲笑した。
ほら、所詮自分ごときの力では大人相手にどうしようもないのだ。
力を持たない海衣に、主人公になる資格など無い。ただ手の中にある日常を、大切にするべきだった。
男たちが再び、余裕の様子で家の床を土足で踏みしめながら、絶望する海衣に近づいてくる。
こんなことならファンタジーなんてなければよかった。こんな願い、叶えるまでもなく……その続きを、世界は海衣に言わせなかった。
――冬の室内で、銀の吹雪が散る。
勇気を振り絞って一歩を踏み出した海衣を、この世界が祝福するように。
これは、ファンタジーの訪れ。
はっとした海衣の目から涙が離れた。
遅れて海衣の耳に、ガラスの割れた音が届く。
吹雪だと思った光り輝くものは、粉砕されてきらきら舞う、ガラス片だった。
割られた窓から吹く冬の夜の強風と共に、もう一つの銀が視界内に飛び込む。それは、美しい銀髪の少女で。
海衣が呆気に見とれるなか、颯爽と現れた銀髪の少女は背中に海衣を庇うように、右手に構えたナイフを男たちに向ける。
「私は、
海衣の耳に刺さって消えない、蒼い海のような声。
「私が、君を守るよ」
いま海衣が魂から渇望していた、頼れる誰かの声だ。
その声色は、一人で敵に心を砕かれ、絶望しかけた海衣の胸をやさしく熱で溶かす。
先程までテレビの中で声を荒げていた、猫耳銀髪キャラのよう――否、間近で見る本物のほうが遙かに美しかった。
黒い帽子を被っていて、猫耳ではないけれど、海衣の側に存在している、幻想から出てきたような銀髪少女。
「……遅いよおっ」
主人公を名乗ったのに、突然現れた誰かに頼り切ってしまう。
みっともなくても、仕方がない。これが海衣なのだから。
震えていた声も膝も心も、もううやむやにはできなかった。
じっと無言で見つめてくる女の子。割れた窓から吹き込む風で、きらきらたなびく短く切られた銀髪。
黒い帽子で暗めな印象だが何かを見据えたような深海の瞳と整った顔。
大人な古びた革ジャケットを背負い、クールで頼もしいオーラを発している。
ジャケットで覆われた腰のあたりから覗く、黒光りした銃は見なかったことにした。
なぜかって、彼女の美麗さに無骨なそれは当然相応しくないからだ。
海衣は黙り込む。しばらく銀髪少女を見つめ返す。一体どうしてこんなにも、
「かわいい!」
かわいかった。抱きしめて自分のものにしたい。
身振り手振りで感動を表現したいところだけど、ここは流石に踏みとどまった。
かわいいには敬意を示したいのだけれど、今はそれどころではないのも弁えている。
「え……後ろに下がっていて」
不安でいっぱいだった海衣にとってその言葉は、大変頼もしく思える。海衣は勢いづくも、おとなしく
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