序章2 神々の会話

「嗚呼、汚い醜い穢らわしい」


 全ての世界の主は、何処かを見ながら哀れみを込め、


「遅すぎた、な。この世界の神よ」


「…………」


「分かっているだろう? 貴様は人間などに同情するがあまり、決定的に選択を誤った。世界を、貴様が壊してしまった。それは人間の為にもならないだろうに」


「…………」


「愚かだな」

 主が断罪する。

「……我が、間違えたとは」

 神と崇められていた者が発したのは、散々痛めつけられた後の声だった。小さな声が、薄い空気を僅かに震わせる。


「あ?」


「……思って、いません」


「まだ認められぬのか。心底残念であるな」

 主は呆れ返った。

「現実を見よ、出来損ないの世界の神」


 まだ美しさを保つ世界を、遙かに高く神の塔から見下ろす。浅緑と群青に彩られ、多様な生き物であふれる世界――地球。


 主は、曇り澱む一点の灰を指し示した。それが直ちにゴミ箱へ捨てるべき排泄物だとでも言いたげに。


「ああ、愚かだ。人間よ」


 主は、声を震わせる。

 指し示したのは、人間の密集した社会が築かれる――都市。


「あの芸術性の欠片もない岩塊に、全ての元凶がうじゃうじゃ棲まうのだ。なんと醜いことか。


 この美しかった世界を、我が物顔で闊歩しておる。あれが発生するから、『幻想』などという穢れた力を導入せねばならぬのだ。


それを、見習い時代から天才などと言われた貴様は解っているだろう」


「…………」


 この世界の神は言い返さなかった。――否、言い返せなかったのだ。全て、真実であるから。


「人間は、放っておくと増長し破壊の限りを尽くす。汚物で大地を潰し、汚物を大気に撒き散らし、汚物を母なる海に流し込む」


 主は、ため息をつく。


「あれによって、この美しき世界は崩壊への道をたどっておる。


 地球温暖化に異常気象、人間らも世界からの警告を弱い嗅覚で嗅ぎ取っているであろうに、何も動けないままであるな。なんと愚かなことか。


 すでに多くの生物が絶滅に追いやられた。

 100年と経たぬうちに、この緑も、この海も、原型を保てまい。世界とは脆いのだから」


 主は神を見て「海も、木々も、貴様の努力で生まれた奇跡だろうに」と呟いた。


 再び主は声を荒げ、

「人間とは、酷いものだ。

 果てには同族で醜く殺し合うことさえする。

 身分が上の者は下の者を厳しく使役する。儂には全く理解できんな、穢らわしいあれを如何して貴様が肩入れするか」


「……美しい、から」


「ほう?」


「人間の生き方は美しい、です」

 言葉が揺れるが、叫ぶように叩きつけた。もはやどんな態度をとったところで、この神の道は途絶えたに等しいのだ。


 神界で、主に対して間違いを犯したのだから、厳しい罰に処されることは決まっていた。


「あれを美しい、と。全く理解できぬな。

 理解する必要性もないのだろうよ、儂ら神はただ役目をこなすだけなのだから。

 やれ感性とは多様なものだ……儂も、貴様には期待しておったのぞ。


 今となっては全て無駄になったがな。

 如何して、何処で、貴様は醜く捻くれ曲がったのか」


「……すみません」


「とはいえ、罪は裁かねばならぬようだ。

 貴様は『大神教典』に違反したのだからな。令に従えぬ輩は放置すると増長する。人間のように」


 何が可笑しいのか主はわらっていた。


 神は心の中で悪態をついた。お前らも、お前らが見下し笑いものにしている人間の上層部と同じではないかと。


 従わない者は、理解せぬまま排除するのだから。


「それにまだ取り返しはつくだろうよ。無能な神をすげ替え、『幻想』を引き入れれば、美しい世界は美しいままだ」


「…………」

 神は神らしくなく、顔を苦しげに歪める。


「最後に聞いてやろう。神よ、なぜ『幻想』を招かなかったのか」


「それでも人が……好きだから」

 神は、キッと主を睨みつける。これは最後の反駁だった。死に果てる直前、せめて誇り高く在りたい。


「そうか、神……いや、蔑まれるべき人間よ」

 主は、告げる。

「貴様に相応しい罰は、人の世に堕ちることであろうな。貴様が頑なに信じ込む人間がどれほど救えない生物かを、その身をもって知れ」


 つまりは神に、一人の人間として生きろと罰を下したわけだ。


 主のことだから、将来ある新生児の精神を神のものに置き換えるといった、一人の人生を文字通り消してしまう方法で刑を執行するのだろう。

 それが一番安易なやり方で、人間の命をゴミ同然に考える主ならば平然とやってのけられる。


 主は神を見て嗤った。可哀想な者を見る目で。


 神も微笑んだ。期待が混じっていた、ようやく解放される。神という全ての生物の命を握った、重みから。


 諦めも混じっていた、神が望んだ世界はもう有り得ない。


 神はすげ替えられ、人の命をなんとも思わない主好みの神が新任するのだろう。そのとき、人間がどうなるのかは想像に難くない。


 虐げられ、数を減らされ、文明を奪われる。


 人間の幸せは排除されてしまう。


「さあ、ようこそ新たな神よ。この美しい世界を、代わって導いてやれ」

 扉から開いて暗い塔に光が差し、新たな神が現れた。

 これは同時に、もう今までの神は用済みだということを意味する。


「どうも、管理会から参りました新たな神です。

 前任者様、大変お疲れ様でした。ご安心ください、我が責任を持って前任者様が創った世界を護ります。

 前任者様が好んだ人間も、我ら神の慈悲で残して差し上げましょう。無論、人間が進化競争で生き残れたら、の話ではありますが。

 生命の競争に我ら神は加担しません、世界が崩壊するまでは」


 新たな神は早口で話した。

 同時に悟る、今までの神に残された時間はもう僅かなのだと。

 これから、『魔』の導入が始まる。新たな神も慌ただしい作業に追われるのだ。


「すべては『幻想』の名の下に、神の世界管理権の執行を。

 神々の義務教育ですよね、『幻想』。

 前任者様は義務教育レベルもこなすことができなかったようですが」


 発言の節々から、新任者は神の中でも優等生の部類だとわかる。

 それだけこの世界にかけられていた期待は大きかったのだと神は悟った。


 その期待に、神が応えられなかったことも。


『幻想』か、と神は諳んずる。

 神の言う『幻想』は、魔力であり、魔力を使う生物たちである――そう、それは人間たちの『異世界ファンタジー』に酷似していたのだ。


 そこに、神は一縷の望みをかけていた。


「改めて、お疲れ様でした前任者様。もうそろそろ、出立なされてはいかがでしょうか?」


 新たな神は微笑んだ。そのうらにどんな感情を潜めているのかは定かでない。高度な知的生物で在る神だ、表情の裏を探ろうとするだけ無駄。


「我は、今も人間を信じている」

 それだけ、神は言い遺す。


「まあ!」

 新任者は、珍しいものを見る目つきをする。拙い願いは、伝わらなかったようだった。


「もちろん既知ですよ、あなたがいろいろと工作をしていることは。ちっぽけな人間などが何人と集えど、一体どうやって世界に干渉できるのか。前任者様は、本当に愚かですね!」


「…………」

 全てを託した工作さえも看破され、神は惨敗だった。


「もう、残す言葉はありませんよね?」


「……はい」

 

せめて、美しく散る。


 神は――否、神だったものは、潔く塔から飛び降りた。祈りをこめて、一直線に、人の世へ墜ちていく。


 主と新しい神は、無様に墜ちていくそれに目もくれず着々と作業に取りかかった。

 そして、この世界に早々と『幻想』は導入される。


「ああ、美しい世界だ」

 主は両手を広げ、『幻想』を歓迎した。


 塔から俯瞰した地球は、未だ美しい。


 新たな神も、主のそばで微笑み、地球を見下ろす。

 あの点々とした灰も、じきに豊かな緑で埋められることだろう。


 世界は、大きく動き始めた。

 『幻想』――すなわち、異世界ファンタジーの名の下に。


 

 ###

 墜ちた神は、人の世を彷徨ったのち、生まれた一人の人間と意識を共にした。


 それから月日は流れ、17年後――と言えども、神の感覚からすれば十数年などあっという間だが。


 さて、無味乾燥な神の話はここで終わり、これから始まるのは人間の話だ。雲の上の神などとは関わらず、人の世はまた動く。

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