幻想少女は夜明けを見たくないって。

鳩芽すい

第一編『誰が救うのって。』

序章1 幻想

 歪な世界。確かにあるはずなのに、どこか不明瞭。


 意識を向けていなければすぐに消えてしまう物体たち。


 確かに来たことがある場所なのに、誰かの我が儘によって悪質に歪められているような。


 今日の舞台は、いつも通う高校の教室なのだろうか。そう考えると先程まで授業中だったような気がしてくる。


 不都合なものを覆い隠す量に灰色の濃い霧が立ちこめていて、外界とは隔離されているから、授業中なのかは対して重要でもない話なのだが。


 そう、ここは夢の中。制服を着て夢に漂う女子高生、海衣あまいはそういうことなのだと決めつけていた。


 教室の中心で自分の席に座って、ここでしか会えない一人の少女と隣の席で対峙たいじしながら。


「で、いい加減にしなさいよ」

 海衣あまいが少女に問うた。


「うん?」


 その少女はどこか生気に欠けていて、この教室と同じく存在から異質だ。

 まるで、生きた人間ではないような。


 それでも海衣あまいは慣れたものだった。すでにこの少女とは何度も邂逅かいこうを果たし、とっても仲良しになっている。


「いま授業中だよね?」


「そうだろうね」


「あたし、居眠りしてるってことになってるんじゃあ……」海衣あまいは頭を抱えた。また教師の叱責を食らわなければならないのか。


「いつものことでしょ」


「あんたが呼び出すからじゃない!」


海衣あまいが自分から眠りに落ちてるだけだよ、ちゃんと寝てる?」


「昨夜は冬クールアニメの消化と『私、転生しまして大冒険!』の最新話25時更新ががが……」


「まったく……」


「勘弁してよね! 怒られるのは、あたしなんだから」


「だから自業自得だって」

 少女は呆れ顔でため息をついた。


「異世界ファンタジーはあたしの全てだから、仕方ないよ!」

 対してあくまで海衣は胸を張る。


「そうですかそうですか、怒られてこい……さて」

 少女の雰囲気が一変する。


 海衣もテンションをいくらか下げて、

「……そうね、いよいよ」

 いつものほんわか雑談が終わり、一転して張り詰めた空気が辺りに漂う。


「あたしを転生させてよ、神様!」

 緊張を打ち破くように、海衣は大声で喜びを噛み締める。そう、度々夢に現れるこの少女はこの世界の神様らしいのだ。

 神様とは、異世界転生の象徴。トラックに轢かれるかショック死するかどうにかなったあと異世界へ連れて行ってくれるのはだいたい神様。その神様と夢の中でお話ししている海衣は、どれだけ幸運なことなのだろうか。

 海衣の待ち望んだ異世界転生の権利がこの手にあると断言しても過言ではないだろ「転生できない」


「え、ええぇぇえぇ!? ど、どういうことよ約束したじゃない神様なんでしょお願いしますお願いしますぅどうかこの私めを異世界に転生させてえ……」


 海衣は教室の床に這いつくばり涙ながらに懇願する。

 この命を懸けてでも転生を成し遂げたいのに。


「そんなに、転生したいんだ」

 神様は曖昧な表情を浮かべる。


「もちろんよ!」

 説得のチャンスだ。この機を逃すわけには行かない。


「そもそもこの現代世界があたしに相応しくないの。迫力も興奮もないペーパーテスト、単調で淡々とこなせばならぬ勉強の山。色香と魅力の欠片もない下品で低俗な男共、ただ同じ事を延々繰り返す平凡な毎日」息継ぎをする間ももどかしい。どうか、この熱意を神様に届けて、願いを聞き入れてもらわなくては。「それに対して我らが異世界の素晴らしいこと。迫力満点のバトルアクション、仲間と積み上げる鍛錬の日々、麗しの女の子たち。明日生きているのかも分からない激動が人を輝か「長い」


「はい」正座。


「そんなに良いものでもないんだけどね……異世界。小説は美化しすぎなんだよ、まあ物語として面白くするのは当然だけど」


「え?」

 きょとんとするしかない。


「言っても理解はできないと思うけど、そもそも世界の間の往来は簡単にできることじゃない。大神の理解も必要だし、特段の事情がないと転生先に受け入れてもらえない」


「そこをなんとか!」


「それに、何度も言ったように私は「元」神だから。今現在は肉体さえ持たず、海衣の中に居座らせてもらっている、何もできない意思」


「そう……」


「うん、海衣のお願いは叶えられない」



「だけど」

 神様は海衣に背を向けた。神様の呼吸音が他に誰もいない教室に響く。


「この世界が『幻想』に染まる――異世界転向、つまりこの世界が異世界ファンタジーになることで、君の願い通りになってしまう」

 人の世に墜ちた神は、そう告げた。

 とてもとても、悲しくて残念なことに。


「へ……?」

 一瞬の緊迫は、すぐに霧散する。


 神様の痛切な顔は、神様が顔を背けていたことで海衣に気がつかれず、海衣は突きつけられた言葉を反芻し理解することに時間をかける。


「あたしが異世界転生するんじゃなくて、あたしが住んでる現代世界が異世界転生するって?」


「海衣流にいうとそうかもね」

 神様は、顔を海衣にむけて微笑ましそうにした。


「それって、どうなるのかよく分からない」

 この世界がファンタジーになる。それって一体どういうことなのか、想像がつかなかった。


「海衣が好きな、異世界ファンタジーの要素は?」


「バトル、仲間、恋愛、無双!」

 海衣は迷いなく挙げる。


 それを聞いて、神様は窓の外を眺めながら思考に時間をとり、海衣のほうを向いて話し始める。


「まず、バトル。ファンタジーの要素を持つ『幻想者』が、この世界には既に存在している。君も『幻想者』に含まれるんだろうね。

 魔法とかを使える、まあ亜人というべきか。この世界では獣人、魔女、幽霊なんでもあり。

 既に街をこっそり歩いているかもしれないよ。そのうち、魔獣とかモンスターも現れるだろう。両者がぶつかったとき……戦闘開始?」


「おお!」

 神様の口から次々飛び出す単語に海衣は興奮気味だ。


「舞台が現代世界になるわけだから、大人たちと敵対することもあるかもしれないね。政府や大企業との駆け引きとか。自分たちの信念を通すための戦いだよ」


「おおお!!」


「次に仲間。今晩、君は三人の『幻想者』である少女たちに出会うはずだ。私が仕掛けておいた。出会いを大切にして、仲良くなってほしい。信じてる」


「おおおおおっ!!!」

 海衣は興奮で顔を真っ赤にする。


「そして恋愛。さっきも言ったように少女4人だし、恋愛に発展するのかはあなたたちの裁量でご自由にどうぞ」


「いっこうに構わん。むしろ歓迎」


「そうですか。最後に……無双か、まあ諦めろ」


「え、神様じゃないのチカラくださいよ」


「ずうずうしいなあ。神様が個人に干渉することは『大神教典』により禁止されています。生まれ持った力でがんばりな」


「そんなあ……」


「自分の力を磨けよ、あとは仲間を頼れ」


「異世界転生の醍醐味が……仲間を頼るとか情けないよ……」


「贅沢言うな」


「……はぁい」


「時間がないから説明は簡単にしかできなかったけど、あとは体で慣れて」


「ん、わかった! あんまり説明受けてもメタいし、あとはあたしが道を切り開くのみだね」

 無双がないと聞いて落ち込み気味だったが、海衣は気を取り直したようだった。


 無双がないとはいえ、憧れだった異世界がやってくることは海衣にとって、幾千万もの富が手に入ることよりも断然嬉しいことなのだ。


「よし。……最後に、聞いておこう。海衣は、何になりたいの?」

 神様は窓の向こうを向いて尋ねた。海衣の心に、海衣の今からの礎を問われる。


 もちろん、答えはずっと持っていた。あの世界に憧れてから、ずっと。


 だから、訊かれるまでもなく、自然と胸の奥から発される。


「あたしは、『主人公』になりたい」


「……そうか」


「みんなの中心で輝いていて、どんな壁でも乗り越えて、仲間と笑いあえる、そんな主人公が好き。あたしも、そんな『主人公』に憧れてるんだ」


「それでこそ海衣だね。がんばって」


「うん!」


「きっと、海衣なら叶えられるよ。私が言うまでもないかもしれないけれど、仲間を大切に。そして自分も大切に。あなたのその温かい優しさを、忘れないように」


「わかった」


「それと、この世界の異世界転向は君の願いのせいじゃない。私とも君とも違う別の者の業だ。だから、これから起こることで、自分を責めないで。」


「……言いたいことはこれくらいかな。あとは、目一杯楽しめるところは楽しんで」


 神様は海衣から目を逸らし、二人だけの教室の窓を見た。


 この世界のそこには、何も移っていない。ただ純粋な空白がそこに在るだけだ。


「あ……もうそろそろ、お別れだ」


 神様は別れを惜しむように、小さく呟いた。


「また会おうね! この世界は任せとけ!」


 海衣は神様の寂しさを追いやるように、明るく謳う。神様の返事は、なかった。


「……だまして、ごめん」


 神様の小さな呟きを、海衣は聞き漏らさない。


「どういう……」


 意味なのか。海衣は尋ねようとしたが。


 海衣が問いかける前に、神様と海衣の二人だけの世界は白に染まって、泡が割れるように失われた。


 こうして、世界が大きく動き始める、重大局面前で。


 神様と人間の邂逅は、不完全燃焼のうちに解散となった。



###




 意識が、だんだん近づいてくる。自分の心を身体に繋ぎとめる感覚。


 まぶたが重い。耳に刺さる罵声が聞こえる。


「おい、未末! 未末海衣! 今日も俺の話を聞かずに居眠りしやがってこのサボり魔がぁ!」


 夢の世界から帰還した海衣を出迎えたのは、現代社会のくそ教師だった。

 この教師の攻略方法は知っている。


 海衣は目元をこすって、

「ごめんなさい、先生によると政府とか某IT大企業はなんか企んでてなんか隠してんですよね。興味深いです、ええ」


 海衣は寝ぼけた頭で適当に返した。


「そうそう、政府は間違いなく悪をくわだてている。ひょっとすると戦争なんかおっぱじめるかもしれんぞ。最近の声明には不可解なことが多すぎる。最近だとテロリストの都市襲撃とかあったけどな、あれ怪しいぞ」


 教師は熱弁に語りはじめてくれた。


 この教師はよく分からない持論について授業中にも語り出すから、それに興味があるようなフリでもして話題をそらしてしまえば海衣の勝ち。


 教師の語る陰謀が真実かはどうでも良かった。


「って話をそらすなやオンドリヤァ!!!!!!!」


 こってり怒られた。神様が授業中に呼び出すせいだ。なんかクラスの人たちがあたしを見てくすくす笑っている。海衣はうんざりした。


 大きくあくびをして、背伸びをした。教室に再び、怒号が響く。





 平和な教室の裏、世界は刻々と『幻想』に染まりつつある。

 それを知るのは、神と、社会を動かす上層の大人たち。


 ――そして、これから世界と対峙することになる『主人公』、海衣もその一部を知ってしまった。

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