2-4
ゴーレムは相変わらず暴れている。壁が崩れる音が止まない。
その音を無視して、リズアの声に耳を傾ける。
「私の部屋に、砂があったでしょう? 私の体だったもの。あれを体内に取り込む。そうしてくれれば、干渉できるようになると思う」
「あれか。あの砂を食えってことか。不味そうだな」
「何言ってるの。砂になっちゃったけど、あれでも私の体だったんだよ。美味しいに決まってる」
「苦くなければいいや」
「きっと甘いよ」
「かもな。それで、どれくらい食えばいい?」
「わからないけど、なるべく多くかな。少なすぎると不安があるから、可能な限り多く」
「水もないんだ。一口が限界だと思ってくれよ」
「その後は私がやるから」
「頼む」
壁が崩れる音がした。ゴーレムは虱潰しにこちらを探している。
金属の足音はよく聞こえた。おかげで距離がよくわかる。
しかしゴーレムはなぜ、執拗に追ってくるのだろう。一度見たものは、確実に殺すように命令されているのだろうか。
だとしたら面倒くさいことこの上ない。見失ったならあきらめてほしいものだ。
どれだけ待っても、ゴーレムはクオイトを探し続ける。
すぐ近くで瓦礫が崩れ、余裕はないのだと思い知らされた。このままだとまもなく対面してしまう。
顔を合わせるならこの部屋では駄目だ。壁に追い詰められたら逃げ場がなくなる。
足は向こうが速いのだから、なるべく距離を縮めたくない。少なくともリズアの部屋まで逃げられるだけの間隔を、維持し続ける必要がある。
「出よう」
逃げるなら今しかない。扉に手を触れる。
「気をつけて」
その言葉には答えず、一気に扉を押し開けた。
リズアの部屋は覚えている。頭で作成していた地図を想起した。
開けっ放しの扉の影に隠れながら全力で走る。ゴーレムもすぐこちらに気がついた。かなりの速度で追ってくる。
後ろから床を蹴る音がする。それは次第に大きくなる一方だ。
クオイトは一度振り向き、ゴーレムを直視した。マジックアイテムを使用する。
ゴーレムの周囲が暗くなり、すぐに一帯が闇に閉ざされる。先程と同じなら、これでゴーレムは動きを止めるはず。
しかし鉄塊は止まらない。ちょっとした学習能力を備えているようだ。闇に捕らわれても、前に進めば光が見えてくる。そう学んだのかもしれない。
厄介だ。闇で包んでも、強靭な脚力で抜けてくる。ならば。
クオイトは銃を取り出す。そもそも目を潰せば問題はない。
無駄な足掻きだと理解しつつも、目を狙い射撃する。
ゴーレムは走っていた。もちろん目は上下している。さほど大きいとは言えない上に、激しく動く的に命中させるのは至難だ。
加えてクオイトも走っていた。銃を持つ手も定まらない。
そんな状況で目標に命中させるのは困難だった。実質的に不可能だと言ってもいい。
しかしクオイトにとっては日常茶飯事でもある。
風がない屋内。銃弾は真っ直ぐ飛んだ。そしてゴーレムに命中。当たった場所は、狙い通り右目だった。
全てうまくいった。しかし何も変わらない。ゴーレムの目は銃弾を弾く。足取りに一切乱れがない。それどころか足が速くなったように感じられた。
これは追いつかれる。そう直感した。
少なくともゴーレムが視覚に頼っているのは間違いないだろう。他の感覚を持っているとしても、目が重要なことに変わりはない。
つまりこちらの姿が見えなければ、ゴーレムは目標が定まらないはずだ。
クオイトは通り過ぎる扉を、ひとつだけ開けた。そしてその周囲を、マジックアイテムで闇に閉ざす。これでゴーレムからは、扉とクオイトの姿が見えなくなったはず。
部屋に入ったと思わせるため、扉を強く閉め、音を響かせた。
闇はこのまま置いておく。離れれば効果範囲外で、闇は消えてしまうだろう。しかしその頃には、ゴーレムと距離を空けられるはずだ。
クオイトは自分の周囲を暗闇に閉ざす。こうすれば間違いなく、ゴーレムに姿を見られない。そのままひたすら通路の先へ急いだ。
周りは暗闇だ。目を開いても閉じても、何も変わらない。しかし歩数はわかる。移動した距離も。頭の中にある地図が、目の代わりを果たしていた。
ゴーレムはクオイトが入ったように見せた部屋を破壊していた。しかしすぐに誰もいないと理解したようで、足音が迫ってくる。しかし十分な足止めにはなった。
それ以降の小細工は無駄に終わる。ゴーレムが闇がある場所にクオイトがいると、学習してしまったのだろう。
ずっと鬼ごっこをしていたら、いずれはこちらが負ける。足の速さもそうだが、持久力もゴーレムが上だ。与えられた魔力を失うまで、延々と全力疾走を続けられる。
しかし終点があるなら話は別だ。リズアの部屋はすぐそこ。
クオイトはマジックアイテムを解除し、周囲の闇を消し去った。
扉をもぎ取る勢いで、半開きの扉に手をかける。
ここが目的地だ。中は変わらずリズアの部屋だった。中央にはベッドがあり、ベッドの上に砂がある。
これを口にするのか。正面にすると抵抗感が湧いてくる。今まで砂を口にしようと考えたことなど一度もない。
しかし今更だ。迷っている時間もない。
クオイトは心を殺しベッドへ駆け寄る。乱暴に砂を握りしめた。
「もし私がクオイトの体を奪ってしまったら、そのときは本当にごめん」
「ゴーレムに殺されるよりはマシだよ。でもリズアが気になるなら、そのときは悪魔祓いをやってるやつに頼んでみたらどうだ。私を祓ってくださいって。そうすりゃ俺が帰ってくるかも」
「なにそれ。私と悪魔と一緒にしないでください」
軽く頭を弾かれたが、リズアの指は透けていて、痛みも何もなかった。
今のが辞世の句にならなければいいが。
砂を掴んだ手を、口元へとやる。迷いが生じないよう、勢いに任せて頬張った。パサパサとしたものが口の中を支配する。吐き気もわずかながら感じられた。
ゴーレムが追いついた。壁が壊され衝撃が風となる。ベッドに残った砂の一部が、風に流され床に散らばった。
瓦礫を踏みつけるゴーレムを眺めながら、強引に喉を動かす。舌や歯に細かい粒が残ったが、大部分は喉を通り――。お腹の辺りが、温かくなった。
『借りるよ』
その言葉と同時にゴーレムが飛びかかってくる。
避けねばと思ったが、すぐに自分の体が動かないことに気づく。
このままでは潰されてしまう。時間が凝縮されて、ゴーレムの姿が極限まで遅く見える。
どう対処するべきか。脳内会議が自動的に行われ、最善の対応策が弾き出される。しかしやはり体が動かなかった。
ゴーレムにより接近され、最善の対策が不可能になる。次善の策すら難しい。
絶望を思ったとき、酔ったように全身がくらりと揺れた。
次の瞬間ゴーレムの体が吹き飛び、転がった。
何事かと理解する前に、次の動きが起こる。
飛ばされたゴーレムがすぐ足元に現れた。正確には違う。クオイトがゴーレムの元まで移動したのだ。空間転移による瞬間移動だった。
唇が勝手に動き出す。
『やっぱりうまくいった。ということは、この部屋は私の記憶から再現された、仮初の場だったんだね』
自分は何を言っているのだろう。疑問に疑問が重なり、もはや何がわからないのかすら、わからない。
クオイトの目が下に向いた。再び全身がくらりと揺れる。するとゴーレムの全身に青白い光が走った。
ゴーレムは手足をバタバタと動かす。その動きは次第に落ち着いていき、最後には全く動かなくなった。
『終わったよ』
その言葉とともにクオイトは自分の体を取り戻す。はっとして手足を動かしてみると、何も問題なく自由に動いた。リズアは体を奪ってしまうかもしれないと言っていたが、そうはならなかったようだ。
しかしあんなに驚異だったゴーレムを、こうも簡単に退けるとは驚いた。リズアは魔術師の中でも優れていたのかもしれない。
「今の、リズアか? このゴーレムはもう動かないのか?」
『もちろん』
「ありがとう。助かった」
不思議な感覚があった。自分の体の中にもうひとりいる。
頭の中に声が響き、それに対して言葉を返す。まるで独り言を嗜んでいるように思えてならない。
リズアの姿はどこにも見えなかった。かと思うとすぐ隣に現れる。少し透けていて地面からわずかに浮いていた。
にこりと笑いかけられた。どう返せばいいものかわからない。
リズアが見上げた。つられてクオイトも見上げた。頭上には天井だけがある。
『ここももう終わり。今までありがとう』
リズアが目を閉じると、周囲が変わりはじめた。天井が消えていく。壁が消えていく。床が消えていく。この施設そのものが霧が晴れるようになくなった。リズアの部屋もベッドも砂も、全てが跡形もなく消滅した。
何が起きたのかわからない。リズアに問えば答えてくれるだろうか。
横目を向けてみる。リズアは何かの余韻に浸っているようだった。声を掛けづらい。
施設が消えると残ったのは洞窟だけだった。真っ暗な洞窟である。
わずかに残った施設の光がなくなると、周囲は暗闇に閉ざされた。
すぐに光が灯った。リズアが魔法で作ったものだった。綿毛のようにふわりとしながら、優しい光を出す。
クオイトの体がくらりと揺れる。ゴーレムを正面にしてたときにも味わった感覚だ。どうやらリズアが魔法を使うと起こるらしい。リズアの魔法で消費されているのは、クオイトの魔力だった。その副作用なのだろう。
クオイトは知識で魔法を知っていても、実際に使った経験はなかった。これが魔法を使うということ。頭が揺さぶられるようで辛い。
リズアからいろいろと話を聞いた。さっきの施設は何故消えたのか。それとクオイトの今後についてだ。
まず施設についてだが、あれはリズアの記憶から生成されたものだそうだ。砂と化しても残っていたリズアの体が作り出していた。魔法の残滓だとか言っていたが、正直よくわからない。クオイトが砂を食べたことで、施設を保てなくなったそうだ。
クオイトはリズアの体を食べた。砂状になっていたが、あれは間違いなくリズアの肉体で、クオイトはそれを口にして取り込んでいる。
その結果リズアがクオイトに吸収された。リズアはクオイトの肉体を自分のものとして認識できるようになり、ふたつの心がひとつの肉体に同居することになってしまった。
リズアはクオイトから離れようと試みる。しかし失敗した。
「あれぇ? どうしよう。本当に離れられないんだけど」
どうやらリズアも予期していなかったらしい。本当に困ったように言うものだから、クオイトは笑い、どうでもよいと思ってしまった。
リズアの心は完全に定着。文字通りの意味で、一心同体となったわけである。
クオイトが「トイレや風呂も一緒なのか?」と訊くと、リズアは『きっと墓まで一緒だよ』と答える。
「それはキツイかもな」
「ああそうだ。魔法はなるべく使わないでほしい」
『どうして?』
「頭がくらくらするんだよ。体を共有してるならわかるだろう?」
『魔力が足りてない証拠だよ。もっと魔力を増やしなさい』
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