2-2
隙間は細く、覗いても何も見えなかった。内を確かめたいなら部屋に入るしかない。
どうせ全ての部屋を順番に回るつもりだった。いずれはこの部屋にも来ていただろう。順番が変わるだけ。
出どころ不明な緊張を押し切って、扉に手を触れる。ゆっくりと手前に引くと、扉はあっさりと開いた。「キィ」と、さっき聞いた音が鳴る。
そこは明るかった。今までの部屋とは違い、窓がついている。
何より驚いたのは、窓の外が見えることだ。そこは中庭のようで、中央に木が生えている。
庭は長い年月、放置されていたのだろう。草が勝手に生い茂っている。窓に掛かるほど高くまで雑草が伸びていた。
部屋を目だけで見回す。生き物は存在しなかった。クオイト以外には何もいない。まるで時間が止まっているかのように、しんと静まり返っている。
どうやらここは寝室のようだ。部屋の中央にはベッドがある。クローゼットや椅子テーブル、サイドチェスト他にも色々と家具が並んでいた。人が生活するための家具ばかりだ。
それら家具は例外なく酷い劣化をしている。塗装が剥げるのは当たり前。底をぶち抜かれた本棚は、もはや原型すらない。
屋内で雨風と無縁だったからだろう。それでも残るものは残っていた。
特にベッドは綺麗だった。廃棄所にあるものよりも状態は酷いが、この部屋の中ではかなりの美人さんだ。
そのベッドに目をやった。上部に何かが大量に積まれている。白い粒子状のものだった。
「これは? 砂か?」
触れてみると確かに砂だ。とても冷たく心地良い。指に残らず、サラサラ下に落ちていく。とても軽く、目が細かい砂だった。風が吹けばあっという間に飛ばされてしまいそうだ。
他に目につく物はなかった。窓の外くらいだろうか。
ここの窓には取っ手がある。部品が錆びているが開け閉めできそうだ。
砂に飽きて、窓を確認しようとしたときだった。
「こんにちは」
突然の声に振り向く。
扉は開け放たれたまま。他には何も存在しない。誰もいなかった。
聞き間違えか? いいやそんなはずはない。今の声ははっきりと聞こえた。優しく温かな声だった。まだ耳に張り付いている。
その何者かを探す。声を掛けてきたところから察するに、幸い敵ではないようだ。
しかし味方とも思えない。姿を隠す理由は何だ。こちらを警戒しているだけだろうか。
銃に触れようと、懐に手を差し込んだときだった。ベッドが軋む。
「こっちだよ」
声に導かれ、目だけでベッドに振り向く。そこには足を組んで座る女性がいた。紫の瞳孔に、つややかな黒髪。
クオイトが硬直したのは、邂逅があったからではない。あまりに美しく見惚れてしまったからだ。
本来であれば飛び退いて銃を向けるところだ。しかし今のクオイトはそれを忘れる。
「こんにちは」
その声色は春花のように芳しい。微笑みは月明かりのように落ち着いた。
「お客さんなんていつぶりかな? お名前を教えてもらえる?」
問われてようやく、自分が固まっているのだと気づく。クオイトは問い返した。
「あなたは?」
「私はリズア。魔法使いです」
「俺は――」
ようやく思考力が戻ってくる。そこで本名を伝えて良いものかと、疑問が浮かんできたのだ。
彼女はなぜこんな場所にいる? そもそもここはどこだ?
「どうしたの?」
「いいえ。なんでも……」
彼女は……リズアは知っているのだろうか。ここがどこなのか。
クオイトは自分の目的を思い出した。黒翼の杖を手に入れる。そのためにはエン・カイヤの邸宅まで戻らなければいけない。
「ここはどこだ?」
「私の部屋だよ」
リズアは平然と言う。眉間にシワを寄せざるをえなかった。
「言っちゃ悪いが、こんな部屋が?」
「いやねぇ、昔は綺麗だったんだよ。昔は。いろいろとあって今はこんなだけど、このベッドだってお気に入りだった。もはやオンボロ過ぎて、今これで眠ったら、朝が来るよりも先に足が折れちゃうよ」
ここはどこかという質問は、部屋ではなく建物全体についてだったのだが。意図がずれて伝わってしまったようだ。しかし今更訂正しずらい。それに新しい疑問も生まれた。
「昔はって、どういう意味だ?」
「そのままの意味。朽ちる前はね、綺麗だったんだ」
リズアは優しくベッドを撫でるようにした。その動きは、どこかぎこちない。
朽ちる前と言っていた。それはいつ頃のことだろう。劣化具合から察するに、ここ数日どころか数年ですらない。
古代遺跡とされる建造物よりは状態がいいが、かなりそれに近い。数百年かまさか千年以上は経っていないだろうが、可能性はあると思う。
そんな時代から生きているなら、もはや人間ではない。冗談だと思いたいが、リズアの仕草に冷やかしはないように思える。昔を懐かしんでいる自然な雰囲気だ。
リズアの外見は完全に人間だった。しかしその実、長命な亜人なのかもしれない。服で隠れている部分に、しっぽや鱗など人にはない器官が備わっている可能性もある。
人間でも全身を機械化すれば長生きできる。しかし遥か昔に、機械技術があったなんて話は聞いたことがない。
やはりリズアは亜人なのだろう。でなければここまで長生きは無理だ。
そう納得できれば単純なのだが、ここまで人間にそっくりな亜人の話も、おとぎ話ですら聞いたことがない。
「長生きしている。ということか?」
我ながら馬鹿みたいな質問だったと思う。リズアはポカンと目を丸くする。それから、堰を切ったように突然笑い声を上げる。
「長生き? 全然全然。だって、私死んでるし」
リズアは手を差し出す。無言だが握手を求められた。小さな手がクオイトの眼前で開かれている。
すぐには手を取らなかった。警戒してしまったのだ。急な握手。ただの握手とは思えない。恐ろしさを感じてしまった。しかしそれ以上に興味が湧く。リズアは無垢な顔で何をするつもりだ?
クオイトも手を伸ばす。お互いの手が重なっていく。
「……」
握手は叶わなかった。クオイトの手は、リズアの手をすり抜けてしまったのだ。実体がなかった。まるで幻のように手が透ける。
リズアはベッドに積もる、砂の山を見下ろした。
「ほら、これが私の体だよ」
「砂じゃないか」
「時間が経ってこうなっちゃった。まともな腐り方ができなくてさ」
「俺は一体、何と会話しているんだ」
「魂? 残った情念か魔力の集合体? 今の私はそんな感じだと思う。自分でも本当のところはよくわかってないよ」
「生き物の気配がしないわけだ」
精霊みたいなものか。クオイトはそれを答えとして、自分を納得させる。否定されたらまた疑問が増えるので、確認はしなかった。
クオイトはリズアに背を向けた。壊れかけの椅子を見つけて、そこに慎重に座る。底が抜けないか心配だったが、しっかりと体重を支えてくれた。少なくとも今の所は。
背もたれに肘を置くと、パラパラと僅かに木屑が落ちた。
「そういえばまだ名前答えていなかったっけ。俺はクオイトです」
「よろしく。クオイト」
ここは大きな廃墟である。このところ人が入った形跡はない。リズアも久しぶりの客人と口に出していた。
つまりはこの建物は、まだ誰にも発見されていないと推測できる。
クオイトが落ちた穴は、空間転移させる魔法だったのだろう。だから落ちても怪我すらしていない。
これが黒翼の杖の能力か。なるほど、みんな欲しがるわけだ。
視界内での転移ならともかく、遥か遠い場所までふっとばすなんて、尋常じゃない魔法だ。人間が使える魔法の限界を超えている。少なくとも現代にそこまでの魔術師は存在しない。
しかしかつて魔法が栄えていた時代、そういった魔法も実在していたと聞いている。おかげで納得はできたが、今後を考えると……さてどうしたものか。
しばらくサバイバルだ。幸い草木が生い茂っている。水や食料の確保は、砂漠や寒冷地と比べたら簡単だ。魔物や亜人の軍に囲まれでもしない限り、生きていけるだろう。
まずは方角を確認し、居場所の大まかな検討をつけ、歩いて帰る。そのための情報収集だ。
「突然だけど、訊いても?」
「どうぞどうぞ」
「この施設はなに? 妙にでかいけど」
施設の目的がわかれば、ここが地図上のどの辺りにあるのか推測できるかもしれない。
「私の家みたいなものかな? 兼、魔法の研究所。破棄された宗教施設を改修して作ったの。昔はそこそこ有名だったんだよ」
「聖堂っぽいってのは勘違いじゃなかったってわけか」
「上のこと? あそこは私たちの宴会場だった。対外的な説明をするときにも使ったね」
「なるほど」
ということは、人が行き来できるところに作られた施設。気候条件や宗教上の関係で、人里離れた場所に建てられた説はナシだ。
大きな聖堂だったので、きっと周囲には民家があるはずだ。もしくは民家だった残骸がある。
かつて教わった、遥か昔に繁栄していた文明を思い出す。現代の生活圏から隔絶された、過去に繁栄していた都市とはなんだ?
「クオイトはどうしてこんなところに来たの?」
「来たくて来たわけじゃないんだよ。なんて言うのかな。落ちた先がここだったんだ」
「はぁ? 落ちてきた? どこから? 空の上?」
「魔法都市のとある邸宅からなんだけど。おそらくマジックアイテムで床に穴を空けられたのかな。穴に落ちたらここに着いたんんだ。ちなみに魔法都市は地上にある街で、空ではない」
「魔法都市? 私が死んだ後にできた街かな? というか私が知っている街でまだ残ってるのあるかなぁ。死んでから時間が経ってるっぽいからなぁ。それでその街から落ちたら、どうしてここに行き着くの? だって穴に落ちたら地下に行くでしょう? ここ、地下じゃないんだけど」
リズアは窓の外を見やる。外は明るく日が照っていた。確かに地上にしか見えない。
「おおかた、空間転移させられたんだろうな。まさか昔話でしか聞かない魔法を体験できるとはね」
「ふーん。転移ねぇ」
クオイトはリズアの視線を追っていた。窓の外はよく晴れている。
あれ? 疑問が浮かんだ。クオイトは外を睨みつける。今は何時なのだろう。時間がわからない。
エン・カイヤ邸が襲われたのは夜だった。クオイトが穴に落ちたのも夜だった。しかし外は陽気に恵まれている。
まさか考えていたよりもずっと遠くまで飛ばされたか? 昼と夜が逆転するほどに。
歩いて帰れるかすら怪しく思えてくる。魔法都市との間に、海が挟まっていたら最悪だ。船は造り方どころか、漕ぎ方すら知らない。
とりあえず外へ出るとしよう。ここにいては何もわからない。食料の確保も必要だ。
壊れかけの椅子から立ち上がる。
「俺はそろそろ行く。ここで長話をするよりもやらなきゃいけないことができた」
と言ってみても、この場に戻る可能性は十分すぎるほどあるのだが。老朽化が酷くても、雨風をしのげるだけで魅力的だ。
「そっか。残念。お見送りだけでもするよ」
リズアは表情を曇らせる。ふと考えてしまった。リズアはどれだけの間、ひとりだったのだろうか。
「リズアはここを離れられないのか?」
「難しいと思う。ちょっと離れるくらいならできるかもしれない。でも遠くへは無理かな。依代があれば別かもだけど」
「依代か。例えば?」
「人形とか? あとは生前に大事にしていたものとかじゃないかな。私が今こうしていられるのは、この部屋が私にとって特別だったからだと思うし」
つまり、リズアは永遠にここでひとりってわけか。それはまた随分と淋しい話だ。
「まあ、暇になったらまた遊びに来るよ」
「優しいのね」
「次は土産話でも用意しておく」
「それは楽しみ」
リズアの外見が魅力的だったのもあるだろう。なんとなく彼女に肩入れしたくなったのだ。たまになら会うのも悪くない。リズアは魔法使いだと名乗った。話をすれば昔の魔法について聞けるかもしれない。
気がつくとリズアは扉の前にいた。
「出口はわかる?」
「わからない。ところどころ崩れて、通れない場所もあるし」
「じゃあ案内してあげる。秘密の裏口までね」
案内に従って通路をゆく。崩れた通路を見て、リズアは何度も顔をしかめる。そのたびに遠回りをさせられた。
クオイトの頭に地図が出来始めていたころ、小さな扉にたどり着く。
「ようやく着いた。ここから外に出られるよ」
「ありがとう。助かった」
部屋から離れたからだろうか。リズアの体が透けている。
「ここでお別れか。会話すらまともにしていない、名前くらいしか知らない間柄だが、なんか後ろ髪を引かれるものがあるな」
「じゃあ一緒に暮らす?」
「リズアがまだ生きていれば、それも悪くなかったかもな」
「そっか。残念」
クオイトが扉に手をかける。
「じゃあ、またな」
手を振るリズアから、扉へと顔を向ける。扉はサビで固まっていたが、力で強引に押し開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます