2-1
――。
突然目が冷めた。心臓が肥大したかのように、大きな鼓動が聞こえる。
仰向けから上体を起こす。爽やかな風が背中に触れた。
ここはどこだ?
目に入ったのはひび割れた柱だった。丸い石柱が、高い天井に伸びている。
柱は他にもあった。とても広い部屋を支えている。
「ここは? 聖堂?」
そう見えた。クオイトはいくつか神を祀る聖堂を知っている。それらに酷似していた。
違う点は退廃しているところだ。窓は割れ、絨毯はくたびれ破れ、床石には亀裂、壁には蔦が這っている。
崇拝対象を象徴する、像や印は見当たらない。劣化により失われたわけではなさそうだ。始めから存在しなかったかのように、正面の壇上は整理されている。
もしかすると聖堂ではなく、単なる講堂なのかもしれない。しかしそれにしては雰囲気が厳かだ。
ここにはクオイト以外には誰も居ない。虫や動物の姿もなかった。
止まった時間に迷い込んだかのように周囲は静かである。もしかしたら鼓膜が破れているのかもしれない。それくらい静かだ。
周囲はよく見える。光の心配はない。割れた窓から、真っ白で外が見えないほど強い光が差している。
どうして自分はこんなところに居るのだろう?
直前の記憶を探ると、黒翼の杖が頭に浮かんだ。
そうだった。エン・カイヤ邸の隠し部屋で、突然空いた穴に落ちたのだ。それから先の記憶がない。
あの穴は黒翼の杖の能力で作られたのだろうか。
クオイトは見上げる。穴から落ちてきたなら、真上に穴があるはずだ。
しかし穴はなかった。代わりに何かが落ちてくる。それはクオイトの銃だった。
床に落ちる前に受け止める。触れて間違いないと確信した。やはりこれは自分の銃だ。触り心地に心当たりがある。
銃は上から落ちてきた。ということは、やはり落下してここまで来たのだろうか。
しかし窓からはとても明るい光が差す。ここが地下とはとても思えない。
とりあえず立つとしよう。ここが地下でも何でも、出なければいけないことに違いはない。
銃を懐にしまってから、行動を開始する。
ここから外へ出るということで扉を探した。振り向くだけですぐに見つかる。おそらくここの正面入口。とても大きな扉だった。
しかしひとつ問題がある。扉は瓦礫に塞がれていた。天井の一部が崩れたようだ。
瓦礫はひとつひとつがクオイトよりも大きかった。退かそうなんて、考えもしないほど無理だ。
では窓から出るか。窓は割れている。出られないなんてことは無いだろう。
目についた窓につま先を向ける。窓の外は真っ白で、景色は少しも楽しめない。
もしかしたら外は崖になっているかもしれない。確かめるためにも窓へと近づいていく。その途中で足が止まった。
視界の端に、人影が映った。そんな気がした。
首をそちらに向ける。しかし人の姿などなく、古ぼけた聖堂が広がっているばかりだ。
見間違えだったのだろうか。気配もなにも感じられない。
本当に人がいるなら、微かでも音があるはずだ。ほぼ無音のこの場にあるのは、やけにうるさいクオイトの心音だけだった。
「念の為だ。確認だけでもしておくか」
小さくつぶやいた独り言は、やけに大きく聞こえた。
動く影が見えたのは、聖堂の奥だった。奥には高さが腰の辺りの講壇がある。そのさらに裏側だ。
まずは講壇へ上がる。傷んだ階段が崩れないよう気をつけた。講壇の奥には仕切りのような壁がある。影が見えたのは、この仕切のところだ。
仕切りの向こう側を確かめた。しかし人の姿はない。代わりにはならないが、ひとりが通れる狭さの下へ続く階段を見つける。階段の下には扉がついていた。
もし本当に人が居たなら、この扉の向こうに消えたのだろう。他に行く先がない。
しかしそうなると不自然だ。心臓の音が聞こえるほど静か過ぎるこの場で、扉が動く音が響かないはずない。
開けっ放しになっていたなら理解できる。ところが扉はしっかりと閉まっていた。ヒンジは錆びて、しっかりと扉としての役目を果たすかも怪しい。
見間違えだったか。そう考えるのが自然だった。
少し神経を尖らせすぎていたようだ。きっと自分の髪かなにかが、人の影に見えたのだろう。
人がいないとわかり、ひとつの疑問が解消された。それと同時に新しい興味が心をくすぐる。
この扉の向こうはどうなっているのだろう。
ここが聖堂の表なら、扉の向こうは裏側だろう。もしかしたら事務室を見つけられるかもしれない。そこに何かしらの資料が残っていれば、この聖堂の詳細がわかる。
扉の前に立ちノブを掴む。それは冷たくて、手がひえた。
扉は木でできている。腐って落ちるのではないかと、ドアノブを慎重に握ったが、意外とまだ頑丈だった。少しくらいなら乱暴に扱っても問題ないだろう。
枠か扉そのものが歪んでいるようで、ちょっと力を入れた程度では動かない。全力で引くと、床を削りながらなんとか通れるだけの隙間を作れた。
パラパラと砂が落ちた。何事かと見上げると、ドア枠がへしゃげ、天井に亀裂が入っていく。
「これ、もしかして崩れるか?」
どうやらここは、いつ崩れてもおかしくない状態だったらしい。扉を開けた影響で、崩れるまでの猶予がなくなってしまったのだろう。
前へ進むか、後ろに戻るか。二択を迫られる。進むなら崩落する前に急がなければいけない。迷っていられる時間はなかった。
クオイトは前へと走る。後ろよりも情報を得られる予感があった。
通り抜けを確認したかのように、天井が崩れていく。その勢いは凄まじかった。もし下敷きになったと思うと身の毛がよだつ。
ホコリが舞い上がり、周囲を包む。クオイトは口と目を塞いで前へと足を出した。十分なだけ前へ出てから、ホコリが収まるのを待った。
収まり振り向くと、そこにあった通路は小人でも通れないほど、隙間なく埋まっている。もう戻れない。
後悔はしていないが、不安がよぎる。この道が間違いだったなら。
考えても仕方がない。もしかすると迂回する形で、聖堂へ出られる可能性もある。
クオイトは自分の考えに頷き、瓦礫に背を向けた。
ここは通路である。歩くだけなら広さは十分。向いて右側にはいくつもの扉が並んでいた。
開けて中を確かめたいが、さっきを思い出すと気が重い。また天井が崩れやしないかと、つい見上げてしまう。天井に亀裂は入っているが、崩れそうな箇所は見当たらない。
慎重にひとつめの扉を開く。その部屋は窓もなく暗かった。空気が漏れて、首筋がひやりとする。
部屋の中は、四角の空間が広がっているだけだった。床に黒ずみがある。他にはなにもない。家具も物も、人の姿も何も。
ここはハズレだったか。次の部屋へと進んだ。
次の部屋も窓がなく暗かった。
広さも先程の部屋と同じだが、ひとつ違う点があった。部屋の中央に椅子がある。木の椅子だった。こちらに背もたれを向けている。他にはなにもない。その椅子は草臥れ、座るだけで壊れてしまいそうだ。
次の部屋はどうだろうと、新しいドアノブに手をかける。そのとき視線を感じた。
銃に触れつつ、そちらに振り向く。
向いた先は通路の奥だった。通路は左に折れるまで、真っ直ぐ伸びている。突き当りには眩しい窓があるだけだ。
何もいない。人どころか虫や小動物すら。
しかし視線は確かにあった。今でもまだ、横顔を焼かれるような感覚が残っている。細い針でチクチクとされるような、嫌なくすぐったさだ。
先に見に行くか。確認をしないことには始まりそうにない。先程の視線はなんなのか、気になって仕方がなかった。
順番に部屋を見ていくつもりだった。それは一度中断する。
通路の先へ体を向けて、突き当りを目指して歩いた。
正面には窓がある。外があまりに明るくて、ガラスの外は真っ白にしか見えない。しかし不思議と眩しさは感じなかった。外を確認したい。
突き当りまではすぐだった。通路は左に折れていて、その先もずっと通路が続いている。閉じた扉がいくつか見えた。
クオイトは窓に触れる。近づいても外は相変わらず白く、全く見えなかった。かなり強い光で溢れているのだろう。
窓ははめ殺しで、光を取り入れる以外はできない。頭を外に出してみたかったが、叶わないようだ。
仕方がない。割ろう。
割るなら道具がほしい。怪我はしたくはないし、銃は弾がもったいない。さっき崩れた天井から、手頃な石を探すとしよう。
クオイトが引き返そうとしたときだった。
「キィ」
扉が軋む音だった。音は通路の更に先から。そちらを見てみると、扉のひとつがわずかに開いていた。指一本くらいなら差し込める程度だが、間違いなく開いている。
開いている扉を凝視する。
さっきまで閉まっていなかったか?
疑問に答えるものはない。ごちゃごちゃに思考が散らばる。
扉は開いている。しかしほんの僅か、数センチ程度の隙間をあけているだけだった。
ちゃんと見ていなかっただけで、はじめから開いていたのではないか?
自分が立てた説は、すぐに自分に否定される。
他の扉は完全に閉まっている。たったひとつだけ開いている扉があったなら、目についているはずだ。しかしそんな覚えはない。
もはや窓の外は意識から飛んでいた。今はあの扉は何か、そればかりが頭を支配する。
確かめてみよう。もしかしたら何かがいるかもしれない。
じりじりとにじり寄る。手に汗が染みた。音にならないよう、細く息を吐く。
手が触れられるほど扉が近くにある。そこで足を止めた。
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