1-8
晩餐会は思いの外、長く続いた。単純に食事が美味しく、席を離れられなかったのだ。多少の毒を盛られるくらいなら、許容できるほどに美味しかった。
クオイトはまだエン・カイヤ邸にいた。明日まで帰るつもりはない。
というのもエン・カイヤに客室を充てがわれたからだ。もう夜が遅いから泊まっていけと、部屋を用意してくれた。
もう夜に入ってしばらく経つ。昼間の余韻は消え失せて、夜の静けさに包まれていた。
「さてと」
クオイトは客室にひとりだった。気を使う相手はいない。
エン・カイヤからの依頼は請けた。しかしそれが敵対しない理由にはならない。
クオイトにはもうひとつ依頼がある。マジックアイテムを盗むという依頼。
ルオクリアからの依頼と、エン・カイヤからの依頼を比べると、優先度はルオクリアの依頼に軍配があがる。
理由はふたつ。ルオクリアからの依頼を先に請けたからだ。もうひとつは、牢屋に繋いでくれた何者かの情報が得られる可能性がある。
依頼人のルオクリアは、その何者かに心当たりがあると言っていた。情報を集めてみるとも。
牢屋で過ごした三日間の記憶が蘇る。嫌な記憶だ。消し去りたい記憶だが、当分は忘れられないだろう。今は意識的に頭の外に追い出すしかない。
忘れるために依頼について考える。
これから邸内を下見しようと思う。マジックアイテムが隠されているであろう怪しい箇所を、順番に見て回るのだ。可能なら盗み取るまで至りたい。
備え付けの机を借りる。邸宅の見取り図を広げ、黒翼の杖が追いてあるであろう場所を推測した。
見取り図には不自然な空間があった。一階の書斎横だ。隠し部屋かもしれない。真上にはエン・カイヤの寝室がある。
大事な物を隠すなら、これ以上ないうってつけの空間だ。確認する価値はある。
しかし問題がある。入り口がわからないのだ。
見取り図にはそれらしき記載はない。素直に考えれば、直上の寝室かすぐ隣の書斎に、隠し扉があるはずだ。
書斎に入り口があるなら楽でいい。部屋の形や家具の配置を見れば、扉の位置や開け方を、ある程度推測できるだろう。
問題はエン・カイヤの寝室にある場合だ。寝室へは入れるかすら怪しい。夜の時間であれば尚更だ。
他にも問題はある。全く違う場所に入り口がある場合や、隠し部屋なんて存在しない場合、別の場所に黒翼の杖が保管されている場合もある。
どれも否定しきれない。しかし行動しない理由にはなりえなかった。
とりあえず書斎を見に行こう。話はそれからだ。
見取り図を綺麗にたたみ、静かに荷物へ戻す。
邸宅はしんと静まり返っていた。見取り図と、荷物の中に隠していた銃が擦れる。ほぼ無音の邸宅でも、耳をそばだてないと聞こえないほど小さな音だった。
それよりも更に小さな音がした。クオイトは聞き取り、ぴたりと動きを止める。
誰だ? 浮かんだ疑問はそれだった。
窓を開ける音がする。この客間を出てすぐの廊下から聞こえた。
素直に受け取るなら、誰かが窓を開けたのだ。誰だか知らないが、窓を開けたいやつがいたのだろう。
それは全く不自然ではない。
では何が不自然なのか。それは窓を開ける音が、あまりにも静かだったことだ。まるで勢いよく開けてはいけない理由があるみたいじゃないか。
招かれざる客というやつか。
クオイトは銃を手に取る。
たまたま泊まった日に泥棒が入り込むとは、お互いに運がない。こちらからすると面倒事に巻き込まれ、泥棒からすると邪魔者に手を焼くわけだ。
唯一得をしているのはエン・カイヤだけである。客室を開放した結果、泥棒に対する戦力を得たわけだ。まるで泥棒が入る日を知っていて、狙っていたかのよう……。
本当にそうだとしたら? いくつかの可能性が頭に浮かぶ。
ひとつは侵入者は泥棒ではなく、こちらの力を見るための試験官の可能性。
ふたつめはエン・カイヤが泥棒の予定表を持っている可能性だ。
ひとつめは恐らく無い。やり方が下手すぎる。
ふたつめにも疑問が残る。対泥棒への戦力として期待していたなら、泥棒について話さない理由がない。
窓が開けられたのだ。もう侵入されている。泥棒を予期していたなら、ここまでザルのような警備にはしないだろう。あえてガードを下ろし、侵入者を歓迎しているかのようだ。
やっぱり偶然か?
否定しきれないところが恐ろしい。エン・カイヤが侵入者を予見していたなら、武器を持ち込めた説明もできそうだ。
なんであれ侵入者は敵だろう。戦う必要がある。
足音は全くしなかった。しかし部屋の前に誰かがいるらしい。無音のままドアノブが動く。
廊下に意識を向けていてよかった。そうでなければドアノブの動きに気づけなかったかもしれない。
クオイトが銃を引き抜くと同時に、ドアが開け放たれる。
無音のまま部屋に踏み入ってきたのは、無色の仮面にマント姿の男だった。
泥棒というより暗殺者が正しいようだ。手には刃物が握られている。仮面の奥はよく見えないが、眼窩から向けられているであろう殺意は、全身をヒリヒリとさせるほどだった。
刃物は一瞬だけ輝いた。空を切り、真っ直ぐこちらに差し向けられる。
意識が刃物に集中していく。世界が縮まったような錯覚をした。今この部屋にあるのは、刃物と殺意だけ。そんな錯覚だった。
クオイトは座った状態から飛び上がりつつ、椅子を蹴り上げる。刃物の軌道上に座面を差し込んだ。
丁度いい高さまで上がった椅子を、今度は足裏で蹴飛ばす。椅子を刃物に押し付けてやった。
ひっかく音とともに、刃が優しく椅子に突き立つ。椅子が生えた刃物は、もはやただの重りでしかない。
侵入者は刃物を捨てる。こちらはその間に銃を構えた。
障害物はない。侵入者の体が透けているかのように、急所の位置がよくわかる。指をちょいと動かすだけでいい。銃が咆哮し、侵入者を倒せるだろう。しかし気が咎めた。できれば殺さず生け捕りにしたい。
表になっている情報だけなら勝利は容易い。生け捕りも容易い。
しかし敵さんは武器を捨てた。しかし逃げる様子がないのだ。それどころか向かってくる。逃げようと思えば、再び刃物を拾い、椅子を囮に逃げられるはずなのにだ。
つまりまだ向こうに勝算があるということ。
不確定要素が多すぎる。仕方がないか。生け捕りは早々にあきらめる。
下腹部を狙い、引き金を引いた。
込めていた弾は、実弾ではなかった。薬莢に魔力が詰まった魔法弾だ。
それはずっと小さな音で、鋭く相手に突き刺さる。
魔法弾は実弾とは違い、物質的には存在しない。打ち出した魔法弾は、侵入者に穴を空けると、跡形もなく掻き消えた。
傷跡は狙った場所にできていた。身をよじられたが、その程度で躱されはしない。
しかし威力は弱められた。直前で魔法障壁を張ったらしい。致命傷には届かなかった。
ちょっとした誤算だが問題ない。予測の範囲内。修正が効くレベルだ。
侵入者は撃たれ衝撃が走り、一瞬だが動きが止まった。
狭い屋内。敵さんとの距離はとても近い。お互いに手が届きかねないほどだ。
ほんの一瞬気を抜くだけで、刃物であれば断ち切られ、鈍器であれば骨を砕かれ、魔法であれば燃やし溶かされる。そんな距離だ。
この場での一秒は、向こう十年よりも重い。
侵入者は痛みにより硬直した。僅かな時間だったかもしれないが、あまりにも長く感じる。続けて二発三発と撃てるほどに、とても長い時間だった。
クオイトは容赦せず銃を構える。肋骨を避けて二つの臓器を撃ち、最後は首に入れた。
侵入者は魔法を使おうとしていたようだ。しかしもうそれだけの体力は残っていない。
身体に空いたいくつかの穴を、必死に押さえようとするが間に合わない。侵入者はそのまま床に倒れ伏す。
傷ついた血管から血が染み出して、絨毯の色を変えていく。
特に首からの出血が酷い。そうなるように撃ったから驚かないが、微かに感情が揺れ動く。心のどこかで侵入者を不憫に思っていた。
相手が誰であっても、死との対面は慣れないものだ。後悔はしていない。今後も同じ場面があれば、同じように対処するだろう。
それでも別の道はなかったのかと少し考えてしまう。
いいや、無意味だな。やめよう。
絨毯が赤くなっていく。ここは二階だ。下へ血が染み出さないか心配になる。
もう喋れすらしない彼に用はない。クオイトは人だったものを跨いだ。
侵入者は他にもいる。血溜まりに倒れ伏す男は、この部屋のドアを無音で開けた。しかしそれより前に聞こえた窓の音は、かすかにだがしたのだ。同一人物が開けたとは思えない。
最低でもひとり以上が邸宅に残っている。二手以上に分かれて、部屋をひとつひとつ襲っているのだろうか。
廊下に出てみればわかるはずだ。
銃は手放せない。もう一丁の銃も取り出す。こちらには実弾が込められている。
小口径の銃を二丁持ち、廊下へと出た。
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