1-3
クオイトは列車で座っていた。魔法都市へ向かう列車だ。
魔力で動くタイプで、静音性と速さが売りという。席料は少し高い。
一車両には七十席ほどある。それが七両だけ並んでいた。最大で五百人ほど運べるが、満席はほぼないらしい。
今もガラガラとは言えないが、空席がよく目立っていた。ひとりにつき三席ほど占領できる。
おかげで快適な旅だった。
クオイトは三両目にいる。窓際から車窓を楽しんでいた。
ぼうっと風景を楽しんでいると、列車がトンネルへと入っていく。窓ガラスが鏡へ変わり、顔が映し出された。
しっかりとした装いに、髪まで整えてある。昨日まで牢にいたとは思えない。
助けの手が必要だった点を除けば、脱獄は実に簡単だった。あそこまで悠々と出られるとは、今でも信じられない。
ルオクリアは警らのシフトを把握していた。それも怖いほど正確に。
あの施設の造りに加えて、隠し通路にも精通していた。手際は鮮やかを通り越して不気味にすら思えた。
なんであれ、脱出に関しては文句の付けようがない。疑問がいくつも浮かんできたが、隠し通路を抜けたあたりで、全て飲み込むことにしようと決めた。
それからは急いで帰宅した。すぐに荷造りを済ませて出発。深夜発の列車で一夜を明かす。事がうまく運んだ結果こうして今、窓に写る自分の姿を見ているというわけだ。
クオイトは荷物に手を入れ、白い封筒をつまみだす。その封筒はルオクリアから受け取ったものだ。
脱獄の条件だった依頼内容は、エン・カイヤ邸からマジックアイテムを奪取しろというもの。言葉にすると簡単だが、実行は難しいに違いない。
列車がトンネルから出る。一面の緑と空の青が広がっていた。
車内に陽光が入り込み、手元が明るく照らされる。
手元の封筒に目を落とした。まだ中身を見ていない。封らしい封はされていなかった。端が折り込まれているだけである。太陽に透かしてみても、中はわからない。
到着時間はまだ先だ。それまでに封筒の中を確認しよう。
開けてみると、一枚の紙が入っていた。きっちり角が揃った二つ折りだった。
そこそこ厚手で真っ白い紙。それを慎重に封筒から引き抜く。
窓辺に肘を置いてから、紙を広げてみた。
そこには本当に招待状と書かれていた。
内容は簡単で、晩餐会を開くという内容だった。エン・カイヤの邸宅で行うらしい。他には日時。それだけだった。
なんとも不思議な招待状だ。記載は最小限のみ。晩餐会の名目すらどこにもない。
「ご出席いただければ幸いです、ねぇ」
どんな目的でこの招待状を発行したのだろう。ペスケル・エン・カイヤが無関係とは思えない。なぜなら彼女は主催者だ。代筆させたとしても、招待状の存在くらいは知っているだろう。
景色に目をやりながら考える。
「まあ、行けばわかるか」
窓辺に肘を乗せ、遠くの山を眺める。過去に何度も見ているが、相変わらず飽きない景色だ。このまま目的地まで、ずっと見続けられるのではと思えるほど――。
「ここ、空いていますか?」
窓とは反対側、通路から声をかけられた。
肘は窓辺に置いたまま、顔だけで振り向く。そこには愛想笑いをする男がいた。
「難しければ結構ですよ。まだ空いていそうな席はたくさんありますから」
クオイトは四席を占領していた。二人がけのシートが向かい合わせになっているところにひとりでいる。
断ってもよかった。男が言うように、他にもたくさん席がある。追い返しても彼は座れるだろう。
しかし。
「どうぞ」
「いや、ありがたい」
男は対角線に腰掛けた。
「実は後ろの車両にいたのですが、ちょっといびきがうるさい人がいたもので、逃げてきたのです」
耳に集中してみると、たしかにいびきらしき音がする。車両をまたいでも聞こえるのだ。すぐ横にいたなら、耳栓があっても耐えられるか怪しい。
「それは災難でしたね」
「本当に。いや、でも助かった。これでようやく落ち着ける」
男の荷物は小さかった。肩から掛けられるくらいだ。伸びをするついでに立ち上がり、その荷物を頭上の棚に仕舞う。
クオイトの荷物は、逆にとても多かった。片手ではとても持てない量である。
主な原因は武器だ。何丁かの銃を抱えている。実弾も運んでいるため、重量はなかなかだ。
他はなるべく小さくまとめている。それでも席ひとつを占領しているくらい大きい。
膨らんで見える荷物だが、その実スカスカだったりする。理由は簡単、依頼があるからだ。
マジックアイテムを奪取する。ターゲットは黒翼の杖というらしい。手に入れたら隠して持ち運ばなければいけない。
杖が紛失した途端、荷物が大きくなったら不自然だ。だから予め膨らませているのだ。
その黒翼の杖とはどんな形状をしているのだろう。懐に隠せる程度の、小さな杖だったらありがたい。
「魔法都市へ向かうのですか?」
男はにこやかに笑う。明らかに作った表情だった。天気を聞くような世間話だろう。
この列車は魔法都市に向かい、そこから先へは進まない。つまり乗っている全員が、魔法都市で降りるわけだ。
列車に乗っている時点で、魔法都市に用事があるのだと推測できる。そうでなければ乗り換えしかない。
クオイトは面倒だと、そんな風に思っていた。
会話自体が得意じゃない。世間話であれば尚更だ。その上クオイトは自分を信用していない。何かしらの拍子に、依頼の話を零さないかと心配になる。
できれば無視を決め込みたい。しかしそうできるほど図太くもなかった。
クオイトも男と同じように笑顔を意識する。
「ええ。知り合いの家でしばらく厄介になろうかと」
精一杯の嘘だった。これから会うであろうペスケル・エン・カイヤは、顔も知らない相手である。
できればエン・カイヤについて、調べられるだけ調べたかった。しかしクオイトは脱獄をした身。なるべく早く、街から出る必要があった。
だから何も知らない。ルオクリアから聞かされた、四十代の女性という情報しかない。これで知り合いとは呼べるかは怪しいものだ。
厄介になる予定もない。どこかで宿を取るつもりでいる。
咄嗟に出た嘘だ。その割によくできていた。男も納得して頷く。
「なるほど。それでこれだけの荷物を」
荷物量から短期滞在には見えないだろう。
流れる車窓に横目を向けた。遠くの山は変わらず見える。さっきまでの景色と変化はない。魔法都市はまだ遠いようだ。
男も外を見ていた。作り笑いが消えた無表情だった。感情がすべて抜け落ちた、人形のような無機質さを感じる。
クオイトはついクスリとしてしまう。口元を抑えた頃には遅かった。わずかに漏れた声はしっかり聞かれている。
「どうかしましたか?」
男は作り笑いに戻っていた。
「なんでもありません。ちょっと、知り合いが似た表情をよくするもので、それを思い出しただけです」
「それは興味がありますね。どんな方ですか?」
「つまらないやつですよ」
知り合いとはルオクリアだ。よく見れば全然似ていないじゃないか。
話を変えたいと考えた。このまま行くと、自分がどこまで話すかわからないからだ。
「あなたはどういった理由で魔法都市に行くのですか?」
クオイトもこの質問をされた。ならば、問い返してもいいだろう。
男は困ったように眉を曲げた。しかしまたすぐに表情を戻す。
「仕事です。ちょっと急ぎの案件が舞い込んでしまって。正確には後回しにしていたツケが回ってきた、といったほうが正しいんですけどね」
「それはまた、大変ですね」
「そうでもないですよ。僕はね。大変なのは周りのみんなです」
男はそういうと、乾いた笑みを浮かべた。今回は作り笑いではない気がする。
「そうですか」
クオイトはそれだけ返す。なんとも気の利かない返答だ。
耳心地がいい言葉を、今からでも付けようか。その考えはすぐに引っ込んだ。
そもそも名前すら知らない間柄だ。知った口を利けるわけがない。
なによりクオイトは会話が苦手だ。話が広がりかねない言葉を付け足すなんて、やりたくなかった。
そういうわけで、黙って車窓を楽しむ。やはり飽きないもので、じっと外を見ていられた。
男もひとりで過ごし始めた。本を読んだり食事を始めたり。肉の匂いは堪えた。なにせ昨日からまともな食事をしていない。
窓を開けて、匂いを追い出す。代わりに爽やかな風を入れた。風で髪が靡いた。
その日の夕刻前、列車は速度を落とした。魔法都市が近づいてきたのだ。
まだ日は落ちていない。夜まではもう少し掛かりそうだ。しかし油断していると、すぐに日が沈んでしまうだろう。
今から宿を探すとなると、なかなか骨が折れそうだ。魔法都市には宿が少ない。予約を入れないと、最悪の事態が発生する。
列車で通信機器を借りればよかった。そこで予約を取っておけば、心配事が少なくて済んだ。頭を掻くがもう遅い。
急いで寝床を探すとしよう。宿が取れなければ、朝まで開いている店を見つけるしかなくなる。
でもその前に。
クオイトは招待状を取り出す。書かれている日付は、もしかしなくても明日だった。
明日を過ぎればこの招待状は意味をなくす。
しっかりと今日ではないと確認をする。日付を三度ほど読み返し、間違いないと確信してから仕舞った。
列車が完全に停止する。車内にアナウンスが流れ、続々と乗客が降りていった。
「では、お先に失礼」
対角線に座っていた男が言った。
男は荷物を手に列車から降りていく。ホームに降りるその姿を、窓から眺めていた。
クオイトが立ち上がったのは、ほぼ全員が降りた後だった。大きな荷物を抱え、列車から駅のホームへ。
列車はすべての客を降ろすと、扉を閉めてしまう。その場で振り向いて、座っていた席を惜しむように眺めた。
クオイトの後ろに人はない。振り向けば無人のホームが広がっている。
ずっと遠くから叫ぶ声がした。きっとどこかで喧嘩が起きているのだろう。
魔法都市か。久しぶりだ。
空を見ると天蓋が目に入る。空を覆い隠す巨大な岩盤だ。この街は地下の大空洞の内にある。天蓋のおかげで昼も夜もわからない。常に街灯が照らしているのだ。
とは言っても時間の把握は容易にできる。時刻により街灯の色が変わる仕組みのおかげだ。
この街はとにかく太陽が足りない。しかし全く日が照らないわけでもないのだ。確かグラティス中央魔法学校だっけ。その学校と周囲の上空には岩盤がない。どうしても太陽が恋しければ、そこまで足を運ぶという方法がある。
今はそれよりも寝床を探さねば。
駅を出てすぐのところに宿があった。昔は高級宿だったのだと思う。大きな建物で、佇まいは立派である。
しかし長い年月が経っているのだろう。外壁がところどころ黒ずんでいる。
あっさりとそこで部屋がとれた。他にも空室があるらしい。新しいもの好きに無視されて、人が入ってこないのだろうか。
案内された部屋は質素だった。必要な物だけを揃えた感じ。とてもシンプルで落ち着ける。
とりあえずここで一晩明かすとしよう。
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