1-2
次の客は忍び足を使っている。さっきの看守と比べると、圧倒的に音が小さい。
誰なのか興味が湧いた。ここの看守と仲がいい人物とは思えない。
予想が当たっているなら、敵の敵は味方ということで、その者とは仲良くできそうだ。
何者かの目的地がここなら喜ばしい。そうあってくれと願いたいが、十中八九ありえないだろう。こんな牢屋に来たところで、異臭に鼻をつまむ以外にすることがないのだから。
それなのに足音が近づいてくる。まさかと思い、通路をじっと見つめた。
すると本当に現れる。ふたりだった。ひとりは黒いフード付きマント。もうひとりは看守の制服だった。
この場には牢屋以外には何もないはずだ。クオイト以外の囚人もいない。
つまり彼らの目的はクオイトということになる。空いている牢に引っ越しにきたわけではないはずだ。
看守姿が後ろを気にする。
黒いマント姿の男は、フードの中からクオイトを見つけていた。
視線が交差する。暗くて見えないフードの中は、ずっと無表情のように思えた。
看守姿が頷くと、ふたりは鉄格子の側まで歩み寄る。
黒いマント姿の男は、牢の前で足を止めた。じっとこちらを見下ろす。
「クオイト・ルエクティロか?」
音がないここでも、かすかに聞き取れる程度の声だった。警戒心が窺える。
クオイトは心の中で歓迎した。この男は敵ではないようだ。
利益をもたらしてくれるかもしれない男に頷く。
「ああ、合ってる。私はルエクティロだ。こちらも名を訊いても?」
しかし首は横に振られる。
「私の自己紹介は少し後にしよう」
「後? どうして?」
「長居はしたくない。早速だが本題に入る。ひとつ引き受けてほしい依頼があってきた」
つまり客ってわけだ。クオイトは傭兵業をやっている。
客ならば歓迎しなければいけない。急いでその場で立ち上がる。続けるように手を差し出した。
しかしこんなジメジメとした場所まで来た理由はわからない。他にも傭兵はいる。
「とあるマジックアイテムを入手してもらいたい」
なるほど盗賊業か。こんな牢屋まで来た理由がわかった。
要するに法に触れる仕事なのだろう。証拠を残さないためにも、書類をすっ飛ばしたかった。非正規な依頼には、囚人が便利というわけか。
「場所は魔法都市。ペスケル・エン・カイヤという魔術師が所持している、黒い翼の装飾がある杖だ。俗に黒翼の杖と呼ばれている」
「期間は?」
「指定しない。どれだけ時間をかけてくれても結構。早い越したことはないが、変に怪しまれても面倒だろう? ゆっくりやってくれて構わない」
「そのエン・カイヤという魔術師については?」
「ペスケル・エン・カイヤ。四十代の女性で、グラティス中央魔法学校の研究員だ。魔法の腕はそこそこだが、それでもプロだ。油断はできない」
「つまり戦う状況は避けたいわけか」
男は小さく頷く。
「彼女はとても用心深い。何人もの警備を雇って、屋敷を警護させている。侵入するには複数人で連携しなければ話にならないだろう。それも静かに。でなければ逃げられる」
「厳しそうだな。それで、報酬は?」
看守姿の男が前に出る。一枚の紙切れを差し出したので、それを受け取った。
手形だった。そこそこの額と、ルオクリアと名前が記載されている。
「なんだ。名前を知られたくないわけじゃないのか」
ルオクリアという名の貴族が居たはずだ。どのような人物かは知らない。ちょっとした噂を小耳に挟んだ覚えがある。
目の前の男は、本当にルオクリアなのか。それとも名を語る別人なのか。
「それは前金だ。成功報酬でその倍を出そう」
悪くない条件だった。金額もそうだが、牢から出してくれるオマケが嬉しい。
「わかった。引き受けよう。だがその前に、ひとつだけ教えてくれ」
「言ってみろ」
「俺に殺人の罪を着せて、ここに閉じ込めたのはあんたか?」
今のクオイトは、依頼を断れない。悪い仕事をさせたいルオクリアからすると、非常に都合がいい相手だろう。依頼を請けさせるために拘束したなら、気分が悪い話である。
この質問への回答はわかりきっていた。
「違う」
嘘かどうか判断するには、情報が不足しすぎている。
「まあ、どっちでもいいさ」
何故、牢に繋がれたかを知りたいなら、独自の調査が必要になる。ルオクリアの言葉が嘘でも本当でも、それは変わらない。
ルオクリアは一泊置いてから口にする。
「しかし心当たりが無いわけではない。望むならこちらで探っておこう」
その言葉は、クオイトの予想になかった。
「金に加えて情報までくれるって? それじゃあこっちが一方的に有利じゃないか」
「黒翼の杖はそれほど重要というだけだ。これでようやく釣り合いが取れるというもの」
クオイトは不安に思った。提示された金額は、仕事の労力に見合うのだろうか。
ルオクリアにはまだ隠していることがある。暗闇に蛇が潜んでいなければいいが……。
「わかった。引き受ける」
なんであれ、ここから出られるのなら歓迎だ。罪を着せてくれた何者かの情報を得られるならこれ以上はない。
看守姿の男が前に出た。黒く塗られた鍵が、指の間に挟まっている。それで鍵穴を埋めたようだ。こちらからは見えないが、外側から鍵が回される。
ガチンと小さくない音がした。その音は周囲に響く。近くにいた者には聞こえただろう。しかし誰かが来る気配はない。
ゆっくりと戸が開けられた。可動部が錆びているのか、どうしても耳障りな音が出る。
しかしそれでも看守は来なかった。
鉄格子をまたいだだけで、驚くほどの開放感だった。自然と体を動かしたくなってくる。
看守姿の男が、懐から布を取り出す。それが広げられた。
黒いマントだった。フード付きである。
「ひとまずこれを着ろ。その格好は目立つ」
今のクオイトは、浮浪者でもありえない身なりだった。三日しか着ていないが、三年間ずっと着ていたようなボロである。
簡単に解けそうなひどい縫製に、ネズミに齧られたような穴、襟元はたるんで何倍にも伸びていた。色は黄ばみを通り越し黒ずんでいる。
「ありがとう」
そう伝えてからマントを受け取った。
マントは小さかったが、それでも全身を隠すには十分だった。羽織っただけで温かさを感じる。
ルオクリアが、懐から何かを取り出した。
「先にこれも渡しておく」
「これは?」
それは白い封筒だった。触れてみた感じ、厚手の紙が入っている。
「招待状。ペスケル・エン・カイヤの屋敷へ入るためのチケットだ」
「手引してくれる者がいるってわけか」
「いいや、そうではない」
「というと?」
「招待状だよ。文字通りに。ペスケル本人からの。それを使えば屋敷には正面から入れるし、歓迎もされる」
「いまいち話が見えないが、もしかして俺を何かの代理に立てるつもりか? 代理としての仕事をこなしつつ、隙を見てマジックアイテムを回収しろと」
「いいや、代理ではない。が、まあ似たようなものだな。私の目的はマジックアイテムだ。他の方法があるなら、その招待状は破り捨ててくれても構わない」
「とりあえずもらっておくよ。歓迎されるってなら、うまい食事にありつけるかもしれない」
封筒は外で確認しよう。ここでは暗すぎて字が読めない。
マントの内側には袋がついていた。クオイトはその封筒を仕舞う。
「では、外へ出るとしましょう」
看守姿が先導し、クオイトは後に続いた。
隠し通路に導かれ、そこから地下道に入っていく。障害はなくあまりにも楽々で拍子抜けした。
暫く進むと看守姿が「ここからでましょう」と、はしごを上がっていく。それは地上に繋がっていて、出ると街の端っこだった。
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