0-6話
全てが終わったらしい。思い返してみれば、あっという間だった。全員が外へ出され、妹は医者の元へ連れて行かれた。
カヒトは警務部へと連行された。手を引いてくれたのは、ソフレシスと同じ白い制服の女性である。事情を聞きたいということだった。
連れて行かれたところには、椅子があり机もある。そんなしっかりした部屋へ通された。カヒトが家と呼んでいる廃屋より、遥かに綺麗で豪華だ。
そこで白い制服の女性と向き合う。
「こっちでも事情は把握しているつもりなんだけど、念の為なにがあったのか教えてくれる?」
カヒトは妹がいなくなったこと。どうして他所の宅に入ったのか。どうやって入ったかを説明した。
説明し終えるとすぐに、逆に詰め寄った。妹は無事なのか。目を覚ましたのか。そればかりが気になり、前のめりになっていた。
しかし女性は困り顔を作るばかり。答えを教えてはくれない。心配がつのり、焦燥感が強くなる。
扉の向こうから声が聞こえた。会話をしている内、ひとりは知らない。もうひとりはソフレシスだった。
「なぜ腕を斬った? お前ならもっと穏便にできたはずだ。事情を話せ」
「ご納得頂けるような事由はございません。この件に関しましては、全て私の不徳によるもの。感情に走ってしまったのです」
「感情か。それは最悪だな。処罰は免れんぞ」
「承知しております」
「後悔はしているか?」
「いいえ。していません」
「そうか。そいつは厄介だな。次は言い訳ができる程度で収めろ。というか、もうやるな。おまえの特権は好き勝手させるために与えられたのではない」
「はい。理解しています」
「本当に理解しているなら、こんなことにはならないだろう……」
ソフレシスが叱られている。その会話を聞くと、不思議と安心した。ソフレシスが医者の元ではなくここにいる。つまり妹は大丈夫なのだと。
突飛な論理ではあるが、カヒトはこれで納得できた。
この夜は警務部のベッドで休ませてもらえた。ほとんど初めての柔らかい寝床だ。
クッションに体が沈み込む感覚は、どうも落ち着かない。堅い寝床に慣れすぎたようだ。
それでも夜が深まれば眠くなる。無意識のうちに眠りの世界へと落ちていく。まぶたが落ち、意識が薄まる。夢は見なかった。
翌日になり、部屋へソフレシスがやってきた。神妙な面持ちでいる。きっと真剣な話なのだろうと思うと、カヒトも笑えなかった。
「ひとつ伝えないといけないことがあってね。実は君の妹だけど」
「なにかあったんですか?」
「大丈夫。命に別状はないよ。だけどね、思いの外傷が深くて、この街では治せない。だから王都まで連れて行こうと思っているんだ。そこなら治せる医者がいる」
王都といえばカヒトですら知っている。この国で最大の街だ。
聞く話によると、道は整備されていて綺麗だし、食事は豪華で美味しいし、多くの人が行き交い、とにかく賑やかだという。様々な知識や技術であふれ、王都でできないことはないとか。
しかしそんな綺羅びやかな王都にも問題はある。主に金銭だ。全てが高価らしい。
「そんなところのお医者さんに診てもらえるようなお金は持ってません」
「気にしなくていいよ。助けるって約束したからね。というか、この街の医者もお金が掛かるんだけど」
「そうだ。これ、これで薬代になる?」
カヒトは緑色の石を差し出した。それは正十二面体で輝く、綺麗な石だった。
ソフレシスは顔をひきつらせる。どうやら予想外の物だったようだ。
「これは、どこで見つけたの?」
「拾った。落ちていたから」
「どのあたりに?」
カヒトはずっと先を指差した。
「ああ、そうか。じゃあ、あのときかな?」
「あのとき?」
「いや、なんでも無いさ。こっちの話。この石は君のものだ。間違いなくね」
ソフレシスが、カヒトの肩に手を置く。
「でももし、これくらいの髪のお姉さんが、綺麗な石を見つけなかったか? って訊いてきたら、そうだね、僕に訊くように伝えてくれるかな?」
「この石、その人の物なの?」
「違うよ。訊いてくるかもしれないってだけ。同じような石は他にもたくさんあるんだ。これは君の物だよ。妹さんのかな?」
「うん」
「これなら治療費を払ってもお釣りが返ってくる」
「じゃあ、お願いします」
「わかった。受け取ったからには、必ず助けるよ。今度こそ信じてくれる?」
「うん」
「よかった」
ソフレシスの手がカヒトの頭をくしゃくしゃにした。
撫でられる子どもを見たことならある。しかしこうして撫でられるのはソフレシスが初めてだった。くすぐったくて気恥ずかしい。しかし悪くはない。
カヒトは赤く染まった頬と、緩んだ口元を隠すために、ソフレシスの靴を見つめた。
「そうだ、君も一緒に王都まで来ないか? その方が妹さんも喜ぶだろう」
王都へ行ける? 信じられない魅力的な提案に、カヒトは目を見開いた。
しかし――。
クオイトは目を覚ます。懐かしい夢を見た。もう遠い昔の話だ。
ぴちゃりと、どこかで雫が落ちる。ほかは静寂で、自分の鼻息がうるさいほどだった。
ソフレシスからの提案は衝撃的だった。今でもあのとき選択はどうだったのか、考えることがある。
あのとき王都へ行けば毎日が変わっていただろう。王都とは、行き交う人々は跡を絶たず、毎日がお祭り騒ぎ。芸人や演奏家が路上で人を楽しませ、夜になると嘘のような静寂だ。
昔のクオイト、カヒトだったころなら、当分飽きずに暮らせたに違いない。
しかしカヒトはお金を持っていなかった。持っているとしても、全て妹の治療に回したい。
だから断ったのだ。
王都まで行っても、ふかふかのベッドを買うお金も、美味しい食事で満腹になるお金も持っていない。王都でも今までと同じように、雨風をしのげる場所を探し、木の実を食べる毎日が容易に想像できてしまった。
今覚えば馬鹿な不安だった。付いていけば、きっとソフレシスが必要なものを用意してくれただろう。衣類や寝床、その他も与えてくれたのではないかと思う。場合によっては養子にしてくれたかもしれない。
全て自分でやらなければいけない、という考えに慣れすぎていた。人を頼ることを覚えたのは、いつ頃だったっけ。
「あれから十年は経ったか」
ソフレシスとその一行が、ガキ大将とその父、そして妹を連れて王都へ発つ。カヒトはそれを見送ってすぐに街を出た。理由はいくつかある。
妹がいない街にこだわる必要がなくなったこと。街に嫌な思い出ができてしまったこと。そしてカヒトが自分の弱さを責めたからだ。
カヒト自身が強ければ、妹を守ってあげられた。ガキ大将との喧嘩も起きなかったかもしれない。
妹が怪我をした。その原因の一部はカヒトにある。そう考えてしまったのだ。
カヒトが姿を消せば、妹はソフレシスを頼るしかなくなる。ソフレシスならきっと守ってくれるから、もう妹が辛い思いをすることはない。
これが街を出た一番大きな理由だった。
野宿に慣れていたせいか、街を出た後、自然での生活にはすぐ順応できた。以前から果物や木の実を取りに森へ入っていたのだ。危険な動物や毒草など、近づいてはいけないものには敏感である。
カヒトは自分の命には無頓着だったが、意外とすぐには死ななかった。
しかし絶対はないものだ。あるとき不運にも腹をすかせた魔物とであってしまう。こちらを無力な餌としか見ない相手に、向かっていける勇気はなかった。
必死で逃げると、そこで出会ったのだ。冒険者と名乗る者たちと。その冒険者たちは、依頼を請けて森に入っていた。
子どもを野に置いては行けないと、冒険者たちはカヒトの手を半ば強引に引いた。おかげで魔物の食事にならずに済む。
冒険者たちの依頼は急ぎのようだった。安全地帯まで行く余裕はない。だからカヒトを連れたまま依頼をこなすという方向でまとまる。
そこで銃と出会う。冒険者たちが予備に持ってきた武装だった。北方にある技術国で入手したのだという。カヒトはそれが自分に合っているように感じた。
カヒトは物を投げるのが得意だった。何を投げても狙い通りの場所にあたる。銃も同じだった。撃ってみると、銃弾は狙った箇所にすっぽりと収まる。
細い木の枝。舞い落ちる木の葉。魔物の眼球。カヒトは初めて持った銃を、たった一発も外さなかった。
「おまえすげぇな。よし、それはやるよ」
こうしてカヒトは初めて自分の武器を得る。
「改めて自己紹介をしよう」
そこでカヒトはクオイトと名乗った。更に冒険者から、ルエクティロという名を与えられる。その日からカヒトは、クオイト・ルエクティロとなった。
あれから十年。クオイトは傭兵をやっている。しかし今はちょっと活動休止中だ。
暗い暗い地下の一室、堅い鉄格子が邪魔をする。
座る以外にやることがなかった。体が鈍って仕方がない。
あくびついでに腕を伸ばす。長い夢を見た。楽しいともつまらないとも言えない夢。眠らなくても目を閉じれば思い出せる。昔の強烈なできごとだ。
「シュルケ、あいつは元気でやってるのかな?」
久しぶりに妹の名を呼んだ。やはり懐かしい。きっと元気に違いない。
あれからもソフレシスの噂は聞いている。ひとりで魔物の群れを撃退したとか、王から勲章を受け取ったとか、同じ騎士団員と結婚をしたとか。それと引き取ったという養女が優秀らしい。
ソフレシスと名が入れば、聞く話はどれも明るくなる。だから妹の心配はいらない。それに姿を消した自分が、あれこれ言うのも違うだろう。
昔の夢を見て、懐かしさに頬がほぐれたが、現状を楽しむのが先だ。
目の前にある鉄格子。固く丈夫で、冷たさ以外には何も与えてくれない。
昨日――日が変わっていないなら今日――ここに入れられた。光りすら届かない地下牢。なんとかして、ここから出なければ。
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