0-5話

「騒ぎを聞きつけてきました。一大事のようですので、入ります!」


 外からそう叫ぶ声がした。続いて玄関がこじ開けられる音が響く。

 大人が舌打ちをする。


「おまえ行ってこい」

「う、うん」


 ガキ大将は頷くが、もう既に遅かった。

 玄関が壊されたのはついさっきのはずだが、既にその男は地下にいる。部屋を覗くように、ドア枠に手をかけていた。


「盗人でも入ったのですか? 何やら尋常でない物音が外まで響いていました。失礼ではありますが非常時だと判断し、助力に参った次第です。……しかし、これは……」


 そう言う男にカヒトは見覚えがあった。昼間に会った旅人だ。あいも変わらず、薄汚れた外套を纏っている。


「貴様、警務部の人間じゃないな? 誰だ! 何の権限があって入ってきた!」


 大人は怒り心頭であった。カヒトは投げ捨てられる。頭を抱えながら冷たい床へ落ちた。


「昨日、ここから女の子の泣き声がしたと、近隣の方々から聞いたんですよ。十中八九間違いないだろうと睨んでいたんですけど、確証なくては押入れない。それでも無理やり、手続きなんて省略して入ればよかったな」

「貴様、聞いているのか?」

「なんの権限があって、でしたっけ? ほら、警務部の成文です。領主の判もありますよ。字が読めるならご自分でどうぞ。本当はあなたの前で読み上げるつもりでしたが、もう必要ありませんので」


 旅人は筒状に丸めた紙を、床に投げ捨てる。


「言いたいことが色々とありますが、ここではやめておきましょう。ひとまず、あなたを拘束します。まだ正確な判断がつかないので、罪状は追って。壁に向き、手を頭の後ろへ。抵抗するようであれば斬ります」


 まさか助けに来てくれた? 約束を破ったと疑った相手を見上げる。その目は昼間とは違い、実に冷たいものだった。まるで目そのものが、氷で出来ているかのようだ。


 大人は捨てられた、筒状の紙を踏みつけた。


「おまえみたいに薄汚れた旅人風情に、警務部の連中が執行権を与える? そんなわけがないだろうが。ホラを吹くならもっとうまくやれ」

「ああ、そうですね。面倒を避けるためにこの格好をしているのですが、ここで隠す必要はないですね」


 旅人は外套を脱ぎ捨てる。この場の全てが、その美しい衣装に息を呑んだ。今は夜。ここは暗いはずなのに、光り輝いて見える。

 それは純白だった。ムラのない滑らかな白。外套を脱いだのに、外行きのコートのような服を纏っている。

 足首までのシワがないパンツを履いて、足は茶色いブーツ。腰には青い鞘、白と銀の柄。

 首からは、黒い石がはめ込まれた円陣の装飾をさげている。


「私は王国、白翼騎士、近衛師団、第七部隊所属、ソフレシス・トエサリア。第四の剣にて音の剣を継ぎし者だ」


 カヒトには理解できない言葉が続いた。

 しかし大人には理解できたようだ。まるで怯えるように声を震わせる。明らかに先程から様子が変わっていた。


「白い制服……? 嘘だ。ありえない。近衛がこんな辺鄙なところに来るか! 来るなら任務部か、警務部、国境警備隊か、さもなくば軍に雇われた傭兵くらいだろうが」

「確かに、あなたは私が偽物だという線に賭けるしかない。しかし悪いけど本物だよ。こちらにも事情があるんだ」


 ソフレシスが剣の柄に触れた。刀身と鞘が触れる音が鳴る。


「先程、伝えたとおりにしてください。さもなくば、本当に斬りますよ」

「ふざけやがって。ふざけやがって」


 カヒトもガキ大将も、完全に蚊帳の外だった。じっとふたりを見つめる以外にできることがない。

 大人は怒りを顔に滲ませて、しかし発散できずにいた。素手で剣に立ち向かっても、勝てるわけがない。しかし言うとおりに従いたくもないようだ。剣とソフレシスの顔を、交互に見ている。


「俺が、何したってんだ? あぁ? それよりもこのガキをとっちめろよ。無断で人の家に入ったんだぞ」


 カヒトに貫き通すように指が向けられる。汗が滴る指先は、穂先のように輝いた。カヒトは恐れて身を縮ませる。

 しかしソフレシスは意に介さない。妹を顎でさす。


「ではこの少女は?」

「息子が勝手に連れてきたんだ」


 大人はばつが悪くてか、舌打ちをした。

 ソフレシスは淡々と続ける。


「この怪我は?」

「息子がやったんだろ」


 ガキ大将が何か声を上げようとしたとき、大人の視線がガキ大将に突き刺さる。そこでガキ大将は声を失った。

 ならばとカヒトは意を決して声を上げる。


「この人は、うるさいから黙らせたって言ってた」


 鬼の形相がカヒトを捉える。今にも殴りかかってきそうだが、そうはならない。威嚇が限界のようだった。


 ソフレシスはため息をひとつ。それからカヒトに笑顔を見せた。昼間の気の良さそうな雰囲気が漂う。


「全く、おとなしく待ってるって約束したよね。どうして破ったんだ」

「ごめんなさい」

「心配だったんだね。でも大丈夫。この子は、まだ助かるよ」


 ああ、なぜ自分はこの人が約束を破ったなんて思ってしまったのだろう。カヒトは満面の笑みにすがりつく。


「本当?」

「ああ。もちろん。……でも、あまり時間はないかもな」


 再びソフレシスの雰囲気が冷たくなる。


「というわけだ。こちらには時間がない。今から五秒待つ。それでも従わないようなら強引に捕縛する。殺さないようにはするが、無傷は保証できない」


 カウントが始まる。しかし大人に従う素振りはない。


「何なんだお前は。気に入らねぇ。鬱陶しい。くそが」


 カウントがゼロになるかというときに、大人は拳を振り上げる。


「この俺を、好きにできると思うな!」


 その表情は怒りで張り裂けそうだった。真っ赤で目は血走って。振り上げられた拳がソフレシスに向かう。

 当のソフレシスは、驚くほど平静だった。


「反抗の意思あり、か」


 次の瞬間、大人が床に叩きつけられる。まるで上から押しつぶされるようだった。


「ふざけやがって、魔法か! 剣はお飾りかよ」

「剣を抜いたら、殺してしまうので」

「斬ると言っておきながら、その度胸もないってか?」


 大人は立ち上がり、再びソフレシスへ襲いかかる。


「いいでしょう。その安い挑発に乗ってあげます。その方が早く終わりそうだ」


 赤と白の線が舞う。一瞬だけ刀身がギラリと輝き、気がつけば鞘へ戻っていた。


「利き腕を切断しました。痛覚は魔法で軽減しているのでそうないでしょう。もう片方の腕を切り離す前に従ってもらえるとありがたいのですが。私は昏睡させるような魔法をもっていないので、抵抗する限りどこまでも手荒になってしまいます」


 ぼとりと落ちたもの。それは人の手の形をしていた。


「うぅううあわぁあ、腕がないっ、くそぅ、俺の腕がっ。血が――」

「止血は慣れているのでご心配なさらず。しかし暴れられると、できることもできませんけど」


 外から足音が聞こえる。ソフレシスは「ようやくか」と見上げるようにした。

 それを隙と見たのか、大人が襲いかかる。しかしソフレシスは一見もせずに、首根っこを掴むと壁に叩きつけた。


「よかったですね。応援が来たのでここまでです。傷口の止血をします。痛覚軽減の魔法は健在ですが、それでもかなり痛むので少し我慢してください」


 ソフレシスは大人の腕の断面に手をかざす。すると温かい光りが灯った。

 大人が痛みにあえぐ。腕の断面が泡立つと、焼くような臭いが周囲に広がった。ソフレシスが手をおろした頃には、出血が収まっていた。


 三人ほどの足音が近づいてきた。知らない大人が入り込んでくる。その全員がソフレシスと同じ白や、警務部の青い制服を来ていた。


 先頭のひとりがソフレシスに、「状況は?」と問う。ソフレシスはそれに答えていた。


 さんざんカヒトを怖がらせた大人は、肘から先がない腕を抱えている。

 ガキ大将は、ただ呆然としていた。


 ソフレシスは言葉を続けるが、カヒトの耳には何も入ってこない。ただ呆然とするのみだった。でもこれだけはわかる。終わったのだ。

 まだ興奮が冷め止まず、心臓が早打つ。

 この場で一番大事なことを思い出す。妹だ。急いで掛け寄る。頭を持ち上げていいものか。体を動かしていいものかと右往左往した。

 何をしていいかわからず、小さな声で呼びかける。それ以外にできることが思い浮かばなかった。じっと見つめると、妹が僅かに身じろぎをした。

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