0-3話

 カヒトは家へ戻った。家と呼んでいる元倉庫の廃屋だ。天井の至るところに穴が空いているので、昼間は灯りに事欠かない。


 緑色の宝石を見つめた。昨日と変わらず輝いている。


 早く帰ってこないかな。物音が聞こえるごとに、音の方へ目をやった。しかし妹の姿はない。

 まだ見つかってないのかな。外に出て見回してみても、妹の姿は見当たらない。

 焦れる思いで待ち続けた。日が落ち夜へと変わっていく。


 旅人は今も妹を探してくれているのだろうか。

 未だに妹の気配はない。遅すぎると感じ始める。

 ずっと探しているなら、見つかってもいい頃合いだろう。それなのに音沙汰ないのはなぜだろう。何か知らせがあってもいいはずだ。

 まさかあの旅人は約束を破ったのではないか。そんな疑問が頭に浮かぶ。

 一度芽生えてしまった不安はなくならない。膨らむ一方だった。


 もし本当に旅人が約束を破ったなら、こうして待っていても意味がない。探しに行かなきゃ。


 外はもう夜。暗かった。出歩く時間ではない。場所によっては野犬が出るかもしれない。悪人と鉢合わせるかもしれない。いつもなら絶対に出歩いたりはしない時間だった。

 だからなんだというのだ。妹のほうが大事に決まっている。今もどこかで待っているかもしれないのに、ひとりでのんびりはしていられない。


 カヒトは緑色の石を握ったまま、勢いよく外へと飛び出した。


 街中を走った。見知った街だと思っていたが、夜だとまるで景色が違う。どこか不気味で恐ろしい。いつもなら恐怖で縮こまったかもしれない。

 しかし今は違う。妹を探すという思いが先行し、他の感情はわからなくなっていた。


 街は昼間と比べ閑散としていた。出歩く人なんてほとんどいない。通りにひとりいれば多いくらいだ。

 遠くで野生動物の鳴き声がする。毎晩聞く声だが、どんな動物が叫んでいるのかは知らない。


 走りすぎてカヒトの息が上がる。足の動きが鈍くなっていく。それでも走った。ほとんど前を見ず、左右ばかりに目をやった。


 ガキ大将の秘密基地にも行ってみた。しかしここ数日、誰かが近寄った痕跡は見当たらない。

 妹はどこにいるのだろう。狭い路地に入ってみても、虫や小動物に逃げられるだけ。妹の姿かたちはどこにもない。


 やはりひとりで探すのは無理がある。そう思っていたからこそ、旅人にお願いをしたのだ。

 どうすればいい。どうすれば……。


 夜の静寂。家屋からの楽しげな笑い声。遠い森からの遠吠え。それらに混じって声がした。

 カヒトはハッとして顔を上げる。声は朧げだった。普段なら気の所為だとして無視していただろう。

 しかし無視してはいけないと心が叫ぶ。

 声の出どころを探そうと、首を横へとやっていく。


 また聞こえた。儚く小さな声。赤ん坊のように言葉になっていない。


「こっちだ」


 半ば勘だった。しかしなぜか確信があった。

 疲れを忘れて走る。ずっと走っていると体が熱くなる。それなのに震えが止まらない。


 急げ! 急げ! 急がないと、間に合わないかもしれない。

 あれから声は聞こええいない。しかし声の出どころは知っている。


 たどり着いたのは、比較的大きな家だった。それでも貴族の館よりはボロに見える。ペットが遊べる庭はなく、玄関は道と隣接している。平民の家だ。

 ここの主人は、平民という括りでは、かなり裕福な人間だろう。きっと食うにも困っていないはずだ。

 一晩でいいから、こういう家で過ごしてみたい。風通しが良すぎる上に、雨が入る家にいるとそう思ってしまう。


「ここだ」


 妹はここにいるに違いない。そう思った。なぜならここは、あのガキ大将の家だ。

 カヒトは見上げる。家は二階まであった。確か地下もある。そんな自慢話を、いつだったか遠くから聞いていた。


 迷わず入ろうと決める。不法侵入という言葉をカヒトは知っていた。過去に何度か雨宿りに入った先で聞かされた。

 人の家に入ったら叱られる。殴られ蹴られ、最悪の場合は殺される。だから気付かれてはいけない。

 ゆっくりと慎重に、音を立てずに家の周囲を探る。入れる場所を探すためだ。


 正面の入り口は閉まっていた。裏口も駄目だ。二階に入れそうな窓があったが、登る方法が見つからない。

 一階の窓を壊してしまおうか。石をぶつければ枠を歪められるはずだ。しかしそれでは音が立ってしまう。


 家と家の隙間。大人ひとりが通るだけでやっとな隙間で、カヒトは立ち尽くす。足元では草が伸び放題だった。

 体の震えが大きくなる。気が焦る。急がないと。しかし入る方法が見当たらない。どうすればいいのかわからなくなった。


 目元が熱くなっていく。もしかしたらここに妹がいるかもしれなのに、入って確かめることすらできない。自分の無力に絶望する。

 うつむいて涙がこぼれる。落ちる涙がキラリと輝いた。


「えっ?」


 どうして涙が光って見えたのかわからなかった。今は夜だ。とても暗く灯りなんてない。今は月も隠れている。

 俯いた目を凝らしてみると何かが光る。そして微かな灯りに気がついた。

 なんだろうと屈んでみると、雑草に隠れる地面すれすれに、小さなガラス窓がついていた。


 もともと質が悪いガラスを使っているようだ。その上に汚れていて透明度は低い。覗いても輪郭がぼやけていて、中の様子はわからなかった。

 軽く指で擦ってみると、少しだけマシになる。そこから中を覗いた。灯りを持った人を見つける。その人が部屋から出ると、部屋は完全な暗闇へと戻った。


 この窓からなら入れるかもしれない。

 窓はとても小さい。人が通れる隙間はないが、カヒトは子どもで体が小さかった。


 窓は開閉できるようになっていた。鍵は掛けられているが、劣化で外れかかっている。

 両手で窓を揺らすと、鍵がぽろりと外れて落ちた。


 問題がひとつだけある。それは一度入ったら出られないということだ。

 窓は地下室の天井付近にある。窓を脱出経路とするなら、天井まで上れる台やはしごが必要だ。しかし見たところ、そういった物はない。


 入ったら戻ってこられない。しかし躊躇いはなかった。

 窓の隙間に体を差し込む。飛び降りるような形になり、足がじんと痛んだ。


 下りた部屋は物置のようだ。いくつもの袋が壁際で並んでいる。ひとつ開けてみると、乾燥した草があふれるほど押し込まれていた。

 この部屋に妹はいない。袋の確認をやめて、ゆっくりとした足取りで部屋を出る。


 部屋から出ると、短い通路に四つの扉が並んでいた。奥には上へ続く階段がある。

 階段の奥には仄かな灯りが見えた。きっと誰かが居るのだろう。行けば見つかってしまうかもしれない。


 恐怖を感じ背筋が寒くなった。もし見つかったら、その先を考えてしまったのだ。ここに逃げ場はない。捕まったその後は、殴られ蹴られ、酷い目にあうのは間違いない。


 しかしそれよりも重要なことがある。唾を飲み込む。すると少しだけ落ち着いた。


 一階は後回しだ。他の部屋を確認しよう。


 ひとつの扉に目が留まる。その扉は僅かに開いていた。月が出たのか、青白い光が漏れ出ている。

 なんとなくそこを先に見なければいけない気がした。なぜそう感じたのかはわからない。カヒトはその扉へ手をかける。


 扉の先にあったのは、床に放り捨てられたような状態でぐったりとした妹だった。

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