0-2話

 家に帰ってきた。

「おかえり」

 という声に出迎えられ、

「ちょっと、ねえ、その怪我どうしたの?」

 という声が続く。


 元気な妹だ。説明したら心配させるから、黙っていることにした。

「大丈夫だよ」

 と言っても聞いてくれない。


「待ってて。すぐに治すから」


 ここにまともな医療道具がないのは知っている。余っているのは黄ばんだ包帯くらいだ。処置をしても、しなくても大した違いはない。だから、

「それよりも食事にしよう」

 と提案した。そこで気づく。

「落としてきちゃったかな?」

 果物や木の実を入れていた袋がなくなっている。必死で逃げたので気づけなかった。


「探してくる」


 立ち上がろうとしたが、引く手に邪魔されてできなかった。


「駄目だよ。そんな怪我でどこに行くつもり?」

「でも」

「ゆっくり休んでて。私が探してくるよ」


 妹は妙に大人びている。体は小さな女の子だが、自信に満ちた顔は、全てを任せても大丈夫だと思えるものだった。


 たまに妹は本当に妹なのか疑うことがある。というのも妹の年齢を知らないのだ。それどころか自分の年齢も正確にはわからない。

 もしかすると妹は、発育が遅れているだけでカヒトよりも年上ではないだろうか。小さな姉も悪くない。


「じゃあ探してくるね」


 妹は手を振ってから外へ出る。

「気をつけて」

 と背中に投げかけると、

「うん」

 と元気な声が帰ってきた。


 妹が戻るまで休もう。とても疲れてしまった。

 カヒトは壁を背もたれにすると、そこで目を閉じた。




 目を開けると朝だった。どうやら一晩明かしたらしい。かなり長い睡眠だった。こんなに寝たのはいつぶりだろう。

 体の痛みは消えていた。傷もほとんど塞がっている。自然治癒とは素晴らしい。

 寝すぎてカチコチになった体をほぐしつつ立ち上がる。立ち上がった頃には、全身が本調子に戻っていた。


 そういえば昨日から何も食べていない。お腹が空いたなと周囲を見回す。妹が袋を探しに行ったからあるはず……。


「あれ?」


 妹の姿がなかった。




 どこにいった? どこにいるんだ?

 今まで一度も朝に居ないことはなかった。初めてのことだ。


 カヒトは回復したばかりの体力を使い切る勢いで走り回る。妹が行きそうな場所はどこだ。思い当たる節を片っ端からまわった。しかし痕跡すら見つけられない。


 どうした? どこへ行った?

 名前を叫ぶ声は、空虚に空へ消えていく。


 時間が過ぎ、人が増え始めた。カヒトは汚い身なりだ。人混みに入ると嫌厭される。それでも関係ないと人の間を縫って走った。

 妹を見なかったかと尋ねても、よくて曖昧な返事が返ってくるだけだった。


 探しても探しても見つからない。それでも諦められない。まだあの緑色の石を見せてすらいないのだ。

 名前を叫んでみたが、やはり無意味だった。


 街中を走り回ったカヒトが、ついに足を止めた。驚いて目を開く。

 道の中心に昨日のガキ大将が立っていた。目はもういいのか、包帯すら付けていない。

 こちらに気づき、気味悪く口角を上げている。


 ガキ大将はじっとこちらを見つめていた。襲ってくる気配はない。

 あいつの性格からして、やられたままではいないだろう。もしかして……。嫌な考えが頭を支配する。


 昨日の恐怖が蘇る。唇が震えた。手も足も震えた。

 怖い。しかしそれでも妹が心配だ。

 カヒトの足が前に出る。ゆっくりだが確実に。引き返すつもりはない。


 ガキ大将の前までやってきて、今日はカヒトが睨みつける。


「妹をどこへやった?」

「妹? 誰の? 知らないよ。そんなやつ」


 明らかに何かを隠していた。ガキ大将の口元はわなわな震える。笑いを堪えているのだと透けて見えた。


「わかってるんだよ。おまえが何かしたんだろ」

「知らないって言ってんだろ」

「嘘を付くな」


 カヒトは我慢できなくなり飛びつく。しかし簡単に跳ね除けられてしまった。


「なっ」


 カヒトは地面に転がる。治りかけた昨日の傷が少し痛んだ。


「みっともないやつ」


 笑われても気にならなかった。ガキ大将は間違いなく何かを隠している。それは妹の居場所だ。

 そう確信していたから、体格差がある相手に立ち向かえた。


「うわあああ!」


 叫びながら突撃する。しかし拳は受け止められた。そのまま投げられ、砂が口に入る。血の味が少しだけした。


 ガキ大将は実に愉快げだ。自分の絶対的優位を疑っていない。そんな余裕あふれる態度だ。


 立ち上がる。殴りかかる。しかし駄目。

 もう一度立ち上がる。やはり駄目。

 何度も挑んだ。しかし全て同じだった。


「わかったか? これがおまえと俺の差だよ。まだ理解できないほど馬鹿なのか?」


 何を言われても気にならない。それよりもこいつから妹について聞き出そうという思いが勝る。

 声がしたのは、もう一度挑もうとしたときだった。


「君たち、何をしている!」


 青い制服。この街の警務部だった。制服姿のふたりが駆け寄ってくる。

 大人に介入されてはもう続けられない。ガキ大将に一度も勝てなかった悔しさで、下を見つめるしかできなかった。


 警務部の人は事情の説明を求めた。だから話した。こいつが妹に何かをしたのだと。


「証拠もないのにこいつがこんなこと言って、突っかかってきたんですよ。本当にガキ。意味わかんねぇ」

「証拠はある。だって絶対嘘ついてるもん。知っていて隠しているだけなんだ」


 カヒトは必死で訴えた。しかし届かない。

 警務部のひとりが、カヒトの身なりを見て一瞬笑った。カヒトはそれを見逃さない。

 ああ駄目だ。何を言ってもこれは聞いてもらえない。失意で頭が真っ白になる。


 どうして? どうして?


 嘘をついているのは向こうなのに。どうして信じてくれないんだ。

 唇を噛んだ。血が出るほど強く噛んだ。しかし痛みはない。痛みより強い思いが、カヒトの心中を乱し続ける。

 悔しさに悲しさ。妹が心配だ。


「もういいです」


 ガキ大将と警務部のふたりに背を向けて、とぼとぼと歩く。誰かが大きな声で笑っていたが、どうでもよかった。






「よう。見ていたぞ。小僧、なかなかガッツがあるな」


 路地裏からの声に、顔を上げた。

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