リズアズアイ

羊の毛玉

0-1話

 緑色の石を見つけた。それはキラキラ輝いて、見ていると吸い込まれそうになる。

 太陽にかざしてみると、その光はより強くなった。目を開けていられないほど美しい。

 いわゆる宝石というやつだった。通常の石とは違い、光を取り込み輝く。

 それは正十二面体にカットされた加工品だった。マジックアイテムの触媒とする石なのだが、カヒトはそれを知らない。


 石を拾った少年、名前はカヒトという。年齢はおそらくやっと二桁になったところで、知識も経験も相応だ。

 まだ親に甘えたい年頃だろう。しかしカヒトはそうしない。理由は単純だ。彼には親がいなかった。物心ついた頃にはもういなかった。

 家族と呼べる存在は、血の繋がりがない妹だけだ。カヒトはその妹と廃墟で暮らしている。いつ取り壊されるかもわからない、街の隅にあるボロ屋だ。元は倉庫だったようで、広さだけは不自由しない。

 しかしそれ以外は全てが不足していた。水食料に衣類も足りない。徐々に衰退へ向かう、その日暮らしを続けるしかなかった。


 カヒトが食べ物を見つけて持ち帰る。それを繰り返す毎日だ。

 緑色の石を偶然見つけたのは、その帰り道でのことだった。


「すごくきれい」


 通貨の価値すらあやふやなカヒトですら、その石の価値には気づけた。惹きつけられる魅力がある。

 換金できればきっと楽ができるはずだ。お腹いっぱい食べられて、衣服もきれいなものに変えられるかもしれない。

 もしくは妹にプレゼントしてもいい。あいつは綺麗なものが好きなんだ。


 カヒトは食料を入れている袋を開けた。中には果物や木の実が入っている。

 石をしまおうと、袋の口に手を近づけたときだった。


「おい、おまえ」


 背後から叩きつけるような声がした。振り返ると子供がいた。カヒトよりも身長があり体格もいい。


 知っている子供だった。名前は知らないし、遊んだこともない。しかし顔はよく知っている。子どもの世界において、ここらを牛耳っているガキ大将だ。

 いつもは取り巻きを引き連れているが、今日はひとりのようだ。


 カヒトは布切れのようなボロを着ているが、ガキ大将はしっかりとした服を着ている。貴族と比べるとまあ質素だが、それでも着心地は悪くなさそうだ。

 羨ましい。そんな服を着たみたい。袖がある服とはどのような感触なのだろう。カヒトには想像するしかできない。


 話をするのはこれが初めてだった。しかしよく見る顔だったので、カヒトは警戒せずに彼を見上げていた。


「それ寄越せよ」


 ガキ大将はさも当然のように言ってのける。


「それって?」

「は? 今のに決まってるだろ。光ってたやつだよ」


 思い当たる節がひとつだけある。拾ったばかりの緑の石だ。まだ手に握っている。手に力がこもった。


 この石が落とし物でガキ大将が落とし主なら、返すのもやぶさかでない。しかし口ぶりからそうではないとわかる。

 渡すわけにはいかない。これがあれば妹が楽できるかもしれないのだ。最近は森に成る果物ばかりを食べている。これがあれば肉を食べさせてやれるかもしれない。きれいな服を買ってやれるかもしれない。だから手放せないのだ。


「嫌だ」

 角が食い込むほど石を強く握り、抱きしめるように抱えた。

「何言ってんだ。いいから寄越せ」


 ガキ大将は声を荒げる。それはもう完全な脅しで、カヒトは肩をビクつかせた。

 相手は体格が大きい年上だ。喧嘩をしても勝ち目はない。

 そんな相手が手を伸ばしてくる。強引に奪おうとカヒトの腕を掴んだ。


「離せ! 離せって言ってるだろ」

「くそっ、おとなしくしろ。それは俺のものだ。さっさと渡せよ。おまえは、黙って従ってればいいんだ。ゴミ溜めで暮らしてる分際で生意気だぞ」


 ふたりはもつれる。単純な力はガキ大将が強く、そちらが優勢だった。

 強引に腕を引っ張られ、石を握る手が胸から離れていく。このままでは強引に指を開けられて、石が盗られてしまう。

 そう考えたカヒトは足を動かした。


「いってぇ」


 ガキ大将が叫び、カヒトの腕が開放される。ガキ大将の足を蹴飛ばしたのだ。


 再び石を強く握る。カヒトは緊張から呼吸を荒くしていた。


「うぜぇ。よくもやってくれたな」


 ガキ大将は赤みがかった足をかばいながら、カヒトを睨みつける。その瞳は激しい怒りに染まっていた。

 もし次また捕まったら。その先を考えると唇が震えた。


 逃げなきゃ。カヒトは一目散に逃げ出す。


「絶対許さねぇ。待て!」


 走るのには慣れている。体力にも自信があった。

 それなのに今日はやけに疲れる。知っている道が長く感じる。

 後ろから狂気が迫る。喉が乾き、唾を飲む。

 息が上がる。汗が流れる。


 逃げなきゃ。逃げなきゃ。逃げなきゃ。


「ふざけやがって。俺を誰だと思ってるんだ」


 声が近づいてくる。逃げ切れない。

 不安に駆られ振り向くと、鬼の形相があった。あまりの恐怖に息を飲んだとき、カヒトの足がもつれる。


「あっ」


 カヒトの口から声が漏れ、地面を転がり滑った。

 腕を石ころに打ち付ける。擦り傷であちらこちらが赤くなった。痛みに目をつむり、顎を噛みしめる。それでも緑色の石は手放すまいと、強く握りしめていた。これがあればきっと妹は喜ぶから。


「もう逃げられねぇぞ」


 その声で現実に戻る。恐怖で痛みを忘れた。

 上体を起こし見上げると、ガキ大将がいい笑顔で立っていた。


「おまえみたいなクズが、この俺に逆らいやがって。教育してやる」


 転けたカヒトの顔は、ガキ大将にとって丁度いい高さにあった。


「おらぁ」


 笑顔から繰り出されたのは、容赦がない蹴りだった。咄嗟に両手で頭を守る。

 腕につま先が刺さった。幸い靴は柔らかい素材だったが、痛いものは痛い。まるで腕に穴が空くようだった。


 カヒトが倒れる。あまりの勢いに、頭が地面で僅かに跳ねた。


「少しは理解できたが? 身の程知らずのゴミが。まだまだこれからだぞ。散々コケにしやがって」


 立ち上がろうとしたとき、横腹を蹴飛ばされる。這って逃げようとすると、背中を踏みつけられた。

 砂が口に入る。ジャリジャリとして気持ちが悪い。体中が痛む。もはやどこがどれだけ痛いのかもわからない。


 頭にあるのは唯ひとつ。逃げないと。逃げないと。でなければ、殺される。

 踏みつけられながらも、なんとか離れようと試みた。前へ伸ばした手に、精一杯の力を入れる。握っていた緑色の石の角が、手のひらにツンと当たった。


「知ってるぞ。おまえ、あのボロボロのところに住んでるんだろ。野良犬みたいによ。よく恥ずかしくないよな。汚いやつ……。靴弁償しろよ。おまえが汚いせいで、靴が汚れちまっただろうが」


 ガキ大将はカヒトの腹を蹴り上げる。カヒトの体は翻り、仰向けで空を見上げた。

 体に響く痛みで、体をくの字に折る。口元からよだれがこぼれ、頬を伝い、土へとたどり着いた。

 半分ほど空けたまぶたの先には、つまめるくらいの石がある。その石に手が伸びた。


「謝れよ。俺を馬鹿にしたこと謝れよ」


 ガキ大将は顔を踏みつけようと足を上げる。その光景がゆっくりと流れて見えた。

 カヒトの指先には石がある。ちょうど触れたところだ。

 このまま踏まれたら、鼻が潰れるかもしれない。目に砂や土が入るかもしれない。

 そんなのは嫌だ。絶対に痛いし、妹に心配させる。

 だから逃げなきゃ。でも逃げられない。

 ならば、戦わなきゃ。


 カヒトには得意なことがあった。それは投擲である。石であれ木の棒であれ、投げたものは、狙った場所へと吸い込まれるように飛ぶのだ。

 いつも果物ばかりを食べている理由がこれだ。高い木に成っている実は本来取れないが、カヒトにとっては手が届く距離にあるも同然だった。足元にある石や木の枝を投げ当てて落とせばいい。


 指で摘んだ石ころを放り投げる。偶然か必然か、風が止んだ。

 カヒトはずっと見ていた場所を狙った。それはガキ大将の左目だ。怒りに満ちた瞳からは目が離せなかった。


 無理な体勢から石を投げても、本来なら狙い通りにいくはずがない。しかしカヒトの石ころは、芸術的なほど綺麗な直線を描いた。

 そして偶然まばたきをした左目に突き刺さる。


「つっあっうああ」


 言葉にならない声でガキ大将はたじろぐ。両手で左目を押さえながら、痛みに喘いだ。

 子どもが放ったものでも石は石だ。まばたきをせず直接眼球でうけていたら、失明していた可能性もある。


 カヒトは立ち上がる。逃げるなら今しかない。あちこち体を打ったが、痛みはまるで気にならなかった。


「おい、待て!」


 ガキ大将は叫ぶ。まだ左目を押さえていた。視界がはっきりしないのか、追いかけてこない。

 呼び止める声を無視してひたすら走った。走れるだけ走った。声が聞こえなくてもずっと。心臓が破裂しそうになるまで走り続けた。


 もう追いかけてこない。安堵して息を吐く。

 ずっと握っていた手を開けると、そこには汗まみれになった緑色の石があった。

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