第4話 Chapter 4

――蓮雲が、あんな悩みを抱えていたなんて……。

 初めて知った彼女の苦悩。いつもの彼女の雰囲気からは想像も出来ないような懊悩を聞かされ、あんなことを言ってしまったが良かったのだろうかと後悔した。

 彼女の悩みはわたしと似て非なるもの。きっとわたしでも蓮雲の気持ちを完全に理解することなんてできない。なのにあんな助言を……。

 気がつくとわたしは着替え室にいた。制服を脱ぎ、下着だけになる。壁に飾られていた衣装に目が入り自然とわたしはそれに触れた。

――これが、わたしの衣装。

 着替えを手伝う女性社長から装飾品のボリューム感に時間を掛けてしまったと聞かされた。派手な方が映えるだろうが、その分装飾品が邪魔になり演奏に支障が出る可能性があった。今日わたしの姿を見て最終判断をしたみたいで、結局のところは装飾品は付けないと泣く泣く判断したらしい。社長はそんな話を悲しい瞳でわたしに聞かせた。

 スノーホワイトのドレスは光沢感のあるシャンタン生地。ワイヤーで主張しすぎない程度にふっくらとしたロングスカート。肩は出すスタイルのようで少し心細いが演奏の邪魔にならなさそうだし、照明の光がいつも熱く汗をかいてしまうのでこれはこれでいいのかもしれない。

 最後に銀のヒールに足を通す。ペダル操作を考慮してか踵は高くなく歩きやすい。

 わたしは姿見の前でくるりと回ってみせる。銀の靴は一国の王女のようなに気持ちにさせ高揚感が増していく。

 けれど……この衣装は、はたして自分に似合うのだろうか、と黒い考えがよぎった。自分には手が余るものなのではないかと。本来着るべき主を待つようなそのドレスを想うと少し悲しい気持ちになった。

 今すぐにでも脱ぎたいという衝動が心に駆け巡り手がドレスに触れた瞬間、

――いけない……また悪い考えをしている。

 負の感情を拭い去り、そして一人部屋に残した彼女の言葉を思い出した。

「あの、友だちに見せてもいいですか?」

「ええ、もちろん。あの子にも見せてあげて」

 社長の了承を得て、蓮雲の待つ部屋に戻る。

 ドアノブに触れるも、それは一層重く感じた。

 今、このときも彼女はわたしの言葉のせいで悩んでいるのだろうか。

 そう思うとメランコリックな感情に押しつぶされそうになる。

 本当に辛いのは彼女の方なのに……。

 ガチャリ、と扉が開く。

「遅かったねぇ、やっぱりドレスって時間が掛かる……」

 彼女は突然言いかけた言葉を失う。

 わたしと蓮雲の視線が重なる。

 何故だか蓮雲はまるで信じられない奇跡を目撃したかのようにポカンとあんぐり口を開けて硬直している。

「あの、似合ってませんでしたか?」

「い、いや。そんなこと……」

 わたしの言葉に意識を取り戻したのか慌ててわたしとの視線を逸らした。

 夕陽が落ちるのに反比例するように蓮雲の頬は徐々に赤く染まっていた。

「大丈夫?スカート長すぎない?」

「ええと、少しだけ短くできますか?素敵なデザインなのですが、裾を踏んでしまいそうで」

 隣にいる社長に申し訳なく思いながらも返答すると少し残念そうに了解する。こだわって作った衣装が変更となると心が痛むのだろう。

 わたしは蓮雲の前まで歩み寄る。

「どうでしょう。少しわたしには大人すぎるかもしれませんね」

 衣装に着せられているような感じがして居心地が悪かった。もう少し身長があれば似合っていたのかもしれない。

「ううん、そんなことない。すごくヒナに似合っているよ」

 なぜか顔を横に向け……けれど、目だけがチラチラとこちらに視線を送っている。頬だけでなく耳までも紅潮させていた。

「大丈夫ですか、顔真っ赤ですけれど」

「ええっ!?そんなこと!」

「風邪ではないのですか、だってこんなにも」

 わたしは彼女の体温を確かめるために額に手を伸ばす。やはり少し熱い。

 すると蓮雲はわたしの手を押さえ、

「だ、大丈夫だから……もう試着はいいの?」

「ええ、今日はこれでおしまいです。手直しをしてからまた取りに伺うつもりです」

「そっか……あっ、ねえ、ヒナ」

 蓮雲は叱られている子供のように小さく肩を竦めながら問いかける。

「なんです?」

「コンサートって今週の日曜日だっけ?」

 彼女の問いにそうですよ、と答えると蓮雲は歯切れ悪く髪を弄りながら、

「……ボクも行ってもいい?」

 と言った。いつもは無邪気な少年のように振舞う蓮雲から覗かせる少女らしい一面。そのギャップにわたしの心臓は大きくはずませた。

「……ええ、もちろんですよ」

 本当に……!?と蓮雲はぐっと身を寄せる。

 すると今度は視線を床に向ける。なぜだかそれが怒られているように見えて思わず笑ってしまいそうになった。

 だって、こんな蓮雲は見たことがなかったからだ。


 バクバクと未だに高鳴る胸を押さえながらようやく自室にたどり着き、すべてに安堵し身を委ねるかのように扉に背を預ける。

 自分がどうやって家に帰ったのか覚えていない。

 たぶんだけど、ヒナとバス停まで歩いて一緒に乗って帰ったはずだ。

 でも、その記憶がすっぽりと抜けている。

 それもあの……ヒナの衣装を見てからだ。

 胸がはじけそうになったのを今でも覚えている。まるで夢を見ているような感覚。こんな感覚に襲われるのは二度目だった。

 一度目はヒナと初めて出会ったときのこと。ヒナはあまり覚えていないみたいだけど。

 入学式から数日たったある日、部活見学に学校をうろうろとしていたら不意に優しい音色がどこからともなく聞こえてきた。今まで聴いたことのない、けれど引き寄せられるような高揚感を含んだピアノの音だった。

 ボクは蜜に誘われる蜂のように音のする方向へと歩を進めた。音の出どこは検討がついていた。確か近くに音楽室があったはずだ。

 音楽室の扉は開いていた。様子を見ようと覗き込むと女子生徒がピアノを弾いていた。

 背を向けていた少女の後ろ姿。その子は優雅な手つきで鍵盤を叩き、そのたびにショートボブカットの黒髪が揺る。まるで天使が踊っているような光景。

 ピアノを弾いている彼女を見ていると次第に胸が締め付けられるように苦しくなる。

 少女が振り返った瞬間、パンと心臓が破裂したのではないかと思うような衝撃が全身に響き渡った。

 目と目が合い、互いの名前を言った。

 西野 雛菊というのが彼女の名だった。

 そしてボクとヒナは二人で部活巡りに出かけた。

 凜として清楚でボクなんかとは違う世界にいるような人だった。そんな人に初めて出会った。どういう会話をすればいいのかわからない。結局ボクはいつもの調子で話し掛けてしまった。

 結果、彼女は困り顔を浮かべてボクの話を聞いていただけだった。

 それ以降、ヒナとの交流は途絶えてしまった。話し掛けようとしたけれど、そのときの顔がチラついてどうしても話しかけれなかった。

 ボクは彼女の後ろ姿を見ていることしか出来なかった。

 彼女は彼女の世界、ボクはボクの世界に別れてしまった。

 だけど、ある日転機が訪れた。愉しそうに談笑しているのを眺めているときに、ヒナが浮かない顔をしているのに気がついた。気になって後を付けてみる。まるでストーカーのようなことをしていると自覚はあるものの気になって仕方がない。

 彼女はベンチに座って黄昏れていた。こんな寒い中一人で、だ。ボクは急いでUターンし鯛焼きを二個買い、一緒に食べる口実を何とか考え抜いて声を掛けた。

 彼女の方から昼食を誘われたときは飛び上がるほど嬉しかったし、バスの中でボクに身体を預けながら幼子のように寝てしまったときは、恥ずかしさで暖炉に薪をくべるようにどんどんと体温が上がって抑えることなんて不可能だった。

 そうしてヒナと距離が近づき、ヒナに悩み事があるというのを聞き、音楽室でそれを吐露し、ボクは何とかしてあげたいという感情が込み上がってきた。

 交流を深め、今なら冗談を言い合えるまでになった。

 彼女のピアノを傍で聴けるし、一緒に出かけるようにもなった。

 そして今日、ヒナの衣装姿を見て同じ衝撃を受けた。初めて出会ったあの衝撃が何なのか理解できた。

 一目惚れだった。

 運命を感じた……なんて、ちんけな言葉だけど、ボクはそれを感じられずにはいられなかった。

 ボクの悩みを真摯に聞いてくれる彼女。凜とした姿でみんなに振る舞い、自分の傷を隠し続けていた。だからボクは彼女の傍を離れたくない。

 好きな人の言葉を信じてみたい。

 玄関の戸が開く音が聞こえた。

 今から自分がしようすることに息が詰まりそうになるも、背にしている扉を開いた。

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