第3話 Chapter 3
「ええっ!今日はピアノ弾かないの!?」
蓮雲のその絶叫にも近い大声は教室中を響かせた。
「今日はちょっと用事があって早く帰らないといけないんです。ごめんなさい……毎日聴いて欲しいと言ったばかりなのに……」
「じゃあ今日は何のために頑張って授業受けてたのか……全部水の泡じゃないか」
蓮雲は分かり易く肩をガクンと落とし項垂れる。
何日か放課後を蓮雲と一緒に過ごし、わたしはあの演奏のときに抱いた感情を探し求めていた。けれど、今日は他に行くべき場所があった。
「それで、用事ってどこ行くの?」
「コンサート衣装の試着に市内の工房まで行かなくてはならないんです」
「試着?」
「ええ、今週の日曜日にあるコンサート用の衣装です。採寸とか装飾品の確認に行くんです」
「ならボクも行ってみたい!」
おもちゃをねだる子供のような仕草でわたしをキラキラとした瞳で見詰める。
「結構時間掛かるかもしれませんよ」
「全然いいよ!だってコンサート衣装でしょ、きっと素敵なんだろうなぁ」
「蓮雲にもそういうのに憧れがあったのですね」
「当たり前じゃないか、ボクだって乙女だからね!」
蓮雲は白い歯を見せながら無邪気に笑って見せる。
「わかりました、では時間もないのですぐに行きましょうか」
「電車?」
「いえ、バスで行きます。市内といっても駅から離れた場所にあるので」
工房は駅からよりもバス停の方が近い。しかも乗り換えの必要はないから学校から行くのであればバスの方が早く着くし楽だった。
学校を出て、校名と同じ名前のバス停で待っていると5分もせずにバスがやってきた。乗り込み中を見渡すと他に乗客は二人だけで前の方に座っている。後方は誰もおらず席も空いていた。二人席を見付け窓際にわたし、隣に蓮雲が座る。
「どれくらいで着くの?」
「30分ぐらいですよ」
「そっか~なら、お休みね」
そう言うと彼女は瞼を瞑り、腕を組んで寝ようとしだした。
「ええ、着いたら起こしますね」
「はぁ……ヒナは本当に甘々だね。怒ったりしないの?」
閉じた目を開け、どこか呆れた様子の蓮雲にわたしは疑問符を浮かべた。
「だって、昨日も夜遅かったのではないですか?午後の授業もちゃんと受けていましたし、きっとお疲れなのでしょう。寝てもいいですよ」
「ひゃー、そんなこと言われたらさすがに罪の意識を感じるよ」
「罪の意識、ですか?」
どういうことだろうと首を傾げる。
ならさ、と言って蓮雲はわたしの方にお尻一つ分寄せる。
「ヒナ、一緒に寝ない?」
「えっ、わたしもですか?」
「うん、ヒナも疲れてるでしょ、ほらほら寝ましょうね~」
そう言い、手を回され強引にわたしの頭を蓮雲の方へと寄せられる。彼女の身体に密着したとき女性特有の温かな体温と甘い香りが鼻腔をくすぐる。
少年のような見た目なのに彼女からは間違いなく少女の香りがした。その落差にわたしはどうしようもない気持ちになってしまった。
けれど、嫌な気はしない。むしろ心地良さがわたしを包み込む。
こんな姿を同級生に見られたらどうしようと普段なら思うはずだが、不思議と今は大して気にはしなかった。
もしかしたら運転手がバックミラーで見ているかもしれない。けれど、見られても構わなかった。
そして何故だか蓮雲の身体の体温がどんどんと上がっているように感じた。それが気持ちよくて、うっとりして、さらに安心感を加速させる。
すると段々と感覚がぼやけてきて、わたしはもう瞼を開けることが出来なかった。
「ねえねえ、ヒナ起きて、次で降りなきゃだよ」
思考に靄が掛かって呼ばれているのが分かってもいても上手く返事ができない。
揺さぶられ、目元を擦る。呼び掛けられた方へと顔を向ける。朧気に見える蓮雲の顔。次で降りる……?と意識が回復していくにつれて本来の目的を思い出しはっとした。
バスのアナウンスが聞こえ停車を知らせる。程なくしてバスは停まり、自動ドアが開く音を確認して慌てて鞄からICカードを取り出す。前もって準備していた蓮雲はすたすたとわたしの前を行き颯爽とバスから降り、わたし慌ただしくも後を追う。ドアが閉まりバスは次の目的地へと去って行った。
「ヒナ爆睡だったね!」
「そんなに寝てましたか?」
「うん、いびき立てながら、しかもよだれもダラーってたらしてさ!」
「ええっ、嘘!?」
わたしは口周りと制服を慌てて確認する。
「うん、嘘だよ」
蓮雲はわたしの様子を見ながらゲラゲラと笑った。
「……酷いです」
「ごめんごめん。だってからかいたかったんだもん」
悪びれる様子も見せずにはっきりと言い放った。
「よし、じゃあ行こうか……ってどっち?」
「ここから10分ほどのところにあります。こっちですよ」
バスの進行方向とは反対側の通りを指差す。
夕焼けが煌々と街を照らしわたしたちを暖めてくれようとしている。けれど、吐く息は白く外気は冷え込み、吸い込んだ息は肺を凍らせるようだった。
市内から離れているとはいえ、この道もクリスマスを彩るネオンサインが輝かしい光を放つぐらいには栄えていた。おもちゃ屋の前では子供が物欲しそうな目で見詰め、一仕事終えた営業マンはポケットに手を入れ夕食をどこで取ろうかと思案しているようだ。
大通りから小道へと曲がろうとしたとき、曲がり角のショーウィンドウの前で立ち止まってしまった。
「ん?欲しいものでもあるの?」
「少し……ですけどね」
わたしは展示されていたネックレスに視線が釘付けになっていた。丸くカーブした曲線を描く月。飾り気のないシルバーでプレーンなデザインだけれども、わたしはむしろそのシンプルさに惹かれた。
値札に目が行く。そこには6930円と値が出されていた。
「7000円か~。新品のゲームがギリギリ買えるかどうかの値段だね」
「蓮雲はまたそんなことを言って……」
「ボクの判断基準はそこだからね」
と口の端をほんの少し吊り上げ笑みを見せる。彼女らしい返答に呆れつつも釣られてわたしも笑ってしまった。
「ヒナに似合いそうだけどなぁ。コンサートに付けていけば?」
「保留ですね。手持ちもありませんし」
そっかぁ、とわたし以上に残念がる蓮雲を横目にわたしたちは目的地の工房を目指し再び歩み始めた。
「ごめん、ごめん、ほんっとごめん!約束の時間に来てもらって申し訳ないんだけれど、もう少しだけ待っててもらっていい?」
来て早々、20代後半の若い女性がわたしのところにやってきて手を合わせ平謝りをしてきた。どうやら衣装がまだ完成していないのだという。微調整だけらしく少しだけ待って欲しいと言われ、わたしと蓮雲は控え室に案内された。
「もう完成してるんじゃなかったの?」
「結構こだわりの強い人なので、ギリギリまで粘るんですよ」
ボタンはもちろんのこと、フリルやレースの素材、寸法までこだわる人だ。もっとも客席からそれを視認できるとは思えないけれど。彼女がこの工房を切り盛りしている代表で完璧主義で意地を貫く性格だった。
「まあ、期日はきっちりと守る人なので今日中には試着できると思います」
「今日は試着だけ?持って帰らないの?」
「試着して問題なければ持って帰りますけど……あの人のことだから手直しさせて欲しいって言われると思います」
「プロ意識が高いんだね」
悪い人ではないし腕は確かだ。だからいつもこの店を利用している。ただこだわりが強いというだけなのだ。
「さてと、ちょっと暇になったね」
ソファに蓮雲はドシッと腰を下ろす。高級そうな革製のソファだな、と手で優しく撫でながらわたしも蓮雲の横に座った。
「スマホのゲームでもしないのですか?」
「もお、心外だなぁ。ヒナ一人をほったらかしてゲームなんてしないよ」
蓮雲は分かり易く頬を膨らませ咎めるような視線を送った。
「えっと、わたしはそこまで気にしませんけど」
「ボクが気にするよ。はぁ~バスでもそうだけど、ヒナ“も”相当ボクに甘いよな~」
「も、とは他に誰かいるのですか?」
蓮雲がその部分だけ強調して言ったのでその人物が気になった。自分でも無意識で言っていたのか蓮雲は強張った顔をした。
「……ボクのお父さんのことだよ」
わたしから視線を外し、苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「だったら優しいお父様ではないのですか?」
期待されず放置されるよりも、わたしにはそっちの家庭の方が嬉しいと思ってしまった。
「過保護すぎるんだよ……お母さんが死んでからいっそう、ね」
突然の言葉に息が詰まりそうになる。
暗い影などいっさい見せなかった彼女の繊細な部分に触れてしまい慌てて訂正の言葉を探した。
「ご、ごめんなさい、わたしそんなつもりで……あの……」
「わかってるよ。……言わなかったからね。生まれてすぐのことだったっからお母さんのこともほとんど覚えてないんだ。だから、お父さんが母親を兼任してくれていた。だから……甘いんだよ」
横顔から見える彼女の瞳は何故か罪悪感と悲壮感の間で揺れ動いているように見えた。
「ヒナは大学行くの?」
急に何の脈絡もなく話題を振った。わたしを見る蓮雲の視線は鋭く棘のようなものを感じた。
思考が追いつかずええっと、とどもりながらも答える。
「まだどこの大学に行くかとかは決めていませんが、行くつもりですけど……」
そうか、と小さく呟き、
「ボクは就職する」
とだけ簡素に、だけれど力強く答えた。いつもの蓮雲ではないような声音に身が竦む。
「どう思う?」
まるで試すかのような声音。たじろぎ、いつもの彼女にはないプレッシャーを感じた。
正直、大学に行くべきだと思った。高校を卒業してすぐに就職する理由が分からなかった。家庭環境が悪いから?けど、さっきの話しぶりからそれは感じられない。
喉が詰まりそうになりながらもわたしは一つの答えだした。
「わたしは……いいと思います。蓮雲が決めたことなら」
「……そうだよねぇ」
大きく息を吐いて少しだけ普段の蓮雲を思わせる雰囲気を醸し出し、わたしも小さく安堵の息を吐く。
「お父さんにこの話をしたらどう思われるだろう……」
「高校を卒業したら就職するという話をしたのですか?」
「まだしていない。なんか反対されそうで……怖いんだ」
親の気持ちを考えれば大学に行ってほしいだろう。高卒よりも大卒の方が今後の就職のことを考えれば有利なのは間違いない。
「蓮雲はどうして就職したいのですか?家を出たいから……親子仲がよろしくないのですか?」
わたしのように家族から期待されていないのだとすると家を出たい気持ちも理解できる。するとわたしの予想と違い蓮雲は首を横に振る。
「ううん……むしろ逆。わたしのことを大事に想っているっていうのはすごく伝わる」
「ならどうして……」
「親馬鹿っていうのかな。行きたいところには連れて行ってくれたし、欲しいものは全部買ってくれた。お父さんは必死で働いて自分の時間を殺してボクにすべてを捧げている」
悲しげな瞳を床に視線を落とす。その姿が雨に濡れて酷く弱った子猫のように見えた。
「今までのボクはそれを受け入れていた。それを当然だと思い込んでいた。けどある日、ネットで知り合った人と話してて気付かされたんだ。自分は甘えた生活を送っているんじゃないかって。ボクは今までの自分を恥じた。だから自立しようと思った」
けど、と噛みしめるように言葉を続ける。
「甘えきった生き方を抜け出すことはなかなか出来なかった。色々考えたさ、一層のことこの立場を利用してプロゲーマー目指そうかなとか、ネットアイドルになろうかなとか……でもそう簡単にいかなかった。余計な時間とお金を食い潰しただけじゃなく、さらに自分はこの現状にすがりついて甘えていただけなんだと思った」
「だから就職したいと……」
「うん、生活自体を変えないとボクはたぶんダメなんだと思う。きっとそういう性格なんだよ」
長く力ない吐息を吐き、彼女はわたしに視線を移す。
「ほんと情けないよね、こんな出来損ないみたいな人間。ほんと……ダメだ」
痛ましい顔つきになり、わたしの好きな月の眼に雲がかかり瞳に色が失われていく。細い糸が切れかかっている姿に形容しがたい胸の震えを感じた。
「なら、正直にその話をしてみたらどうですか?」
「それは……」
「本当にしたいことを、ちゃんと親と話した方がいいと思いますよ」
「でも……」
「わたしにはそれが出来ませんから……」
蓮雲はハッとした表情でわたしを見遣る。
「あっ、これは嫌みとしてではないんです!ただ、蓮雲のような家庭環境がわたしには素直に羨ましいと感じているんです。……だって、少なくとも親に愛されているんですから」
「……そうかもしれないね」
「だから、蓮雲も……信じてみてはどうですか」
「信じる……」
「お母様を亡くされて蓮雲に精一杯の愛を注がれてこられたのですから、蓮雲なりに答えてあげてはいかがですか?」
蓮雲は再び俯き、真剣な眼差しで床の一点を見詰める。
――蓮雲もこんな風に悩むんだ……。
大なり小なりあるにしても悩みのない人間などきっといない。
けれど、自分のアドバイスは本当にこれでよかったのだろうか。変に彼女の家庭事情を乱してはいないだろうか。
ドアが唐突に開かれ、わたしと蓮雲の二人の時間は終わりを告げた。
「おまたせ!待たせちゃったわね。準備できたわよ雛菊さん」
社長が取り散らかした髪をかき上げながら顔を覗かせた。
「ほら、ヒナ。行ってきなよ」
「えっ、でも……」
「ヒナが行ってくれないと、ボクの目的忘れた?」
先程とは打って変わっていつもの春の温もりのような笑顔を見せながら肩を押されわたしは部屋を後にした。
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