武蔵野聖地に関するニ、三の事柄
嵯峨嶋 掌
いざ、聖地へ……
1.
〈文字殺し〉に追われて一目散に
やつら……の正体を詳述するには、それこそ四百字詰原稿用紙何百枚も要してしまうのだろうけれど、いま、それを語る資格はぼくにはない。なぜなら、かつて、ぼくも悪名高いやつら……すなわち〈文字殺し〉の一員だったからだ。
陽は落ちてはいたものの、
「ふん、驚かねえな」
〈文字殺し〉は唐突に
そうやって
「おい、聞いてるのか? どうして、逃げる?」
〈文字殺し〉はやや高めの声で、あたかも口笛を吹くように感嘆してみせた。かつてぼくも追い詰めた物書き連中をそうやって
「やめたくなった……ただそれだけのことだ」
ぼくは短く答えた。
懐中電灯を照らしこちらをしげしげと観察していた〈文字殺し〉の班長らしき
ぼくはじっと相手を見据えた。
もちろん微妙な表情などは分からない。それでいい、相手の表情から何かを読み取る次元ではないからだ。
「なあ、教えてくれ! なぜなんだ?」
相手の声に
ぼくが〈文字殺し〉として
いずれにせよ、物書きたちを驚かせ苦しませたあの
2.
ウイルスに感染したネット公開中の作品が次から次へと書き換えられていく……この未知のウイルス自体が高度な知能を有しているのか、それとも特殊な人工知能機能を組み入れたアルゴリズムによって動いているのか、その詳細は不明だった。たとえば、“年齢制限・過激表現あり”の作品が、まったくエロさのないほのぼの系ヒューマンドラマに書き換えられたり、シリーズ物の探偵が序章でいきなり殺されたまま一度も登場しなかったり、勇者が愚者になっていたり、ドラゴンの魔女が出てきたり、主人公が転生する場所がブラックホールで、突然物語が終わってしまったり……。
この未知のウイルスを、物書きの一人が〈コロコロナ〉と名付けた。
物書きにとっては、営業妨害どころの話ではなかった。
著作権侵害の最たるもので、このウイルスが蔓延すれば、ネット小説は壊滅してしまう。そんな未曾有の危機に直面したのはほんの数年前のことだった。
もとより、物事、事象には必ず二面性があって悪い面ばかりではないこともまた否定しようがない事実というもので、ストーリーも何もあったもんじゃない駄作凡作が、見事な構成と血肉湧き踊る良質のファンタジー作品へと書き換えられたり、ただの書き殴りエッセイが堂々たる純文学作品へ変貌を遂げた……。
この降って
分裂した物書きたちのなかで、良心と原点回帰を掲げて、ウイルスに対抗する主流派たちは、このコロコロナとそれに迎合する箸棒作家たちのことを〈文字殺し〉とネーミングしたのである……。
当時、箸棒作家のぼくは仲間を
「おまえ……いや、あなたは伝説の人だ……なのに、どうして?」
ぼくを追ってきた〈文字殺し〉たちを率いているのは、かつてぼくの
「なあ、教えてくれ!」
そいつはまだそんなことを
「教えるもなにも……気づいたんだ…それだけのことさ」
「気づくって……何に?」
「それぐらい自分で考えろよ」
「・・・・・・・・」
「箸棒であっても……物書きには変わりない。そんな当然のことに気づいた途端、急に虚しくなっただけのことだ」
「むなしいだと? それが分からん……コロコロナのおかげで、おれたちは箸棒から脱皮できたというのに、なぜ悩む必要があるんだ!」
そいつは言う。かつてぼくがよく口にしてきたフレーズだった。
3.
やつらは十人近く居た。いやもっと大勢いたのかもしれない。老若男女……といえば
両手を縛られることもなく、ぼくは水とインスタントラーメンを差し出された。充電池内蔵のランプがいやにまぶしかった。連中のなかで一番
「できれば……熱いコーヒー、飲みたいな」
と、言ってみた。
すると男は舌打ちしてから立ち上がり、しばらくしてアルミ製カップをぼくの鼻もとに突き出した。
「やけどするなよ」
「お……ありがと」
「な、さっき、むなしいとかなんとかほざいていたろ? そんな感情、物書きなら誰もが持ってる……」
そんなことを男は喋り出した。
ひゃあほぉい。
と、ぼくは心のなかで叫んでいた。おお、これは、物語の導入としては、定番中の定番だ、と嬉しくなった。虚しさを感じた人間が次にどんな行動に出るのか・・・・すべての物語の起点であろう。つい機転をきかし、帰点へ到達する道筋を想像してみた。まさに、基点であり、輝点としか言いようがない。
そんなことを考えていると、その初老の男は、
「な、なんだあ? 薄笑みを浮かべて……馬鹿にしてるんだな」
と、突っ掛かってきた。
「いや、馬鹿になんかしてないさ。ぼくも随分と悩んできたから」
「悩んだ結果が……裏切りなのか?」
「裏切りもなにも、あのときは、良かれとおもっておのれの判断で行動していただけさ……ただ、コロコロナなんかに頼らず、死ぬまでに一遍、オリジナルのものを書いて
「オリジナル?……それが駄作凡作でもか? ウイルスが傑作に書き換えてくれるのに!」
「そりゃあ、最初は……ぼくも感激したさ……自分でもこんなものが……とね。でもウイルスが終息すれば、また、元に戻るだけだろ? だったら今のうちにオリジナルを……と思っただけだよ。べつに大層な文学理念や書き手としての崇高な使命感からじゃない、自分の書きたいものを書く……たとえそれが駄作凡作だろうと……」
「・・・・・・・」
男は驚いてギロリと眼光を
いや、一閃、という表現は的確ではない。べつに刀を抜いたわけではないのだから。
ぼくは
「これからどうすんだ?・・・・武蔵野の聖地に来たということは、〈文字殺し〉との決別を
「だ、か、ら、そんな大層なことじゃないし。そっにはどうなんだ? キャンプ道具を持ち込んで武蔵野で何をするつもり?」
「おれたちは……なんと呼ばれようと〈文字殺し〉なんかじゃない。そんな意識は毛頭なかったのに、決めつけられて迷惑しているほうだ。だから、角川武蔵野ミュージアムの屋上にモニュメントを造ろうとやってきたんだ」
「モニュメント?」
思わずぼくは
ひゃあほぉい。ぼくは頭裡で歓びの雄叫びをあげていた。なぜなら、ぼくもミュージアムの屋上に記念碑を建てることを計画していからだ。
4.
数日の間、
ミュージアムの屋上にモニュメントを建てるかれらの計画の本質は、すべての物書きへの休戦の
そもそものぼくの
ぼくらはめざす。ぼくらは歩き続ける。
ぼくらの
( 了 )
武蔵野聖地に関するニ、三の事柄 嵯峨嶋 掌 @yume2aliens
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