武蔵野聖地に関するニ、三の事柄

嵯峨嶋 掌

いざ、聖地へ……

 1.

 〈文字殺し〉に追われて一目散に疾走はしってきた先には細く長い道が続いていて、そこはかつて〈武蔵野〉とばれていた樹林帯である。

 やつら……の正体を詳述するには、それこそ四百字詰原稿用紙何百枚も要してしまうのだろうけれど、いま、それを語る資格はぼくにはない。なぜなら、かつて、ぼくも悪名高いやつら……すなわち〈文字殺し〉の一員だったからだ。

 陽は落ちてはいたものの、ほのかに明るさを感じたのは月のせいでも錯覚でもなく、草叢くさむらのなかでこちらをうかがう眼球に宿っていたほのおだと気づいたとき、ぼくはに囲まれていることに気づいて呆然ぼうぜんとした。


「ふん、驚かねえな」


 〈文字殺し〉は唐突にいてきた。

 そうやって悠然ゆうぜんといたぶることで、こちらの出方というものを探っているのだろう。あるいは、ぼくを仲間に引き戻すことまで想定し、その可能性の高低を見極めようという腹なのだとわかる。


「おい、聞いてるのか? どうして、逃げる?」


 〈文字殺し〉はやや高めの声で、あたかも口笛を吹くように感嘆してみせた。かつてぼくも追い詰めた物書き連中をそうやって威嚇いかくしてきたものだった。


「やめたくなった……ただそれだけのことだ」


 ぼくは短く答えた。

 懐中電灯を照らしこちらをしげしげと観察していた〈文字殺し〉の班長らしき容貌かおは、目だけがギョロリとしていて、服を着ているのかいないのかわからないほど黒く、闇に溶け込んでいるようにおもえた。

 ぼくはじっと相手を見据えた。

 もちろん微妙な表情などは分からない。それでいい、相手の表情から何かを読み取る次元ではないからだ。


「なあ、教えてくれ! なぜなんだ?」


 相手の声におびえが含まれているのをぼくは感じた。こういう空気の震え……張り詰めたなにかが火花のように飛びさまよう残像感を、これまで何度も何度も体験し感得かんとくしてきた。

 ぼくが〈文字殺し〉として闊歩かっぽしていた頃には、逃げ惑う物書きたちを追ってこの武蔵野界隈へよく足を踏み入れたものだ。なぜ武蔵野かといえば、物書きそれぞれに聖地のようなものが存在していたのだ。玉川上水エリアであったり、新宿ゴールデン街であったり、かつての有名作家や文豪たちの生家や因縁の深い一帯を、同志らの連絡場所や一時の会合拠点として選んできたそんな経緯いきさつの延長線上に〈武蔵野〉も位置づけられたふしがあった。角川武蔵野ミュージアムの存在も大いに寄与していたのだったかもしれない。

 いずれにせよ、物書きたちを驚かせ苦しませたあのコロコロナ禍・・・・・・のなかで、〈文字殺し〉は生まれた。



2.


 ウイルスに感染したネット公開中の作品が次から次へと書き換えられていく……この未知のウイルス自体が高度な知能を有しているのか、それとも特殊な人工知能機能を組み入れたアルゴリズムによって動いているのか、その詳細は不明だった。たとえば、“年齢制限・過激表現あり”の作品が、まったくエロさのないほのぼの系ヒューマンドラマに書き換えられたり、シリーズ物の探偵が序章でいきなり殺されたまま一度も登場しなかったり、勇者が愚者になっていたり、ドラゴンの魔女が出てきたり、主人公が転生する場所がブラックホールで、突然物語が終わってしまったり……。

 この未知のウイルスを、物書きの一人が〈コロコロナ〉と名付けた。

 物書きにとっては、営業妨害どころの話ではなかった。

 著作権侵害の最たるもので、このウイルスが蔓延すれば、ネット小説は壊滅してしまう。そんな未曾有の危機に直面したのはほんの数年前のことだった。

 もとより、物事、事象には必ず二面性があって悪い面ばかりではないこともまた否定しようがない事実というもので、ストーリーも何もあったもんじゃない駄作凡作が、見事な構成と血肉湧き踊る良質のファンタジー作品へと書き換えられたり、ただの書き殴りエッセイが堂々たる純文学作品へ変貌を遂げた……。

 この降っていた“カフカ的状況”は、物書きたちの分裂を招来してしまった。なんとなれば、かつてのぼくのような箸棒作家、そう、箸にも棒にも掛からない物書きたちにとっては、狂喜乱舞の時代が到来したからだ。自分の駄作凡作が、知らない間に傑作名作へ書き換えてくれるこのコロコロナウイルスこそ、待ちに待った神聖なる文学の神様のような存在としてあがめたのは当然の帰結であったかもしれない。

 分裂した物書きたちのなかで、良心と原点回帰を掲げて、ウイルスに対抗する主流派たちは、このコロコロナとそれに迎合する箸棒作家たちのことを〈文字殺し〉とネーミングしたのである……。

 当時、箸棒作家のぼくは仲間を糾合きゅうごうし主流派たちの会合やデモに殴り込みをかけた……ものだ。


「おまえ……いや、あなたは伝説の人だ……なのに、どうして?」


 ぼくを追ってきた〈文字殺し〉たちを率いているのは、かつてぼくのそばで動いてきた者の一人であったのかもしれない。


「なあ、教えてくれ!」

 そいつはまだそんなことをいてくる。

「教えるもなにも……気づいたんだ…それだけのことさ」

「気づくって……何に?」

「それぐらい自分で考えろよ」

「・・・・・・・・」

「箸棒であっても……物書きには変わりない。そんな当然のことに気づいた途端、急に虚しくなっただけのことだ」

「むなしいだと? それが分からん……コロコロナのおかげで、おれたちは箸棒から脱皮できたというのに、なぜ悩む必要があるんだ!」


 そいつは言う。かつてぼくがよく口にしてきたフレーズだった。



3.


 やつらは十人近く居た。いやもっと大勢いたのかもしれない。老若男女……といえば大袈裟おおげさだろうが、一様にぼくを睨んでいる。やつらの天幕テントには必要最低限の生活用品が完備されていて、どうやら近くにバンかキャンピングカーを停めているらしかった。

 両手を縛られることもなく、ぼくは水とインスタントラーメンを差し出された。充電池内蔵のランプがいやにまぶしかった。連中のなかで一番年嵩としかさの男が持ってきたのだ。水だけを飲んでから、

「できれば……熱いコーヒー、飲みたいな」

と、言ってみた。

 すると男は舌打ちしてから立ち上がり、しばらくしてアルミ製カップをぼくの鼻もとに突き出した。

「やけどするなよ」

「お……ありがと」

「な、さっき、むなしいとかなんとかほざいていたろ? そんな感情、物書きなら誰もが持ってる……」

 そんなことを男は喋り出した。

 ひゃあほぉい。

 と、ぼくは心のなかで叫んでいた。おお、これは、物語の導入としては、定番中の定番だ、と嬉しくなった。虚しさを感じた人間が次にどんな行動に出るのか・・・・すべての物語の起点であろう。つい機転をきかし、帰点へ到達する道筋を想像してみた。まさに、基点であり、輝点としか言いようがない。

 そんなことを考えていると、その初老の男は、

「な、なんだあ? 薄笑みを浮かべて……馬鹿にしてるんだな」

と、突っ掛かってきた。

「いや、馬鹿になんかしてないさ。ぼくも随分と悩んできたから」

「悩んだ結果が……裏切りなのか?」

「裏切りもなにも、あのときは、良かれとおもっておのれの判断で行動していただけさ……ただ、コロコロナなんかに頼らず、死ぬまでに一遍、オリジナルのものを書いてのこしたいと思う気持ちが強くなってきただけのことさ」

「オリジナル?……それが駄作凡作でもか? ウイルスが傑作に書き換えてくれるのに!」

「そりゃあ、最初は……ぼくも感激したさ……自分でもこんなものが……とね。でもウイルスが終息すれば、また、元に戻るだけだろ? だったら今のうちにオリジナルを……と思っただけだよ。べつに大層な文学理念や書き手としての崇高な使命感からじゃない、自分の書きたいものを書く……たとえそれが駄作凡作だろうと……」

「・・・・・・・」


 男は驚いてギロリと眼光を一閃いっせんさせた。

 いや、一閃、という表現は的確ではない。べつに刀を抜いたわけではないのだから。

 ぼくは頭裡あたまのなかで文章を練り直しつつ、言い換えようとしたとき、男が言った。

「これからどうすんだ?・・・・武蔵野の聖地に来たということは、〈文字殺し〉との決別を喧伝けんでんするためだろ?」

「だ、か、ら、そんな大層なことじゃないし。そっにはどうなんだ? キャンプ道具を持ち込んで武蔵野で何をするつもり?」

「おれたちは……なんと呼ばれようと〈文字殺し〉なんかじゃない。そんな意識は毛頭なかったのに、決めつけられて迷惑しているほうだ。だから、角川武蔵野ミュージアムの屋上にモニュメントを造ろうとやってきたんだ」

「モニュメント?」


 思わずぼくはき返した。

 ひゃあほぉい。ぼくは頭裡で歓びの雄叫びをあげていた。なぜなら、ぼくもミュージアムの屋上に記念碑を建てることを計画していからだ。



4.


 数日の間、天幕テントで寝起きしながら、ぼくはかれらの話に聴き耳を立てていた。もっとも、ここに第三者が居たとすれば、ぼくのひそやかな計画をそのまま無批判的に受け入れるのは滑稽にすぎるだろうけれど、ぼくはあっさりと、いや、まがりなりにもと認識した。対象物をつぶさに観察し、起点から結点にいたるまでの筋立てにおける整合性というものを垣間見た事実と照らし合わせ、修正し、一から物語に仕立てていく、物書きの端くれとしての許容性の問題でもあったろうか。

 ミュージアムの屋上にモニュメントを建てるかれらの計画の本質は、すべての物書きへの休戦のしるし・・・としての意味を持たせるようだった。コロコロナ禍の終焉を高らかにうたう、新たな時代の幕開けを告げるものになるはずである。

 そもそものぼくの企計きけいは、自然と人類との共存共栄の象徴たるこの武蔵野を、さらに文学の聖地としての意味合いを持たせるものだったけれど、今となってはそれはどうでもいいことだ。なんとなれば、この世に物書きが存在する以上、伝説伝承を生み出す力はかれらのなかにこそあるからだ。

 ぼくらはめざす。ぼくらは歩き続ける。

 ぼくらのなかにこそ、道はできる……。


               ( 了 )


 

 


 

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武蔵野聖地に関するニ、三の事柄 嵯峨嶋 掌 @yume2aliens

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