第3話 丘の上

【後日】


【北部 クウダ地方】


【リジュの里】



都会から大きく離れた、国境付近のとある山。


深い緑に覆われた山間に、ポツンとその里はあった。リジュの里、という。


季節は、今年一回目の春を迎えようとしていた。まろやかな暖かさが包む季節、花があちこちに咲き誇る。それでも風は、まだ少し冷たさを残す。


里の奥、開けた広い丘。そこに一人の少女がしゃがみこみ、じっと小さな花を眺めていた。


被るように羽織ったマントのような服が、地面の草に擦れる。


マネの花。黄色いその花が去年より早く花開いているのを、不思議そうに観察していた。彼女の短い髪と同じ、晴れやかな色。



「アイリ様!」



アイリと呼ばれたその少女は、しゃがんでいた体を起こした。


パタパタと走ってこちらにやって来きたのは、馴染みの親族の女性だ。慌てていたのか、エプロンを外すのを忘れている。


この里に暮らすのは、とある一族の者しかいない。隔離された、閉ざされた場所だ。


──この山は、こんなにも広いけれど。



「アイリ様」



「はい」



「ここにいたのですか、アイリ様。何をなさっていたのですか?」



「お花を見ていました、今年は少し咲くのが早いです」



笑顔で無邪気に答える少女に、女性も朗らかな笑顔を向けた。



「それはようございました。アイリ様、長老がお呼びですよ。二のこくに来てくださいと仰っています」



「長老様が? 分かりました」



アイリはそう答えると、裾についた土を払って立ち上がった。足取りも軽やかに、丘を駆け下る。



「アイリ様、お早い……」



里に戻るとそこには沢山の小さい丘が、まるで群れのようにかたまっていくつも並ぶ。


いや、違う。奇妙な光景だが、その一つ一つが里の人々の住居なのだ。家が小さな丘に埋め込まれたよう。


里の人々は丘の中を掘って穴ぐらを造り、木材で支えそこを家にしている。ここが一族の住処だ。



「アイリ様」



「こんにちは、アイリ様」



アイリが皆の横を通り過ぎる度、皆がアイリに向かって頭を下げる。いつも通りの里の光景だ。



「アイリ様、こんにちは!」



「こんにちは」



同い年くらいの女の子が、頰を赤くしてもじもじと駆け寄って来た。アイリはその可愛らしさに、にこやかな笑顔で返す。


だが、すぐに彼女の母親が飛んできて、女の子の頭を下げさせた。



「こら!……申し訳ございません、アイリ様」



「そんな、いいのに」



「いいえ! 失礼します」



足早に去っていく親子の後ろ姿を、アイリは悲しそうに見送る。



「なんだかなぁ……」



アイリはため息をつくと、その場にしゃがみこむ。



「もっと里の人達とお話ししたいのになぁ、どう思う?」



アイリはさりげなく話しかける。背後にいる、知り合いの老人二人に向かって。


だが、彼等は言葉を返してはこない。ただアイリと同じ様に悩み、首を傾げるだけ。


その老人達の足は、透けていたのだった。




【二の刻】



長老は、里でも一番大きな穴ぐらに居を構えていた。この里に住まう一族の中の最高齢で、アイリの曽祖母にあたる。



「……!!」



アイリが扉を開けて足を踏み入れると、長老ばかりか、一族の者がほとんど集まっていた。


笑顔を引っ込めてこちらを凝視しており、アイリは面食らう。床に綺麗に並んで腰掛け、皆がアイリに向かって深くお辞儀する。


長老に掛けなさい、と仕草で促され、アイリはおずおずと長老の目の前に腰掛けた。


長老に呼ばれるのは珍しいことではないが、その表情がとても硬い。このような状況はアイリにとっては初めてで、アイリの表情も強張った。



「──アイリや、大事な話があります。とても大事なことです、いいですね?」



「はい、長老様」



里でも最高齢で一番の力を持つというのに、長老は誰に対しても丁寧な言葉を使う。


長老が取り出したのは、昔の言葉が記号のように刻まれた、大きな丸い玉だった。大事そうにお盆に乗せてある。


占いに使う玉だ。一族の者ならほとんどはこの占いをする事が出来るが、長老の占いの力は桁外れだった。


アイリはこの手の占いは、不得手だったが。



「昨日、この占いで不吉なしるしが視えたのです」



「不吉なしるし?」



長老は頷くと、優雅な手つきで玉を撫でた。仕草に呼応するかのごとく、玉も輝きを放つ。



「ザンデの星がミカの線と重なった。これは、血の王が覚醒したというしるしです」



いまいちピンとこないアイリに対し、周りの者達が一斉に慄いた。顔色を変えると次々に立ち上がり、ざわめきだす。



「そんな、まさか」



「血の王が!?」



「恐ろしや……」



「今のこの時代にですか? 何故今更、ありえない!!」



大騒ぎする親族達。長老は毅然とした様子で落ち着くように、と皆に語りかける。


それでも落ち着かない周りの親族達に、アイリもつられておどおどするばかりだ。


──血の王、血の王。


昔、長老様から聞いた話を必死に思いだす。



「それって……ご先祖様、太陽の始祖様に退治された、世界を滅ぼそうとしたという魔物でしょうか?」



「そうです。私達のご先祖である、ジョナス・クレエール。そして残りの太陽の始祖様、たった六人で血の王を退治したのですよ」



太陽の始祖。今も尚、この国に残る英雄達の名前。かつて、世界を滅ぼそうとした最強の魔物を倒したのだ。



「血の王もまた、人によって生み出され、人に強い怨みを抱いていたといいます」



血の王は命も力も失い、どこかに封印され、後には置き土産の魔物が残された──筈だったが。



「念が現れたのです。かの王が、また現れたしるしが」



「あの血の王が今、復活しようとしていると?」



「復活した、と思ってよいでしょう」



長老の毅然とした答えに、皆が息を飲む。太陽の始祖が残した、かの封印を解いたというのか。


一体、どうやって。



「長老様、いかがしましょう?」



「信じられぬ」



「かつて、世界の全てを滅ぼすと言われた怪物が……」



「考えはありますよ」



長老はそう告げると、先ほどとは一転し穏やかに目を細めた。



「アイリや、剣の団は知っていますか?」



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