第21話 缶詰
「呼んだかい、スフェン」
ローブと髪を風に遊ばせ、エリアが小さく首を傾ける。スフェンはふらつきながら体を起こした。女が石畳を蹴りつけてエリアを睨む。しかしその背中に虚勢の滲み出るのをスフェンは見た。
「なんだいアンタ、邪魔すんじゃないよ」
「お取り込み中すまないね。だけど、食い合ったらどちらかが譲るものだろう」
「食い合うだって?」
「『息子を探し出してくれ』、違うかい?」
エリアが鷹揚に笑み、緑青の瞳を光らせる。女が口を歪めて歯茎を剥き出しにした。
「あいつら、金にものを言わせて!」
「言わせられるなら言わせるさ。私やお前にとっての魔法と同じだよ」
エリアがスフェンにちらと目をやる。
「だが、魔法に甘える奴はいくら達者でも魔法使いとしては能なしだ。どうせ怪我させたところで治せばいいとでも思ったんだろう」
女が歯噛みして立ちつくしている。スフェンは猛禽に射すくめられる蛇を思い起こした。
「何か言いたいことは? それとも、分かりやすく力比べといこうか?」
エリアが微笑を浮かべたまま女を見据える。女はもつれる舌で悪態を吐いてそそくさと歩き去った。女の姿が見えなくなるのを待ち、スフェンはエリアに深く頭を下げた。
「エリアさん、ありがとうございました」
「まだそこら辺をうろうろしてたからね、早く気づけてよかったよ。――ああ、傷は? 見せてごらん」
「いいんです。早く行かないと」
スフェンは片足を引きずって進みかける。
「じゃあ一瞬だけ。膝だね。どっち?」
「み、右です」
聞くが早いかエリアが身をかがめ、衣越しに膝に手をかざす。傷口にじんわりと熱が生じ、痛みを溶かしながら消えていった。
「手は?」
「大丈夫です」
「そう。痛みと血を止めただけだ、治したわけじゃないから早く手当てするんだよ。歩くくらいはいいけど暴れるのはだめ」
「はい、ありがとうございます」
スフェンは急く気持ちを抑えて昨日と同じ道を行った。少し迷ったのち、祈祷室ではなく裏手に回る。板切れのような扉に鍵はなく、片手で押せばあっさりと開いた。近くの灌木の陰に頭が見え隠れしている。
「あの、すみません」
頭の動きが止まり、見習いが顔を現した。スフェンを認めた目が見開かれる。
「お前」
「すみません、母はまだ来ていませんか? あなたにお願いしたいことがあって……あ、昨日はありがとう――」
「ま、まあ落ち着けよ」
見習いが引き抜いた雑草を持った手で制した。
「母ちゃんに用なんだな? まだ来てねえし、来たって三十分ぐらい帰んねえぞ」
「ああ……そういえば」
一つ息がこぼれた。安堵と疲れにのしかかられ、力を失った膝を地面につく。傷とエリアの忠告が頭をよぎった。見習いが小走りに寄ってくる。
「おい、どうした。腹が減ったのか?」
「そういうわけではないんですけど……でも、ちょっと色々あって」
「家出以外にもあるのかよ」
色々ありすぎだろ、と続けながら見習いが扉を閉める。二人で納屋の陰に腰を下ろした。
「で、お願いってなんだ? ここでできることならいいけどよ、俺、外には出られねえぞ」
「母にこれを渡してほしいんです」
スフェンは懐のものを引っ張り出す。心配をかけていることへの謝罪、無事でいること、遠からず必ず帰ることをしたためたグリクシの包み紙だった。
「そんなことか。……手紙にしちゃ、なんかちょっと汚えな」
「それしかなくて」
「ま、誰も気にしねえよ。じゃあ確かに預かったからな」
見習いが手紙の端を指で弾いて笑う。
「あ、あと、お名前を聞いてもいいですか?」
「俺か? ここじゃセレクって呼ばれてる」
「セレクさん、よろしくお願いします。あの、これ」
スフェンは手紙と一緒に携えてきたものを差し出した。
「ちょっとしかないんですけどお裾分けです。噛まずに舐めてください」
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