第19話 クリーニング屋
部屋の扉が開き、覚えのあるたれと脂の匂いが入ってきた。
「おかえりなさい、エリアさん」
「ただいま。その感じは何か分かったみたいだね」
「はい」
エリアが荷物を下ろし、いそいそと外套を脱いだ。机に置いた紙袋の口から、焦げついた串が飛び出している。
「じゃ、食べながら聞かせてもらおうかな。店じまいの時間だったから一本おまけをもらったよ」
エリアが早々と口に運び、スフェンも一本取ってかじりついた。うまく噛みちぎれず、かたまり一つを口いっぱいに頬張った。羊肉が家の食卓に並ぶことは珍しくないが、塩と少しの香辛料だけで味つけすることがほとんどで、露店の串焼きのようにこってりしたたれは新鮮だった。時間をかけて噛みしめ、ようやっと飲み込む。
「西街区の聖堂に行って、埋葬記録を見せてもらいました。一人ずつの個人のお墓と共同墓地と……それで、共同墓地の方に一人だけ、それらしき人が載っていたんです」
エリアが肉に歯を立てながら聞いている。
「ハーツィグと呼ばれていた人で……書き方からして多分あだ名だと思います。遺体があった場所や見た目も書かれていて、全部僕の記憶と合っていました」
スフェンは一口かじって咀嚼した。
「なるほど。そいつで間違いなさそうだね」
エリアが拍子をとるように串を揺らした。
「いや、見つかって一安心だよ。死体が墓に入らないようなことに巻き込まれてたら面倒だからね」
「墓に入らない……?」
尋ねかけ、ふいに太ももに生じた感触に遮られる。目を落とすと肉が串から落ちていた。
「あっ」
とっさにつまみ上げて口に押し入れる。しかしチュニックには黒い染みが肉の形をくっきりと残していた。
「おや」
エリアが首を伸ばして汚れをのぞき込んだ。
「これは早くしないと落ちなくなるよ」
スフェンは両手を振り回してやにわに立ち上がる。串が手からすっぽ抜けたことに一拍遅れて気がついた。
「あれっ」
ばたばたと床板を鳴らして周りを探すが見当たらない。
「あれ、串」
「まあ、まずは服だよ」
一串と半分を平らげたエリアがのんびりと脚を組んでいる。
「あ、はい……え、ど、どうしよう」
「とりあえず、舐めてとれる分はとって」
膝上の裾をたくし上げて染みを舐める。染みの味なのか口に残っていた味なのか分からない。
「井戸まで行くのは寒いしなあ」
エリアが手に取ったのは灰色の実の残りだった。何粒か口に放って噛みはじめる。スフェンは顎の吹き飛ぶような酸味を思い出し、わいてきた唾を飲み込んだ。
「貸してごらん。そこのを食べて待ってて」
言われるままチュニックを脱いで渡した。外套をつまんで肩に引っかけ、肉の半分残った串を取る。エリアは噛んでふやかした実を汚れになすりつけた。
「この実は故郷ではグリクシって呼ぶんだ。こっちじゃ知られてないから、そもそも呼び方がないのかもね」
スフェンは片手を受け皿にして肉を噛む。やはり噛み切れず、かたまりごと口に入れた。
「後はこのまま日に当てておけば、夕方にはきれいに消えるはずだよ」
「ありがとうございます」
「お礼は先人に言うことだね」
エリアが目を細めた。飛んでいったかに思われた串は、足元の床板の隙間に挟まっていた。
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