第10話 水中花

 次の朝、エリアは部屋から出なかった。


「休むことも大事さ。昼過ぎには起きるよ。君は構わずに過ごすといい」


 そう言ったきり寝台に横たわったままだった。スフェンは食堂でひとり朝食をとり、スープ一杯を持ち帰った。少し外に出ようにも、その間にエリアの容態がとりかえしのつかないことになる気がして、結局は窓際でひたすらに座っていた。向かいの小間物屋に入る客を数えて観察したり、通りすがる魔法使いの装いや顔つきから得意な術を推理したりした。往来の途絶えた折には、黒い枝の男がどんな使い手だったのかを想像したりもした。


 エリアが起き上がったのは果たして昼の鐘が鳴った後だった。瞳は恐ろしいほどの脆さをもって澄みわたり、ゆったりしたローブの内からは肉も骨も消えているように思われた。


「ずっとそこにいたのかい」


 驚いたわけでも責めるわけでもない調子でエリアが言う。スフェンは首を縮めるようにしてうなずいた。


「あの……エリアさん」

「うん?」

「やっぱり僕のせいですよね、調子が悪いのは。僕をのぞいてくれてからでしょう」

「君に原因はないよ」


 エリアがスープのひと匙で唇を潤した。


「あんなに手こずるなんてやってみるまで分からなかったし、引き際を間違えたのは私だからね」

「でも……」

「あ、そうだ」


 エリアが人差し指を顎に当てた。スフェンは背筋を伸ばす。


「買い物を頼まれてくれるかな? 一つは君の昼ご飯、もう一つは透明な酒。酒は店で一番小さくて安いのがいいな」


 いくばくかの硬貨を渡されてスフェンは宿を出た。空には薄雲がどこまでも伸べられていた。酒屋では注文にかなうものをきびきびと見つけ、にぎわう露店で果物を手に入れた。宿に戻りながら、エリアの頼みであれば隣の町へも、その次の町までも歩いていこうと思った。石畳を踏みしめ、大きく息を吸うと、乾いた風が鼻の奥を刺して涙が滲んだ。


 エリアは微笑してスフェンを迎え、おもむろに行李を開けた。取り出したのは、両手のひらに収まる大きさの壺と、ゆうべ使った花の残りだった。花を何回かつまんで壺に入れ、酒を注いで蓋をする。


「この壺には魔法が使われててね、中の時間が速く進むんだ。何時間か置けば花酒ができるよ」


 エリアが壺を机の壁際に置き直し、「ああ」と付け加える。


「酒は飲める?」

「はい。十五にはなりました」


 スフェンが答えると、エリアは不意をつかれたように目を丸くし、それから短く笑った。

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