第8話 金木犀

 食事を終えて図書館に足を伸ばしたものの、目が文字の上をすべるばかりで、スフェンはあきらめて宿に向かった。主人は食堂の卓で友人相手に酒を傾けていた。何かできることはないか尋ねると、朝食の片付けがまだだというので、食器を洗って鍋の焦げをこそいだ。


 部屋に戻り、買い出しの包みを机の上に開けた。見たことのある薬草の他に、何かを煮詰めたような液体の瓶、小袋入りの乾燥させた花などがあった。花は指先に載るような小ささで、夕日のような人参のような色をしている。


「今日買ったなかでは一番高かったな」


 その花をひとつまみ、小さな鉢にすりつぶしながらエリアが言った。


「一袋で銀貨十五枚だからね」

「そんなに……」

「珍しい花だよ。私の故郷くにのさらに向こうにしか咲かないそうだ」


 粉々になった花の上へ、煮詰めたような液体が注がれる。液体は蝋燭の火を透かしながら、蜜のように滴って花を呑み込んだ。


「さ、やろうか。仰向けに寝転んで。ちょっとでも変だと感じたら遠慮せず言うんだよ」


 スフェンは寝台に身を横たえた。ついでエリアから薬草の束を渡される。


「何があっても離しちゃいけないよ。命綱みたいなものだからね」


 もぞもぞと体勢を整えていたスフェンは思わず動きを止めた。エリアが液体を左手にたっぷり垂らすと、まず自分の両瞼に指で塗りつけ、次にスフェンの額に手のひらを置いた。液体が眉間の奥へと染みるような、それと共に意識も若木のもとに落ちていくような感覚があった。スフェンは目を閉じる。


 眼裏の薄闇に夕日色の花の欠片が浮かび上がり、明滅しはじめた。それに合わせ、針で突かれるような痛みが頭じゅうにひらめく。


「エリアさん、頭が痛いです」

「どんな風に?」


 少し抑えられた声が言った。


「ちくちくします」

「それなら大丈夫だ。術が効いてる証拠だよ。花の瞬きが終わったらなくなるさ」


 スフェンは息を凝らして花の欠片を見守った。たっぷり数呼吸を数えた後、欠片は一つ二つと明滅をやめ、やがて全てが安定した光を放ちはじめた。時の止まった夜空のようだった。

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