第7話 引き潮

 朝食後、エリアは部屋に帰るなり行李を解きはじめた。小さな行李からは心細ささえ感じる量の荷物しか出てこない。瓶や油紙の包みを一つずつ確かめて選り分ける作業も、スフェンがながめるうちにあっさりと終わった。


 細かく書きつけた紙片をスフェンに渡しかけ、エリアが小さく声をこぼした。紙片に息を一つ吹きかけ、「失礼」と言って改めてよこしてくる。スフェンが受け取ると術が動きだした。どこまでが一文字かも分からぬ羅列が黒い丸に変じた後、細い糸にほどけて見慣れた文字をつくる。書きつけは〈のぞき〉に必要な品の一覧で、スフェンが授業で使ったことのあるものもあれば、植物か動物かさえ分からないものもあった。不足している分を調達したら、エリアはいつものように一稼ぎして夕刻帰る。スフェンは品物を宿に置いてから、やはりいつもどおり図書館へ行くなり宿にとどまるなりする。〈のぞき〉の決行は今夜。エリアの説明の後、二人は宿を出た。


 東街区はスフェンと家族には縁遠い場所なので、あの曲がり角で女中と鉢合わせしないかとか、後ろから親が駆け寄ってこないかとかいう不安はなかった。学院の知り合いもこの界隈に住んでいる者はほとんどいない。スフェンはエリアの横で大きく息を吸って歩いた。〈のぞき〉が終われば黒い枝の男の意図が分かる。彼の未練を断ち宿願を叶えれば黒い枝は消え、若木はきっと根に力を込めて再び伸びゆくだろう。少し時間がかかったとしても元の姿を取り戻すはずだ。欠けた月が膨らみ、引いた潮が戻ってくるように。


 何軒か回って買い出しを終えると昼が近くなっていた。二人は目についたパン屋に入り、硬くなって安売りされていた大きなパンを購った。


「宿までの道は分かるかな?」

「はい」

「じゃ、また後で」


 真っ二つに裂いたパンの片割れをスフェンに渡すと、エリアはもう片方をかじりながら路地に消えていった。

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