第2話 屋上

 激しい陽光と風になぶられ、暑いのか寒いのか分からなくなっていると、鉢植えに囲まれた人影がゆらりとスフェンの方を向いた。


「やあ、おはよう」

「おはようございます」


 エリアが水差しを逆さにする。残った雫が輝きながら小さな葉に降りかかった。寝床と朝食のみを提供するにしては割高な宿だが、エリアは旅人仲間から聞いた裏技を実践しているらしい。曰く、不精な主人に代わって雑事をこなせば、それに見合った額を宿賃から引いてくれるという。今のところ宿賃はエリアの分しか求められていないが、スフェンは延々と好意に甘える気もなく、手伝いの手伝いを申し出たのが昨日のことだった。


「もしかして終わってしまいましたか?」

「うん」

「すみません」


 スフェンはうなだれた。


「まあ明日からということで」


 水差しを天に突き上げるようにエリアが伸びをした。麻のローブから小麦色の腕があらわになる。遠い国から来た、この国の言葉を紡ぐ人――もっとも、本当に言葉を使い分けているわけではなく、言葉を声にのせる瞬間に加えるのだという。そうすれば聞き手には馴染みのある音として届き、あるべき意味を成して理解される。スフェンがまだ習っていない類の魔法だった。


「ああ、今日の夕方からかな。アオユミソウは乾きやすいから」

「分かりました」


 梯子の方へ引き返すエリアの足音を聞きながら、スフェンは目を細めて町をながめる。決して息を呑むような景色ではないが、北は町の外まで見晴るかすことができる。だから彼は北を向くことができなかった。高々とそびえる学院の講堂が見えるので。そして西の街区にも目をやる気になれなかった――そこにはあの日から帰っていない家があるので。

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