妻から夫へ贈る弔辞

 続いて、皇太后ハンナがハルト1世に支えられながら、ケント1世の遺影の前に立った。その顔には涙はもう見られない。

 そして、ほのかに笑顔をたたえて、ケント1世の遺影を見上げた。


「ケント? もう貴方の笑顔を見ることも、笑い声を聞くこともかなわないのですね? 思えばケントと初めて会った春ののどかな日から75年も経つのですね。

 あの日は両親に連れられてボルトン兄様と一緒にオーウワリィのお城に行ったのでした。そして、子どもたち同士で遊ぼうということになって出会ったのがケント、貴方でした。

 あの時、笑顔で私の名前を聞いてくれて、『ハンナっていうのか。ケントだ。よろしくな?』って頭を撫でてくれましたね。その時、優しい貴方に恋に落ちました。

 それからはお城に行くたびに『ケン兄様、ケン兄様』ってケントにひっついていたことが今でも走馬灯のように思い出されます。

 ケントやボルトン兄様と一緒に本を読んだり、庭を走って遊んだり、家族ぐるみでピクニックもしたりしましたね。フフフ」


 笑いながらケントに思い出を語るハンナ。場内からまたすすり泣きの音が聞こえ始めた。


「そして、あの日から2年後、私はケントの婚約者になりました。あの頃はケントのお父様が新しくリヴァストン王国を建てられてすぐのこと。

 つまりはよほどのことがなければ、必然的に私が王妃になるという運命が待っていました。ケントの婚約者になれて嬉しいのは嬉しいですが、待ち構える運命を不安に覚える私でした。

 そんな時、貴方から『ハンナを大事にするからな? だから辛いことがあったらすぐに俺に相談してくれよ? そうしたらハンナのためになんだってするからな?』って頭を撫でながら言われましたね。その時は嬉しかったですわ。

 しかし、貴方はいつも私の頭を撫でてきましたね。『なんで、私の頭を撫でるの?』って聞けば、貴方ったら『そこにハンナの頭があるからな。ハンナの髪、サラッサラのツヤッツヤだから仕方ないんだ!』と胸を張っていつもの笑顔で言われたら、笑って許すしかありませんもの。どうしようもないですわね。

 そして、次の日の夜、突然の頭痛に襲われて倒れた私を見舞ってくれた貴方。倒れた私があの瞬間抱えた秘密を、見舞ってくれた貴方に打ち明ければ、『大丈夫だ。私もだから』って抱きしめてくれましたね。その晩、語り合った事は流石にこの場では明かせませんけど、それから私達2人はずっと二人三脚で戦ってきましたね?

 あれから結婚するまでに色々ありました。女狐たちとの戦い、他の国との戦い、戦いだらけの青春でした。それでもあの青春は私達2人のかけがえのない思い出なのです」


 ハンナの思い出語りは続く。当時のハンナにとってケント1世は優しい兄同然の存在であり、盟友であった。


「ええ、戦いの合間を縫ってデートもたくさんしましたね。

 そして、忘れもしない私の18歳の誕生日の夜。貴方から贈られた108本の赤いバラとダイヤ、ルビー、サファイア、エメラルドが飾られた婚約指輪。跪いて赤い顔しながら『改めて言おう。お前を一生愛し、守ると誓う。結婚してくれ!』と仰って来た時には思わず笑ってしまいました。だって、私達は婚約者じゃないですか? 結婚することは決まっているというのにね? ウフフフ。

 でも、その貴方の一途で素直な愛に私は『貴方を一生愛し、支えると誓いますわ。あなたの求婚、お受けしますわ』と答えるしかありませんでした。

 ええ、貴方と私が揃っていれば、どんなことがあっても乗り越えられる自信がありました」

 ケントのように婚約者へ結婚前に指輪を送る習慣は先帝タクト1世の頃から始まったものである。タクト1世の場合は4人に贈らなければならなかったが、それでも財力はあったので問題はなかったようである。


「覚えてますか? 結婚式の日のこと。私の白無垢姿を初めて見て、赤い顔しながらしばらく黙りこくってしまった貴方。『きれいだ……。ごめんごめん。結婚指揮を挙げる前に死ぬところだったよ。お前が綺麗すぎて』と仰ってくれたこと、忘れません。しかし、結婚初日に私を未亡人になんて、どういうつもりだったのかしら? それを聞こうにも貴方はもう答えてくれませんわね……」


 ケント1世とハンナの結婚式は大々的なものだった。ハンナの白無垢は当時の正妃ルーミアより譲り受けたものであり、ケント1世の紋付き袴も当時の国王タクト1世から譲り受けたものである。


「あれから数年。子宝に恵まれましたが、生まれた子は女の子ばかり。悩んでいた私にねやで『心配するな。マリーカやエイミーが国を治めることだって選択肢にあるんだ。だからお前は私の重たい愛を受け止めること、マリーカやエイミーたちを愛することだけを考えてろ。もちろん、これから生まれてくるだろう子たちのこともな』って仰られました。まあ、もっとも程なくしてハルトやシュートが生まれたんですけどね。そしたら、貴方ったら『もう子供は作らんぞ! お前や4人の子たちを愛するのに精一杯だ! それに最近は私のこと構ってくれないじゃないか! 私は父上とは違うんだ!』って、子供の頃のように拗ねた顔を見せてくれましたね? 貴方が子供の頃から構ってもらいたがりだったのを思い出して、『ハイハイ。そうしますね。でも、それならしっかり対策してくださいね?』って笑って答えて、『うむ! わかったぞ!』って笑顔で返していただいたのは楽しい思い出ですね?

 忙しい政務や戦争の合間をかいくぐっては私や子どもたちを目一杯構って、私や子どもたちから構ってもらえないと拗ねる。そんな可愛らしい貴方のことを見ては、いつもほっこりした気分になったものですわ」


 ケント1世はちょっぴり嫉妬深い性格であり、ハンナに構ってもらいたがりであったが、それでもハルト1世たちのことは愛情を持って接していた。


「ケントが皇帝になる前日。貴方が珍しく弱気な姿を見せられましたね。

『ハンナ。私は不安だ。今まで父上と共に国を広げていった。ようやく大陸も統一したが、まだまだ火種がある。故に私の代で火種が大きくなるだろう。上手く消せるか。国を更に強くできるかどうか。不安で仕方ないのだ』と。

 でも、私は心配してませんでした。だって、ケントには私が居るのですから。

 だから、こう言ったでしょう? 『貴方? 貴方が父君と一緒に、私と一緒に国をここまで大きく出来たのです。父君が引退したとしても私がいます。つまらぬ有象無象、蹴散らしてしまいましょう?』って。

 そしたら、『そうだな! お前がいるんだな! なら大丈夫だ!』って笑顔で仰られましたね。なんて調子の良い方なのかしらって思ったのは秘密でしたけど、明かしてしまいますね? あの後、まさかキッカを身ごもってしまうなんて思ってなかったのも秘密でしたわよ?」


 ケントが即位して、程なく判明したハンナの懐妊。続けざまの慶事に国中が湧いた。生まれた3女キッカは両親、兄弟から愛情を持って育てられた。故にわがままな子に育つかと思われたが、案外そうでもなく今でも国の政務を支える有力な重鎮として活躍している。


「あれから25年。反乱の鎮圧、国家体制の大改革、他の大陸との外交と色々忙しかったですが、それでも満を持して、ハルトに皇帝の座を譲ることが出来ましたね。

 隠居の前夜に『やっと引退できる。思えば50年間走り詰めだったなぁ。やっと落ち着いた日々を過ごすことが出来る。ハンナ、お前には苦労かけたな』と私をねぎらってくれましたね。

 私も『お疲れさまでした、ケント。私と出会って、地方領主の息子から王太子、王太子から皇太子になり、皇太子から皇帝になりの50年ちょっとでしたか。苦労だとは思いませんでしたよ。ケント? これからは2人で旅行などもしてのんびりと過ごしましょ?』って労いましたね」


 ケント1世は在位25年満了の後、60歳にしてハルト1世に皇帝の座を譲り渡した。


「隠居してからの日々は穏やかなものでした。大陸中の温泉地や海、山へ観光に行ったり、大陸内外の遺跡めぐりをしたりと楽しい日々でした。

 そして忘れてはならないのは15年前の事でした。3日後は私達の成婚50周年記念式典だというのに、貴方ったら『今日は私とではなく、ハルトたちと過ごしてくれ』と言って、ヘージョーに呼び寄せたハルトたちの元へ私を行かせましたね。一体何を企んでいるのかしら? って不思議に思っておりましたの。ハルトも教えてくれませんでしたのよ?

 でもって、翌日、離宮へ戻ったら手をつないで、私の私室の前まで連れて行ってくださいましたね?

『扉を開けてごらん?』って貴方が言うものですから迷わず開けるしかありませんでした。でも、開けてみたら漂うバラの香り。そして、窓際のテーブルに飾られた999本の黒いバラの花束。

 花言葉は先にハルトに言われましたので言いませんが、言いようもない感動に私はただただ涙するしかありませんでした。そしたら貴方ったら『お? お? ハンナ? どうした?』ってオロオロするのですもの。でも、『ありがとうございます。私もこの999本の黒いバラの花言葉の持つ意味とおんなじことを思っておりますわ』って返して抱きしめたら、抱きしめ返してくれましたね。そして、後ろからパチパチとくる拍手。振り返ったらハルトたちがいるのですもの。しかも、我が子全員が揃っていたのですよ? これはやられた! って思いましたわ」


 ケント1世とハンナは仲睦まじく、隠居してからも2人の姿はヘージョーの街だけでなく、国内外各所で目撃されている。

 なお、この999本の黒いバラのサプライズはハンナを上手く出し抜いたもので、マリーカ、エイミー、ハルト、シュート、キッカといった5人の子たちを巻き込んで行われたものである。

「バラを集めるのに苦労した」というのは2男シュートの言である。


「ここ2年はケントも衰えを隠せなかったのか離宮にいっぱなしでしたね。それでも毎日毎日ガゼボで思い出を語っては貴方との愛を再確認していたりもしました。

 特に1ヶ月前の時点ではもう長くないとわかってたのでしょう? 前日までには我が子全員を呼び寄せましたね?

 15日前の夜。その日は朝から嵐だったというのに夜には嵐がピッタリやみました。

 嵐がやんだのを見計らって、貴方は我が子全員に言葉を掛けていきましたね。

 そして、貴方は……、貴方は……、グスッ、私に『ハンナ、お前を愛してた。いや、お前を今でも愛してる。次の人生でもお前を愛するだろう。だから、ハンナ。ちょっとだけのお別れだ……。ありがとう……、ハンナ……、また……会おう…………』って言って……、この世を去りました」


 ハンナは別れの際のことを思い出し、嗚咽を止められなかった。場内の一同も嗚咽を止められなかった。しばし嗚咽をしてから気を引き締めたハンナ。


「ケント、私からも言わせてください。私ももうしばらくこの世を楽しんでから貴方のところへ会いに行きます。だから少しのお別れです。ありがとう、ケント。また会いましょう、ケント。何度生まれ変わっても貴方のことを愛してます。だから、ケント。次の人生でも貴方の妻にしてくださいね? ケントが最も愛した妻ハンナより愛を込めて」


 こうしてハンナの弔辞が終わった。ハンナは弔辞を終えるや泣き崩れ、近衛兵団長に支えられながら席に戻っていった。

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