第二十九話 打開策
教室の中からでも分かるほどの雨音が聞こえてくる。一日過ごしたが、結局吸血鬼たちは元に戻らなかった。
「はい、じゃあ号令」
「きょーつけー、れー、さよーならー」
帰りのホームルームが終わった。柊真は小さめの教科書をバッグにしまい、バッグのファスナーを閉めた。
クラスメイトたちは雑談しながら帰っていく。全クラスの生徒が一斉に帰宅するこの時間の廊下は大渋滞だ。窓の外を見れば、たくさんの生徒たちが傘をさしながら歩いていた。
「柊真くん、行こう?」
美宙が柊真に話しかける。柊真は机に肘をつきながら窓から見える屋根から落ちる雨水をじーっと眺めていた。
「あれ、おーい、柊真くーん」
柊真は動かない。聞こえていないのだろうか。
「え、柊真くん……?」
「えっ?あ、あー!ごめん気づかなかった!」
美宙はちゃんと反応した柊真に安心した。
「考え事、してたの?」
「い、いや、何となく外見てただけ……」
柊真は急いでバッグを持ち上げ、教室から出ようとする。しかし、扉の前には待ち伏せするかのように子吉と蘭世が立ち塞がる。
「しゅーくん、嘘つきじゃないすか」
「大井さ、後で血をあげるって言ったよね?」
二人は朝と同じような鋭い目付きをしている。
「あ、ごめんごめん!だけど通してよ〜、血は後で――」
柊真は後で吸わせると言いかけたが、時は既に放課後。もう「
「なんすか?飲ませてくれるんすか?」
蘭世は鋭い目付きで質問する。血に支配されている感じだ。
「ど、どうしよう……」
『明日飲ませるよ!』なんて言い訳は恐らく通らない。それはつまり、言葉を使って逃れることは不可能に近いということ。ならば……
「強行突破しかないか!」
柊真は短い助走をつけ、二人を押しのけるようにして教室の外に出ようとする。
しかし、獲物が自分のそばに近づく絶好のチャンスを二人の狩人が逃すはずがない。二人は自分たちの胸を押しのけて進もうとする柊真の腕をがっちりと握り、その腕にガブリと噛み付く。
「ぐわぁぁぁぁ!!!」
柊真はとてつもない痛みを感じる。勢いをつけていたところを二人がかりで急に止められたことはもちろん、この前とは全く違う下手くそな吸い方をされているからだ。
「柊真くん!」
美宙は二人を柊真から離れさせようとするが、一人ではどうしても女子高生二人を引っ張りきれるわけが無い。しかも、この二人に加えて柊真の分の体重も加わっている。ただの人間ではないとはいえ、咲良は華奢な女子高生。三人を引っ張るなんて無理だ。
「仕方ない……柊真くん!」
「ど、どうしたー!?」
柊真がかろうじて反応する。既にこの時点で五百ミリリットル近くは吸われている。
「筋力増強するから、それで抜け出そう!」
美宙は心の中で心亜を呼び出す。たちまち美宙の瞳の色が紫色に変わる。
「柊真くん!腕の筋肉に力入れてみて!」
「お、おう!」
柊真は体の中に魔力が流れこんでくるのを感じながら、痛む両腕に程近い上腕の筋肉に力を込め、思いっきり引っ張る。
すると、吸盤が壁から外れる時のようなポンっと言う音が響き、柊真は廊下の反対側へと吹っ飛ぶ。幸い、窓ガラスのあるところではなかったので、柊真が大きな怪我をすることはなかった。
「だ、大丈夫!?柊真くん!?」
「うん……大丈夫。ま、まあ元はと言えば俺が蒔いた種だし……」
美宙は柊真に近寄り、血まみれの腕を掴む。柊真は貧血でぐったりとしたままだ。心亜は急いで水分補給の魔術を柊真に向けて使い、柊真の血液回復に貢献する。
「いくら咲良でも邪魔するなら容赦しないっすよ?」
子吉と蘭世は口元から垂れる血を拭き取りながら言った。柊真の血を根こそぎ飲み尽くすつもりだ。
「咲良、ちっと退いてもらおうか!」
子吉が心亜に掴みかかろうとする。その時だった。
子吉の体がふわりと浮いた。しかし、なにか特別な力が働いた訳では無い。
「たくよぉ、全然来ねぇから何事かと思ったらよぉ……なんだよこの有様」
勇気が子吉の服を掴み、完全に持ち上げていたのだ。
「じゃ、大人しくしてろ」
勇気は暴れる子吉の口に何かをスプーンでひょいっと入れた。
「!?辛っ!!」
子吉は舌を洗い流す水を求め、勇気の首から血を吸い取ろうとするが、辛味に生温かいものは逆効果。
すぐに吸うのをやめ、急いで水を飲みに走る。
「コイツはちょー辛ぇソースだ。オラ、テメェも食わされたくねぇならとっとと失せろ」
勇気はカバンで蘭世を指さす。蘭世はそんなことお構い無しに黄金の血である勇気の血を飲みに行く。
「はぁ……そこまで赤いもんが食いてぇならくれてやるよ」
勇気はダッシュで飲みに来る蘭世を片手で止め、口の中にそのソースのビンの注ぎ口を突っ込む。
「がらぁい!!!やばいっす!!!」
蘭世はあまりの辛さにその場にうずくまる。柊真と心亜はやることのエグさにおののく。
「あ?やりすぎたか?」
「やりすぎですって!この子たちに罪は無いんですから!」
「んな事言ったってよォ」
勇気は不貞腐れながらビンの蓋をキュイっと閉め、カバンの中に入れた。
「ま、殴るよりはマシだろ?」
「どちらにしろ風紀委員長がやることではないですよ……」
心亜と柊真はプルプル震えながら動けなくなっている蘭世を見ながらあっけに取られた。
「もう終わったことだしどーでもいいだろ。それに、これで死ぬことは多分ねぇよ。行くぞ」
勇気はカバンを肩にかけ、理事長室に向かって歩き始めた。
「あぁぁあ……蘭世、ごめん!」
心亜は持っていたお茶のペットボトルを蘭世の元に置いてから勇気を追いかけ始める。柊真もそれに続いた。
「見捨てるみたいでなんかヤだな」
「んな悠長なこと言ってる場合か?とりあえず打開のためには少しの犠牲が必要なんだよ。別に死んではねぇけど」
勇気は柊真のつぶやきに治安維持の欠けらも無い言葉を吐き、カバンを左手から右手に持ち変えた。
理事長室は職員棟の四階にあった。『ここにいる人は偉いです!』と言わんばかりに艶めいたダークブラウンの木の扉が真っ白な壁の中で主張している。いかにもラスボスが居そうな部屋だ。三人はその扉の前に立ち、勇気がコンコンと叩く。すると、「入りたまえ」という声が聞こえたので、勇気がグイッと扉を引く。
学園で一番偉い、理事長のお出ましだ。
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