第十一話 まだまだ半熟

「夕飯どうする?」


 柊真は美宙に質問を投げかけた。美宙は「うーん」と少し考えたあと「ボクが作ってあげよっか」と言いにっこりと笑う。


「いやいや、悪いよ。ここは俺の家だし、俺が作るって」


「女の子の手料理なんて食べたことないでしょ?食べてみたくない?」


 今後、同棲することになるとはいえ、男にとって女性の手料理というのは一度は食べてみたいものだ。柊真は少しの罪悪感を覚えながら、少しの躊躇いと共に指でOKサインを作った。


「うんうん!食べたいよね僕の手料理!冷蔵庫見ちゃってていい?」


「いいよ。あんまり入ってないかもだけど」


「どれどれ?卵…玉ねぎ…ハムにグリンピース……うん、これくらいあればオムライスが作れるね!」


 美宙が作ろうとしているのは鶏肉をハムで代用したオムライス。名をつけるとしたら残り物オムライスと言った所だろうか。


 まずは米を炊く。無洗米を内釜の中にジャラジャラと入れ、続いて水道水を規定の線まで満たしていく。準備万端になったそれらを炊飯器にセットし、炊飯スタートのボタンを押す。


「よし。あ、でもお米炊いてる間暇だからお風呂にでも入ろうか?」


「あれ、まだ沸かしてないよ?」


「ふふーん、実はボクが沸かしておいたのだっ!」


 いつの間に自動ボタンを押したのか分からないが、台所にある給湯器のリモコンには確かに「自動」のランプがついていた。


「俺は後に入るから美宙が先に入りなよ」


「いやいやー、柊真くんが先に入りなよ」


 二人は優しさゆえに押し付けあう。これではらちがあかないので柊真が

「……じゃんけんで決めるか」

と言いつつ右手を差し出し、美宙もそれに乗る。


 じゃんけんぽん。場に出された手は、グーとチョキ。拳の持ち主は柊真であった。つまり、先に柊真が風呂に入るということだ。


◇ ◇ ◇


 体を一通り洗い、適量を溜められた風呂にゆったりと浸かる。しかし、柊真はいつも入っている湯船にも関わらず、なんだか自分の家ではないような感じがした。


 間違いなく自分の家なのになぜだか落ち着かない。彼女と同棲することが決まったり、ゲームをしたり、手料理を食べることになったり。一昨日までの自分では考えられないほど青春的で甘々な生活に心臓がバクバクと鼓動する。

 これも心亜の恋愛能力なのだろうか。それに俺は踊らされているだけなのだろうか。もしそうだとしたらこの恋は本物なのだろうか。心亜に勝手に好きということにされている訳では無いのだろうか。

 温かいお湯の中で血流が早まり、頭に血が上る。そろそろ上がるか、と体をバスタオルで拭く。


 リビングに戻ると、サラダだったりポテトだったりといった洋食が机の上に並び始めていた。


「え、いつの間にこんなに作ったの?」


「君がお風呂に入ってる間に沢山できちゃったよ!ラップをかけておくから、ボクはお風呂に入ってくるね!覗いちゃダメだぞ〜!」


 美宙は柊真に忠告してから風呂に向かう。柊真はこの言葉の真意を読み解こうとするが、出した結論が間違ったものであった場合のことを考えてすぐに思考を止めた。


「バスタオルはカゴに入ってるやつをテキトーに使ってなー」


 柊真がそう言うと、美宙がわかったー!と大きな声で返す。子供のような彼女の姿に、ちょっとしたギャップを覚える。


◇ ◇ ◇


 風呂の方からジャージャーとシャワーの音が響いてくる。柊真はそれをあまり気にすることなく、散らばったゲーム関連の道具をしまう。


「あー!柊真くーん!」


 十分ほど経った時、風呂場から大きな声が聞こえる。何事かと思い洗面所へ向かう。


「どうした!」


 柊真が扉を開くと、風呂上がりで下着姿の美宙がそこにいた。

 柊真はすぐにバタンと扉を閉める。柊真は自分のミスを恨む。こうなることくらい少し考えれば分かることだろ!と心の中で叫んだ。


「いや別に全裸じゃないし見てもいいよ。というかこうなることを想定して下着着てるんだし」


 美宙がわざわざ柊真が気を使って閉めた扉を開く。見られてる方ではなく見てる方の柊真が顔を赤く染める。


「え、いや、それはチョット……っていうかどうしたの?」


「ドライヤーってどこ?なんか見当たらなくて」


「ど、ドライヤー?ああ、この戸棚」


「おお!ここか!いやー、ボクの家は狭いせいでドライヤーが出しっぱなしだからわかんなかったや!ありがとう!」


 美宙は突っ込みづらい言葉を放ち、多方面から柊真を困らせる。


「じゃ、じゃあ、ごゆっくり髪をお乾かし下さい」


 柊真はそう言って扉を再度閉めた。恋愛経験のない高校生男子には少し刺激が強かったかもしれない。


 ドライヤーのブォォという音が廊下に響く。それに応えるように炊飯器のピーという音が鳴る。それ以外はなんの音もない。これが二人きりという事実をより際立たせる。


「上がったよー!さ、オムライスつくろーか」


 湯上りで少し湯気が立つ。いつも使っている男性向けのシャンプーの香りがスーッと鼻をぬけていくが、それすら昨日までとはなにかが違う匂いに感じられる。

 美宙があらかじめ切っておいた具材たちを用意する。

 温めたフライパンにバターを入れて広げ、玉ねぎを入れて炒める。しんなりしてきたらご飯、玉ねぎ、グリンピース、ケチャップ、コンソメを入れてなじむまで炒める。家中にいい香りが漂い始めた。柊真は、料理時には結構な確率で嗅いでいるはずのこの匂いに、どこか深みのようなものを感じた。


「あ、卵溶き忘れてたわ…柊真くん、溶いといてくれない?」


「おっけー」


 炒めた後にすぐ溶けばいい話であるが、柊真をただ見てるだけにさせるのはかわいそうだという美宙の思いやりによって、柊真は今日初めての仕事を与えられる。


 柊真は黄金色に輝く溶き卵の混ざり具合を確認した。ふと横を見てみると、卵以上に輝いた黄金の瞳がそこにはあった。目の前の炒め物に集中し、眉を少し斜めに歪めたその顔は、すごく、すごく魅力的で、吸い込まれてしまうんじゃないか、とすら思わせた。


 美宙は「よーし」と言いながらふたつの皿を用意しケチャップライスをほぼピッタリ半々に分ける。

 彼女は手際良く、メインのオムレツを作っていく。柊真が溶いた卵を少しづつ加え、ヘラを慣れた手つきで動かし、卵を柔らかく固めていく。柊真はその様子をただひたすらに見つめていた。




「ふふーん、上手くできたなぁ!」


 食卓に並べられたオムライスは焦げひとつなく、表面には半熟の卵がトロリと乗っていた。柊真は、プロでもないのにこんな上手く作れるもんなのか、と感心する。

 黄色いその体にスプーンを入れると、出来たて特有のもくもくとした湯気と良い香りが辺りを包む。柊真はそれを肌と鼻で感じながら、すくい上げたそれを口に運ぶ。

 口の中で広がるケチャップの味。ちょっとだけ安っぽいその味の中には、どこか甘い優しさがあった。


「あれ、柊真くん…泣いてる?なんで??」


 美宙が指摘した通り、柊真はなぜか――泣いていた。


「……いや、なんでだろ。今までに溜め込んだ寂しさが開放された……とかかな」


 柊真はほんの少しの涙声を響かせる。一人暮らしの寂しさというのは意外と大きいのだ。美宙はそんな柊真に微笑みかけ、優しい口調でこう言った。


「大丈夫さ。今のキミにはかわいい彼女がついているじゃないか。キミから告白した、大切な彼女がさ」


 美宙は自画自賛をしつつ、柊真を慰める。その慰めに柊真はより一層の涙をこぼした。

 夕飯後の夜は涙と共に二人で眠ったのだった。

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