第九話 勢いでいろいろ

 二日連続の騒がしい昼休みを終えた柊真は、五・六限目をなんとなく過ごし、いつの間にか帰りのホームルーム終了を迎えた。


「咲良、帰ろうか」


「いいよー」


「あ、黄色……美宙か」


 柊真は一緒に帰ることを受け入れた少女の瞳を見て、この少女が美宙であることを理解した。





 昨日と同じように楽しくおしゃべりしながら駅に向かう。朝とは違い空は曇り。その様子が梅雨の到来を少しだけ示していた。


「今年は梅雨入り早いのかな?」


「――どうだろうね。この空を見るに、そうなのかもしれないね」


美宙は空を見上げながら、見えない青空に思いを馳せる。


「ねぇ、テレパシーができるから、予知能力もあるのかなって期待した?」


「――えっ、まあ、ちょっとは」


「ボクには心を読むくらいの力しかないさ」


 柊真は、少し困ったような表情をして汗を垂らした。


 まだ雨は降っていないが、皮膚表面に広がるジトっとした湿度がほんの少しの不快感を連れてくる。


◇ ◇ ◇


 乗り込んだ列車にはチラホラと空席が目立ち、立っている人はほぼ居ない。昨日はあんなに混んでいたのに、随分空き具合が違うものだ。

 二人は車両の右端の席に並んで腰かける。


「――ねぇ、今日は君の家に連れて行ってよ」


 美宙がわざわざ口に出して言ってきた。


「……行きたい?」


「当たり前じゃないか。このままじゃ不平等だよ」


 美宙はそう言って目をつぶり、柊真の肩に寄りかかる。柊真は「わかった」とだけ言った。



◇ ◇ ◇



 そのまま二人は園花駅で下車し、徒歩十二分の距離をスタスタと歩いた。

 柊真はこの春引っ越してきたばかり。女性どころか、男友達すら自分の家に入れたことがない。

 緊張で鍵を持つ右手が震える。部屋はいつも綺麗にしているから大丈夫……のはず。


 鍵を上の鍵穴と下の鍵穴に差し、それぞれ左に回す。取っ手を持ちながら手前に引き、後ろの少女に「入っていいよ」、と言う。


 荷物を自分の部屋に置き、洗面所で手をしっかりと洗う。咲良は既に手を洗っているようだった。


「……二日で互いの家に行くことなんてあんのかね」


 柊真が咲良にそう言うと、先程までとは違い心亜が反応する。


「今日はわたしの能力使ってないのよ〜?これはあなたの純粋な積極性」


 紫色の瞳の少女はリビングを見渡しながら答える。


「……男子高校生のお部屋なのに面白いものあんまり無いわね」


「面白いものってなんだよ。貴重なものだとか変なものだとかを買う趣味はねぇよ」


 心亜は柊真の返答に不満を感じ、頬をふくらませる。


「柊真くんってそういうことには面白みがないのね〜。ほら、ベッドの下とか、本棚の奥とかに隠すアレよ」


「んなもんないよ。というか隠すべきものは周り見渡しただけじゃ見つからないだろ。隠してるはずだし」


「それが分かっちゃうんだなぁ。わたしは、なんとなく雰囲気で『そういうものがあるな』ってのを感じ取っちゃうわけ」


 リビングのソファに座った心亜はテレビ横の本棚やレコーダーを見ながら言った。


「そうだったとしても、ベッドの下とか本棚を探したってこの家にはないぞ?」


「この家には?じゃあ他のところにはあるんだぁー。例えば…スマホとかパソコンとか?」


「……どうだろうな」


 柊真はなんとはなしに間を作ってから答えた。窓の外にはポツポツと大きめの雨粒が落ち始めていた。


「あれ、ビンゴ?いいんだよ〜、バレたって恥ずかしいことじゃないって!」


「そういう問題じゃないだろ?男としてのプライドだよ」


 ……柊真はそう回答したが、そのせいで先程までの濁しは全く意味がなくなってしまった。


 心亜は、柊真をどうしてやろうかと思考をめぐらせる。押し倒してやろうか、焦らしてやろうか。柊真に仕掛けさせるように仕向けるか。どの方法でも上手くいく気はするが、どの選択肢を取ろうが今後の人生に関わるような事になるのは間違いない。まずは、頭の中の別人格に聞くことにした。


(ねぇねぇ、柊真くんをどうしようか?)


 心亜がまずは自分の中のほか三人に投げかける。


(……柊真くんはどう思ってるのかな?)


 咲良が問いに対して最初に返す。


(どう思ってるか、じゃないでしょ。ボクたちが能動的にやらなきゃいけないことでしょ?たぶん、柊真くんはヘタレだから、今日のうちは何も無いよ)


 美宙は自分の意見を述べる。咲良、美宙、心亜の三人はこの中で唯一話していないチアキの方へ視線を向ける。


(アタシは全部嫌よ!どれもしたくないわ!)


(そうは言いましても、彼氏の家なんだよ?割といい雰囲気なんだよ?カップルなんだから、ボクはここで仕掛けるべきだと思うよ)


(わたしはどんな仕掛け方でも上手くいくと思うわよぉ?)


 美宙と心亜がチアキを説得する。咲良は静かに下の方を見ていた。


(そもそも付き合ってることも認めないわ!あんな男と一緒に過ごしたくない!)


 チアキは断固として否定の方向だ。


(あんなに美味しそうに血を吸ってたのに?)


 チアキは美宙に痛いところを指摘される。チアキは黙ってしまった。


(あ、あの、雨が降ってるんだし、「お泊まりしたいな」っていうのは……どう……かな?)


 咲良が提案する。美宙と心亜はそれで行こうと互いを見つめる。ここまでの脳内会議は現実時間で十秒ほどであった。


「ねぇ、柊真くん。雨、降ってきちゃったね」


「……心亜はどうしたい?」


「お泊まり……したいかな?」


 柊真は予想外の反応に驚く。てっきり家まで送って、という反応が帰ってくると思っていたのだ。


「んな事言ったって、着替えとかないだろ?」


「うーん……下着はあるんだけどなぁ……?Tシャツとか貸してほしいなぁ」


「なんで下着があるんだよっ」


「えー?なんとなくぅ?」


 心亜は柊真にどんどんアプローチする。柊真はこいつのことはよく分からんなぁと思いつつお泊まりを認める方向に舵を切る。


「Tシャツは畳んであるのを適当に使っていいよ。寝る場所は……二階の俺の部屋にベッドがあるから、そこで寝なよ。俺はリビングのソファで寝るからさ」


「何言ってんの。一緒のベッドで寝るのよ!」


 柊真はその一言に混乱する。何言ってるんだはこっちのセリフだ。互いに恋愛経験がないとはいえ、いきなり一緒に寝るなんてことは許されるのだろうか。


「まだ早いだろ、そういうのは」


「いやいや、そんなことないわよ。少なくとも相性はいいんだろうし」


 柊真は、心亜の言葉に心が揺らぐ。これは、据え膳なのだろうか。いや、でも……


 色々な思考を巡らせているうちに、段々と混乱し始めた。いいのか、悪いのか?どっちなんだろうか……!


 考えていても仕方がないと思った柊真は、ふと考えただけの言葉を放った。


「……なあ、心亜たちが良かったら、なんだけどさ、住まない?ここに。俺一人には広すぎる、し……」


 柊真は混乱の勢いのまま冗談なのか本気なのか自分でもよく分からないことを口走る。あの家よりは良いだろ、などと考えたのだろうか。


 すぐに自分の失言に気づき「なーんて冗談だよ」と訂正しようとするが、時すでに遅し。


「……住む」


 心亜は住むと言ってしまう。なぜ付き合って二日目の男女がいきなり同棲することになるのだろうか。これも、互いに恋愛経験がなく、相場を知らないという条件があるからこそ起きることである。たぶん。おそらく。


 心亜のこの回答に心の中のチアキが凄まじくキレていることは、また別のお話。

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