第四話 ちょっと積極的

 両開きの扉が閉まり、列車が加速していく。満員電車、という訳では無いが、夕方のラッシュアワーということもあって肩が触れ合うくらいには混みあっている。二人の乗車区間は少しカーブが多いからか、列車が右へ左へ小刻みに揺れる。

 柊真は左手でつり革を掴み、肩口を覗く。咲良はなぜかうつむいている。


「咲良?」


 柊真は少しだけ心配になり、少女の名前を呼ぶ。咲良はこくりと頷いた。


「どうかした?」


 柊真はもう一度尋ねた。咲良は先程とは逆に首を左右にふった。そこで、柊真はつり革を持っていた手をそのまま真下におろし、咲良の頭をぽんと触る。咲良は更に顔を下げる。柊真はその様子に悪戯心をくすぐられたのか、軽く頭をなで始める。

 咲良は自らの頭を撫でる柊真の手を右手でがっちりと掴み、手を先程までの定位置であったつり革の方へ上げた。


 柊真はその手をどうすればいいか分からなかった。下げるべきか、上げるべきか。そんな迷いをしているうちに列車は大きく減速していく。その揺れに耐えきれなかった柊真は、そのままつり革を掴んだのだった。





 列車は園花そのばな駅三番線に滑り込む。二人の近くの扉が開く。人の流れに押し流され、ホーム上に降りた二人は、そのままエスカレーターの上に足を置き、左手で手すりを軽く握る。

 エスカレーターから降りたあとは、自動改札機を先程とは逆の順番で通り抜ける。柊真は後ろの咲良をチラッと確認する。まだうつむいたままだ。


「……ごめん」


 真っ先に謝罪の言葉が出た。なにに対しての謝罪かを詳しく伝えることはなかったが、青い瞳の少女は謝罪の意味を理解し顔を上げる。


「……なんであんな恥ずかしい事したの……?」


 柊真はすぐには言葉が出なかった。やりすぎたな、初日からする事じゃなかったな。そういう思いが錯綜する。


「……いや、ちょうどいい所に頭があるなって…思っちゃってさ」


 柊真は女性に対する言い訳としては赤点レベルの解答を出す。咲良は少し頬をふくらませる。


「……そっか。柊真くんは私のことを手を置く肘かけみたいなものだと思ってるんだ」


 柊真はやってしまったか、と後悔する。


「えっと……咲良って一人暮らしなんだっけ」


「う、うん。そうだけど」


「じゃ、じゃあさ、咲良の家がどこにあるのか教えてよ」


 全く関係のない話の転換。柊真はとにかく別の話題が欲しかった。最寄り駅が同じなら、家の話題は盛り上がるだろう、という判断から生まれた行動だ。しかも、二人はカップルである、ということがこの行動の合理性を高めていた。


「え……うん、いいけど……引かないでね?」


 咲良は上目遣いでそう言った。柊真は上目遣いに気を取られ、「引かないで」という言葉の意味を深く考えなかった。


 二人は駅を出てから商店街の方向へ歩く。咲良がカバンを前に持ちながら進む。柊真は肩にかけて進む。


 商店街を抜けると小さな交差点があり、それを右に曲がった先に住宅街が広がる。家と家の間を十分ほど進んだ所に、咲良の住むアパートがあった。


 柊真は目の前に広がる光景にかなり衝撃を受ける。なぜなら、そのアパートはとてつもなくボロかったからだ。一階の部屋の扉は三つ中二つ外れているし、二階に登る階段は三つほど段が欠けている。共有部分の屋根は一部落ちている。よく法律に引っかからないな、大家は何をしているんだ、など疑問は絶えないが、柊真は咲良に案内された通り二階の一番奥の部屋、二〇三号室に入る。


「ど、どうぞ入ってくださいませ」


「……う、うん」


 咲良は靴を脱ぎ、洗面所に向かう。柊真も靴を綺麗に揃えてからそれに続く。柊真は外とは全然違う綺麗な内装に安心する。


「あ、あのさ、失礼かもだけど、なんでここに住むことにしたの?」


 手を洗う咲良を見ながら柊真は問う。


「お金が無いっていう理由……かな?」


「え、ほんと?進学校に通ってるからお金あるもんだと思ってた」


「親にはあるの……私にないだけ」


 咲良は手をかなり丁寧に洗いながら答える。なにか事情があるのだろうか。柊真は色々考える。


「……でも、ここ、洗面所とトイレが別だし、駅にもそれなりに近いし……過ごしやすい……と思う」


 咲良はひねるタイプの蛇口を時計回りにまわし、そばにあるタオルで手を拭く。


「お茶、いれてくるね」


 柊真はそう言った咲良を横目に、蛇口を左にひねった。




 手を洗い終わった柊真は、案内された小さなちゃぶ台の前に座る。その前に湯のみが優しく置かれる。


「…女の子の部屋に来るの初めてだからどう過ごせばいいかわかんないな」


「ごめんね、初めてがこんなお部屋で…」


「いいんだよ、っていうか急に押しかけたのは俺だし……俺こそごめん」


 お互いにあまり意味の無い謝罪をし、なんだかよく分からない空気が部屋いっぱいに流れる。


「ちょっと私、お手洗行ってくるね……!」


 柊真はそれに頷く。柊真は少しの間暇になることを察し、今日出された簡単な課題をファイルから取り出し片付ける。数学の基礎演習プリントだ。問一、問二と解きすすめ、あと一問、という所。方程式を解き、答えを書いたその瞬間、右耳に優しい息がふきかかる。


「うわっ!びっくりした……ど、どうした?」


「女の子のお部屋に来てまでお勉強?行きたいって言ったのはキミでしょ?」


 柊真は先程までとは異なる雰囲気を感じ、咲良の瞳を見てみる。その色は紫だった。


「え、えっと、もしかして、悪魔、さん?」


「そう、わたしが咲良ちゃんの中の悪魔人格。咲良ちゃんに無理言って出してもらったわ。ていうかキミつまんないわよぉ。なんでこんな美少女と二人っきりなのにお勉強って。流石にないわよ?押し倒す準備ぐらいしときなさいよ!」


「お、押し倒すってなんだよ!付き合って初日なのにそんなこと出来るわけないだろ!」


「はぁぁ……これ以上は進展させられないかぁ。わたしの力もこんなもんってことね……」


 咲良や吸血鬼と宇宙人よりも少しだけ大人の雰囲気を持つ悪魔は自分の両手の手のひらと甲をしっかりと観察する。


「ねぇねぇ、付き合って初日なのにかなり積極的に行けてるなぁ、と思わない?」


「あー……たしかに。人前で告白したり、電車内で頭撫でたり、家教えてとか言ってみたり……」


「しかも、それがぜーんぶ上手くいってるわね。出来すぎだと思わない?」


「……言われてみればそうだな。なんで非モテ男子な俺がこんな美少女と付き合えているのか不思議でしょうがないわ」


「でしょでしょ?それがわたしの力のひとつ!人の心の奥底にある『やりたいこと』や『気づけていない感情』を引き出すことができるっていう力よ!というかあなたが非モテだとは到底思えないけどね」


柊真はそれでこんな似合わない行動をしていたのかとなんとなく納得する。その柊真を見ながら悪魔は語り出す……

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