第30話 崔の軍勢、来る

「……様! 子孝様!」

「んう……」


 月花に身体を揺すられ、俺は感覚を取り戻す……んだけど!?


 ――ジャーン! ジャーン! ジャーン!


 銅鑼どらの音が、城内に鳴り響いているだと!?


「月花! 俺は今すぐ将軍の元に向かう! お前は安全な場所に隠れているんだ!」

「は、はい! ご武運を!」


 俺は将軍がいるであろう城壁の上を目指し、全速力で駆ける。

 だが。


「うおっ!?」


 ずっと眠っていないせいか、足がもつれて俺は転んでしまった。


「くそっ! 将軍! 将軍ーっ!」


 俺はすぐに立ち上がり、叫びながら城壁の上へと向かうと。


「子孝!」

「将軍! 敵は!?」

「あれを見ろ!」


 既に南側の城壁の上に陣取っていた将軍が、遥か先を指差す。


 そこには。


「はは……さすがに二万の軍勢となると、圧巻ですね……」


 ゆっくりとこの武定城を目指している、崔の軍勢の姿が見えた。


「将軍……とにかく、今からお伝えする方法で、少なくとも二か月は持ちこたえられるはずです」


 俺はこの二十日間で見出した次善策を将軍に告げると。


「そ、そうか! 二か月も持ちこたえれば、冬を迎える前に崔も引き返すはず! よくやったぞ、子孝!」


 そう言って将軍は手放しで俺を褒めてくれた。

 だけど……それじゃ駄目なんだ。


 俺の【模擬戦】で見た結果は、二か月持ちこたえても崔は一切引き返さずにさらに攻撃を続け、そして……この武定が陥落する結末しかなかった。


「は、はは……あとは、もう少し情報を補強して、さらなる策を見つけてみせますよ」


 俺は精一杯の強がりで、胸を強く叩きながら将軍にそう告げる。


「……そうか」


 なのに将軍から返ってきたのは、その悲し気な表情だった。

 あー……やっぱり、将軍には嘘を吐いてもお見通し、かあ……。


「で、ですけど、俺が【模擬戦】で想定したのは“郭星和”がこちらに従軍した場合ですから! 普通に考えたら、本隊にいるはずです! だから!」


 こんな言い訳めいたことをわめき散らし、俺は何とかして将軍を励まそうとする。


 だけど。


「子孝……大丈夫、心配するな。この我とてむざむざやられるつもりもない。大体、我は涼最強の“白澤姫”なのだぞ?」


 そう言って、将軍はにこり、と微笑んでみせた。

 俺が責任を感じないようにするために。


「どうやら敵は、ここより五里先のところで陣を構えるみたいですぞ」


 俺と将軍が話をしている中、漢升殿が静かにそう告げたので慌ててそちらへと視線を向けた、その瞬間。


「あ……ああ……!」


 俺の全身から汗が一気に噴き出し、身体が小刻みに震え出した。


「し、子孝!?」


 そんな俺の異変に気づいた将軍が、俺の身体を強く抱き留める。


「ど、どうしたのだ!?」

「ああ……ちくしょう……ちくしょう……!」


 俺がこの戦に賭けた、一縷いちるの望み。

 そんなものをあっさりと打ち壊してしまったのは、俺の眼前に広がる崔の陣の配置だった。


 つまり。


「崔の指揮官は……“郭星和”です……っ!」


 そう……この二十日間、何度も何度も、それこど数えきれないほどの戦を仕掛けても、ただの一度も勝てなかった……ただの一度も将軍を助けることができなかった、その相手。

 その時の陣の配置は、今俺が見ているものと一寸たがわず同じだった。


「そう、か……」


 向こうの軍師の名を聞き、将軍も俺の絶望を理解したのだろう。

 そして、その結末が決して我々が望むものではないことも。


 なのに。


「ふ……ふふ……!」


 将軍は口の端を吊り上げ、獰猛どうもうな笑みを浮かべた。


「面白い! ならば、当代随一とうたわれる軍師の策、この我が食い破ってくれるっっっ!」


 そう叫び、方天画戟ほうてんがげきを高々と掲げた。


「だから子孝! お主はそこで眺めておれ! この我の雄姿を!」

「は、はい!」


 そんな将軍の覇気に、武威に、俺は心を奪われる。

 だけど……本当は、将軍だって分かっていますよね……?


 俺の【模擬戦】が見せる結果は、万に一つも間違いはない・・・・・・、と。


「さあ! 全軍、配置に就け! あの崔の賊共に後悔させてやろうぞ! この武定に手を出したことをな!」

「「「「「おおおおおおおおおおーっっっ!」」」」」


 将軍に応えるかのように、兵士達は武定城を揺るがすほどの声で叫んだ。


「さて……俺も、二か月……いや、一か月以内に必勝の策を見つけてみせますよ! だから……それまでは……!」

「子孝……ああ、任せろ!」


 俺は将軍の手を握りしめて懇願すると、将軍は力強く頷いてくれた。


 そうとなったら、残された時間はもうない。

 俺は自分の執務室へと戻り、腰を下ろす。


「今度こそ……今度こそは……!」


 今まで一度も神というものを信じたことがない俺が、初めて祈る。

 頼む神よ! 俺の身体はどうなったっていい! だから……だからせめて、将軍を救うための策を、この俺に授けてくれ!


「行くぞ! 【模擬戦】!」


 崔との戦が始まる中、俺は頭の中に展開した盤面へと再び潜った。

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