第444話 鎮火

 今日は水曜日。僕は今、リチャード先生の授業中。今日も彼は、香水なのかボディクリームなのか分からない、女の人が好きそうないい匂いをさせている。


「どう? ここまでで分からないところはあるかな?」


 さわやかでかっこいい先生のその言葉に対し、僕はあの事実を突きつけると決めていた。


「先生って、お母様のことがそんなに好きなんですか?」


「んん?」


「先生、お母様とキスしてましたね」


「ちょっと、どうしたのっ?」


 完全に動揺している。笑顔が一瞬で別の種類のものになった。誤魔化そうとしている。そうはさせない。僕はこの目で見たんだ。


「先生はお母様とキスをするくらい好きってことですか?」


「こら。今は授業中だよ。余計な話はしない!」


「余計じゃないです。メルデス家の問題です。お父様が知ったらどうなるか。離婚にならないか僕はとても心配なんです」


 リチャード先生の顔色が悪い。キスのことはずっと黙っていようと思っていた。なのに止められない。それには理由がある。


 この前ビスキュートの家に行って、虐待の事実を掴もうとしたにも関わらず、まったくの的外れ。


 あのとき燃えていた正義の炎が、今も僕の心の奥でくすぶったまま消えない。この炎でなにかを燃やさないと、胸の熱さと苦しさは消えない。リチャード先生、あなたがいてくれて本当によかった。


「で、でも、あれは……」


「先生がお母様のことを本当に好きなら、いいんだと思います」


「えっ?」


「人が人を好きになるのは仕方がない。そう思いませんか?」


「ど、どういう……」


「恋って、隕石が衝突するみたいなものですよね」


「隕石?」


「はい。甘い甘い、ポップキャンディーの味がするんです」


「ポップキャンディー? アルバート、君はなにを言って……」


「僕は日曜日、大事な用があります。その日、先生は体調を崩して下さい」


「えっ?」


「その日の授業は急遽中止になる。そういうことです」


「な、なにを言って……」


「僕はいつでも先生とお母様のキスのことを、お父様に報告できます」


「そ、それはっ!」


「日曜日、ここには来ないで下さい。そうすれば僕は秘密を守ります」


 リチャード先生が大きく息を吐き、額に手を当てた。


「なるほどね、分かったよ。僕は日曜日、体調を崩してここには来ない。これでいいかい?」


「ありがとうございます。このことはお母様には話さないで下さい。よろしくお願いします」


「OK。いま本気で8歳の君を敵に回したくないって思っているよ」


「敵だなんて。単なる交渉です」


 こうして僕は日曜日のフリータイムを手に入れることに成功した。僕の中でくすぶっていたクリムゾンレッドの炎は、こうして鎮火された。

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