第433話 ビスキュートの数式

 今日僕は学校へ行く。授業はとても退屈なものだけど、集団生活の中で得るものはたくさんある。それらは僕の輝く未来のために絶対に必要だと思っている。


 人格形成が未熟なクラスメイトが大多数。ろくに字も書けないバカ、計算ができないバカ、マウントを取るバカ、いじめをするバカ、自分をバカと思っていないバカ。僕の圧倒的な発言力で、そいつらを牛耳ることもできなくはない。


 でも、それでは面白くない。僕はおおいに観察しているのさ。未熟な人間関係の中にもいっちょうまえに生じる様々なフリクション。それと同時に自然発生する愚かなヒエラルキー。


 この教室という名の小さな社会の中で、いかに利を得る立ちいふるまいができるか。敵を作らないすべを身につけられるか。求心力を発揮できるか。それが大事なんだ。


 僕は選ばれた人間。上に立つ人間だ。ゆえにバカを見抜く力も身につけなくてはいけない。僕の下で働く人間は、もちろん優秀でなければ困る。その点ここには腐るほどバカのサンプルがいる。いい勉強になる。僕は本当にバカが大嫌いだ。


 今日もバカの中で自分を保ち、発揮し、研磨する事ができた。ストレス耐性もだいぶ身についてきた。人間、楽な道ばかりを歩んではいけない。著しく成長速度が落ちるからだ。つくづくそう思う。


「さようなら」


 授業を終え、僕は静かに教室を出た。アルバート・メルデスは今日も成長できたぞ。一定の満足感とともに廊下を歩く。僕はこの時間が好きだ。仕事帰りの開放感もこんな感じなのかな。


 そんな気持ちをかみしめていると、特別支援学級のドアが開き、ひとりの女の子がひょっこり顔をだした。


「ねえ、ねえ、ちょっと来てよっ!」


「な、なにっ? 僕はもう帰ろうと思って……」


「いいから。早くーっ!」


 特別支援のバカに捕まってしまった。しかたがない。につきあってやるか。バカは僕の手をつかんで教室の中へ引っぱりいれると、くだらない出題をしてきた。


「1+1って、いーくつだ?」


 教室には僕と女の子のふたりきり。机の上には算数の教科書が無造作に広げられている。らくがきが目立つ。


「2じゃないのかな。正解?」


 僕は笑顔で優しく答えた。


「やっぱりみんなそう言うね」


「それが答えだからね。しょうがないよ。じゃあ、僕は帰るね」


「1+1は0」


 僕は耳を疑った。いや、その子の答えに若干の興奮をおぼえた。一瞬で僕はその子に興味をもった。


「君、何年生なの?」


「1年生!」


「名前は?」


「ビスキュート!」


「それはお菓子じゃないか!」


 ビスキュートと名乗った女の子は、ポケットからお菓子のビスキュートを2枚とりだした。


「1+1はー! ぜろーっ!」


 そう言って女の子はビスキュートを2枚口の中に放りこんだ。そりゃ、食べればなくなるよ。まったく。


 でも僕は学校に来て、はじめて楽しいと思った。1+1が2になるためには、実はそれなりの条件が必要だ。時空間や時間の変化。それらを考慮する必要がある。まあそんなことをこの子が考えてるとは到底思えないけど。


「1+1は0。それでいいと思うよ。楽しかったよ。じゃあね!」


 その子は口の中のビスキュートをあわてて飲みこんで僕に言った。


「お兄ちゃん! お名前は?」


「僕は、アルバート・メルデス」


 この出会いが、僕の人生の歯車を狂わせることになる。


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