第415話 エルリッヒの能力

 ドリーム・マニュピレーションを巧妙に操り、エミリーを死に至らしめたミロッカ。そんな彼女の特殊能力の秘密を知ったエルリッヒは、唐突に自分の能力についても語ると言い出した。



 ゴゴゴゴゴゴ……




「ちなみに君は、人間のがなにか知っているか?」


『なに? 素粒子そりゅうしとか言いたいわけ? 超だるいんだけど』


「正解。では、素粒子には重さがないことも知っているかな?」


『そんなの、誰でも知ってる』


「その素粒子と原子についても、君は説明ができるかい?」


『まあ、なんとなくだけど』


「分かりやすく例えるなら、フットボールのプレイヤーが素粒子。だだっ広いグラウンドが、我々を構成する原子。そんなところだ」


『人体は重さのない素粒子がスカスカの空間で動き回っている集合体。そういうことが言いたいわけ?」


「君、話が通じるじゃないか」


 ミロッカはこの男の秘密を少しずつ捉えつつあった。


『その理屈でいくと、あんただけじゃなくて、誰もがスカスカじゃないとおかしいよね?』


「にもかかわらず、なぜ、人は人と触れ合えるのか。それは原子核の周りを動き回る電子が互いに反発するからだ」


『電子の反発? 反発するから触れ合えるってのも、不思議な感じだね』


 エルリッヒは軽く広げた右手を静かに見つめる。


「僕はその電子を操ることができるんだ。故に、君の攻撃は僕をすり抜ける。理解してくれたかな?」


『きっしょーっ!』


「……言葉は選んでもらいたいがね」


 ミロッカは得体の知れない怪物との闘いに挑む覚悟を決め、全身の戦闘に関する意識レベルを一気にMAXに引き上げる。


『はああああぁぁっ!!』


 シュゴオオオオッ!!


「君はどこまでエナジーを高めることができるんだ? なかなかの脅威であることは間違いない」


『あんた、まだ余裕あるね。私には絶対に負けないって思ってるでしょ?』


「それは、そうだね」


『あんたが私に攻撃を当てるには電子を発生させなくちゃいけない。その隙を私が逃すとでも思う?』


 ミロッカの眼が、獰猛さと狂気に満ちた鋭い牙のような光を放つ。


 エルリッヒはそんな狂った猛獣を目の前にしても、全く慌てる素振りを見せはしない。再びしゃがみ込むと、エミリーの亡骸の右の人差し指を引きちぎり、大事に胸ポケットにしまった。


『あんた、なかなかいい趣味してんね。なにに使う気? きっしょ!』


 エルリッヒは表情を変えることなく立ち上がると、ずれた眼鏡を薬指で直し、さながら、部下に命令する上司の口調で言った。


「悪いんだが君にお願いがある。聞いてくれないか?」


『はっ? なによそれ?』


「エミリーさんの遺体を火葬しておいてくれ。このままでは、腐敗が進んで不衛生だからね。よろしく頼む」


『はあっ!?』


 それだけを伝えると、彼は戦場である屋上から何事もなかったかのように、素早く立ち去ろうとした。


『ちょっと! 待ちなっ!』


 ミロッカは威嚇するような声色とテンションでそう発した。

 

 つもりだった。


 実際は無音。全く声は出ない。出せなかったのだ。喉元に恐怖に似た冷たさが突き刺さり、声帯を震わせることができなかった。


 人間は未知のものに接すると恐怖を感じるようにプログラムされている。それは自己防衛の為に必要な本能。


 例に漏れず、ミロッカにもそれが起きた。ただそれだけのこと。ただそれだけのことに彼女は戸惑わずにはいられなかった。


『この私が、ヤヴァいはずのこの私が、こんなに普通だったなんて。情けない……』


 その蚊の羽音ほどに小さく震える声を、エルリッヒは聞き逃さなかった。ゆっくりときびすを返した彼の表情は、明らかに屈辱の2文字に染まっていた。


「僕が今、どんな気分でここを立ち去ろうとしているのか、君には分からないようだね。失礼するよ」


 それだけを言い残し、闇の能力者 ハンス・エルリッヒは去った。彼の中にも、ミロッカと同じ感情が渦を巻いていたのは言うまでもない。




謎の美容外科医エミリー編 完

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