第396話 屋上の女

 ひとまずネル・フィードたちは、エミリービューティークリニック裏の通路へやって来た。その片隅には1台の車椅子がとめてあった。


「マリー、あれだね?」


「うん」


 ネル・フィードは優しく車椅子にマリーを座らせた。


「よいしょっと」


「ゼロさん、ありです♡」


「マリー、体はなんともないかい?」


「え? うん。大丈夫だよ」


「あれだけパウルについて語ったんだ。ピンクローザさんの時のように消されてしまわないか心配だったんだ」


 それを聞いたマリーは、車椅子のストッパーを解除しながらあっけらかんと答えた。


「あの人は確か二重人格で、ダークソウルが完全に定着しなかったんだよ。だからパウル様もそれなりの処置を施してたんだと思う」


「すべてお見通しだった、というわけか」


「それでもピンクローザって人の鬱積うっせきしたパワーと優れた頭脳は、闇の能力者にする価値があったんだって」


「パウルが言ってたのかい?」


「ううん。メルデス神父だよ」


「メルデス神父か……」


 ネル・フィードは、彼の目の輝きでその異常さに気づき、早い段階で闇の能力者候補としてピックアップしていた。


 しかし、モライザ教の信徒であるアイリッサにとって、敬虔なる神父の裏の顔はかなりショックな事実だったに違いない。ネル・フィードはチラリとアイリッサの表情をうかがう。


「なんですか? ネルさん」


「メルデス神父が闇の能力者だと知って、モライザ信徒のアイリッサさんは、どんな心境なのかと思って」


 アイリッサはなにも気にする素振りも見せず、マリーの車椅子を押し始めた。


「さっ、いきましょう!」


「やったー! お姉たまが押してくれるんだー♡ わーい!」


「そうですね。いきましょう」

(さほど気にしてないのかな?)


 3人は薔薇従事団の前を通り過ぎ、再びメイドカフェ『peach Cream』のある雑居ビルへと入って行く。


はchiepinさんにもう1回会いにお屋敷に帰らなくてもいいんですか?」


「ネルフィーはやめて下さい。さっ、いきますよ!」


 ネル・フィードはアイリッサと代わり、車椅子を軽く持ち上げながら階段をのぼっていった。


 ガチャ


 来た時に、ダークマターで鍵を壊したドアを開け、ビルの屋上に出た。人の気配はない。


「まずは、マリーを自宅まで送り届けましょう。家はどこなんだい?」


「え? えーと……」


 マリーの顔は明らかに帰りたくなさそうだった。その時、アイリッサがあることに気づいた。


「ネルさん、臭う!」


「な、なにがですか?」

( 俺!? 臭いのか!?)


 アイリッサの顔色はたちまち悪くなり、変な汗までかきだした。


「こ、こんな臭いは初めて……なんなのこれ?」


「悪魔の臭いですか!?」


 ネル・フィードは慌てて辺りを見回した。雑居ビルの屋上、人はいないと思っていた。そう思い込んでいた。しかし、それは完全なる油断だった。


 貯水槽の上に、その女はいた。


「だ、誰だ!?」


 鮮やかなブロンドヘアーを風になびかせ、気品ただよう花柄の真っ赤なワンピースの上に、威厳とプライドの白衣。


 20デニールのストッキングに包まれた官能的な美脚をクロスし、ティファニーのサングラスの奥の瞳で、3人を優雅に見下ろす。


 その女を、マリーは知っていた。


「エミリー・ルルーだ……!」


「エミリー? さっきの?」


「私、ネットでよく見てたから間違いない。あのクリニックの院長だよ!」


 エミリーはサングラスを外し、スッと白衣の胸ポケットに入れた。


「お嬢さんの言う通り、私はエミリービューティークリニックの院長。誰よりも美しいエミリー・ルルー」


 アイリッサの反応を見る限り、この女はただの人間ではない。ネル・フィードは警戒のレベルを引き上げ、質問を投げかけた。


「ビューティークリニックの院長が、こんなところでなにをやっているんですか?」


「さっき、看護師から外に怪しい人物がいたとの連絡を受けて、院長として確認しに来たんです」


「わざわざこんなとこまでですか?」


「あなたたちこそ、こんな屋上にいるのは、なぁぜ? なぁぜ?」


「それは……」


 エミリーが足を組み直した。


「私は知っているのよ」


「な、なにをですか?」


「そこの車椅子のお嬢さん。闇の能力者よね? 確か『エルフリーナ』だったかしら?」


「なぜそれを!?」

 

 スタッ!


 エミリーは貯水槽から飛び降り、にっこり微笑んだ。


「パウル様の邪魔者である『能力者狩り』を殺せない役立たずには、私が的確な審判を下してあげないといけない。そう思ったんです」

 

「パウルの手下か! 審判だと?」


「できそこないの闇の能力者、エルフリーナちゃんは……死刑確定ですよ」


 突如として現れた謎の美容外科医エミリー。3人はこの事態を無事に脱することができるのか?

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