第355話 地獄の演説
思い返せば母の笑顔はどれも張り付けたような笑顔だった。
母は父と離婚してから今まで、ずっと耐えてきたんだ。労働に、そして私の介護に。
でも、私は知っている。それは全て自業自得だという事を。
母は不倫の末に妊娠。そして産んだ子供を父との間の子として5年間も騙し、養育させ続けたのだから。
私が言うのもなんだけど、当然の報い、受けるべき罰なんだと思う。
しかし、そんな正論が今の母に通用するはずはない。今、母が欲しているのはただひとつ。
『完全なる解放』
「マリー。あなたは絶対に結婚なんてしてはいけないわ。ましてや子供を産むなんて以ての外よ」
シャキイ……!
母がキッチンへ行き、包丁を手に取った。
「や、や、やめてっ、お母さんっ!」
「はあ……子供は産まないに限るのよ。障害児だったらそれはとても面倒臭い事になるわ」
「め、面倒臭いっ?」
「さらにっ! 産んだ子供が将来 殺人犯になる可能性だってあるわ。最悪、親を殺す子供だっているじゃない?」
「そ、そんなの……」
「現実を見なさい。子供を残してはいけないの。明るい未来の為にもっ!」
母の顔は冗談を言っている顔ではなかった。
「あ、あわ……」
(言ってる事がメチャクチャだ……く、狂ってるッ!)
「飲酒運転はいけなーい! 窃盗はいけなーい! 子どもを産んではいけなーいッ!! あっはははッ!」
母はクルクル踊るように回り出した。そして、急にピタリと止まった。笑顔が消えた母は完全なる無表情で立ち尽くした。
「た、助け……てくださ……」
震えながらそう言う私を一瞬見てから、真顔の母はキッチンのテーブルの上に立ち上がり、さらに狂った事を言い始めた。
「そっか。SEXがいけないんだわ。SEXを法律で禁止しましょう。うん、お母さん政治家になるわね!」
母はテーブルの上で包丁をマイクの様に持ち、演説を始めた。
「みなさんっ! SEXは絶対にしてはいけませんッ! 子供なんて絶対に産んではいけないのですッ!」
「はあっ、はあっ!」
(い、今のうちに逃げなきゃっ!)
私はそろりそろりと車椅子をバックさせ、玄関へ続く廊下まで出た。
「産んだ子供が天才やロックスターになるとでも思っているのですか? いーですかっ? あなたの子供はですね! レイプ犯か殺人犯にしかなりませんよー! あっはははッ!」
「はあ……はあ……」
(こわいよぉ! 殺されたくないっ!)
「あとっ! 障害を持って生まれてくるかも知れませんよっ! 体が動かせない! まともに喋る事も読み書きもできない! そんな子供が可愛いですか? 本気で愛せますかっ?」
「んん、はあっ!」
(よしっ、バレてない! 一気に玄関まで行くッ!)
「はいっ! その通りっ! 障害児なんて愛せませんよッ! 健康で可愛い将来有望な子が可愛いに決まってるじゃないですかっ! 障害児を持つ親たちは強がって我が子を可愛いと言っているだけなんですよっ! あっはははッ!」
「はあっ! はあっ!」
(わ、私の事を言ってるッ? 私の事なんて可愛くなかったんだッ! お母さんッ! なんでッ!?)
私は玄関までやって来た。外に出て助けを求めるっ! もうあの人とは暮らせないっ! 命が危ないッ!
ガチャ!
私が玄関のドアの開けた瞬間だったッ! 包丁を持った母が廊下を駆けてきたッ!
ダンッ! ダンッ! ダンッ!
「おいっ! どこに行くんだあっ! クソガキィッ! お前は私の汚点なんだよッ! 車椅子なんぞでうろちょろしやがってッ! この汚物があっ!」
「う、うわああああーんッ!!」
私は泣きながら車椅子を必死で漕いで家から飛び出したッ!
ガチャンッ!
室内用の車椅子で外に出た私は、あっさりバランスを崩し転んでしまった。
「お前さえいなければッ! あの男とSEXさえしなければッ! 私は幸せな人生だったのにいッ! 畜生ッ!」
『SEXさえしなければ』
その言葉が私の耳にこびり付いた。
たった1回のSEXが人生をボロボロにしてしまう。そんな事が現実にあるのだと、幼いながらに私はそう理解した。そして私は、その産物。
もう私は震えていなかった。
死を覚悟したんだ。
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