第354話 my mother

 私は1日の授業を終え、帰宅する為スクールバスに乗りこんだ。車椅子でもスムーズに乗降できる素晴らしいバス。私は、本当に環境に恵まれている。つくづくそう思った。


 プシュー!


「ありがとうございましたー!」


 自宅近くのバス停で降ろしてもらい、そこからは車椅子で自宅まで数分。帰宅時間は決まっているので、いつも祖母が玄関の外に出て私を待ってくれているんだ。


「あれ?」


 いつもなら、玄関の外に出て、私を出迎えてくれているはずの祖母が、その日はいなかった。私は、嫌な予感がして車椅子を漕ぐスピードが自然と上がった。


「おばあちゃん、倒れてたりしないよね?」


 でも、そんな不安は一瞬で消えた。


 ガチャリ


 母が、玄関を開けて出てきたからだ。


「マリー! おかえりっ!」


「お母さんっ! あれ? 今日って仕事終わるの早かったの?」


「うん! 今日は記念日だから早く終わらせてもらったのよっ!」


「そうなんだっ!」

(記念日? なんのだっけ?)


 私は母に抱えられ、室内用の車椅子に乗り換えた。


「マリー、リビングに来てっ! 早く早くっ!」


 今日の母は少しテンションが高い。私は違和感と共にそう感じた。膨らみかけの胸の奥に、嫌な締め付けを感じていた。


 勘違いであって欲しい。そう思いながらリビングへの廊下を進む。母は偉大な人だ。女手ひとつで障害を持つ私を育ててくれた。


 幼いながらに尊敬する人、それは母だった。




















 母……だった。















「マリー! お母さんね、おばあちゃんを殺したのっ! ほらみてっ!」


 祖母が頭から血を流して死んでいた。頭蓋骨が思い切り陥没して、顔面も変形していた。なにで、どれだけの力を込めて殴りつければああなるのだろう。


 鳥肌が全身を包む。冷や汗が噴き出す。頭痛と吐き気が同時に襲う。世界が歪み、一変する。


 幸せなんて一瞬で崩壊する。


 そうだ。一瞬で羽をもがれ、地面を歩くしかなかったあの蝶たちが見ていた景色は『これ』だったのかも知れない。


 世界に確実なものがあるとするならば、それは『残酷』なんだろう。


「ねえ、マリー。私は幸せになりたかったの。分かる?」


「え、え? あ、あ……」


「お父さんと離婚してからというもの、私はなーんにも幸せじゃなかったわ……」


「そ、そうなの?」


 一刻も早くこの家から出なくてはいけない。助けを呼ばなくてはいけない。それしか頭の中にはなかった。


「そりゃあそうよっ! 娘は急に障害者になっちゃうしっ! 働いても働いても金はどんどん出ていくしっ! おしゃれもできないっ! 男もできないっ!」


「お、お母さん……?」


「私は働きたくなんてないのっ! 労働なんてクソ喰らえなのっ! 旦那に多少偉そうにされたとしても、働かずに生活していたかったのっ!」


 母は怒りながら笑顔だった。


「あ、あわ……」


 体が震え出した。忘れていたかのように恐怖が込み上げてくる。尊敬していたあの母は……誰でもなかった。

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