第292話 温かい時間
ゴクリ
ゴクリ
僕とエルザさんは暗くなり出した外を眺めながら、レッドブルーを飲み干した。
「私ね、ほぼ毎日この自販機で買って帰るんだぁ。レッドブルー♡」
「エルザさんはそんなにお疲れなんですか?」
「翼を授ける〜ってやつ? 帰りは飛んで帰りたいなぁって思うわけ」
「エルザさん、エナジードリンクは仕事前に飲んだ方がいいと思いますよ」
「え? 嫌だ。絶対に仕事終わりだよ。レッドブルーは」
その後、エルザさんの話を僕はたくさん聞いた。犬が好きなこと、嘘が嫌いなこと、お気に入りのサンドウィッチのお店のこと、香水はつけない派だってこと、最近、彼氏と別れたってこと。
どんな話をする時もエルザさんはとびっきりの笑顔だ。彼女は大して顔がかわいいわけではない。体型も太めだし、背も低い。
でも、すごく優しいんだ。心が落ち着く。僕は笑顔が素敵なこの人が、好きだ。
翌日。
「エルザー! これ、コピー!」
「はーい!」
「エルザ、そこ! ゴミ落ちてる」
「はーい!」
「エルザ! あれ持って来て」
「はーい!」
僕は自分のストレスに手一杯で今まで気づいていなかったですよ。あなたは優しすぎです。
あなただって周りの人間と同じぐらいの仕事量をこなしている。なのに他の奴らは、ちょっとした隙を突いて自分でやればいいことを、いちいちあなたにやらせている。
ここにいる奴らは、優しい人間を舐めてかかるクズだ。僕は優しい人間になろうと努力をしてきたが、ここでは仇になるようだ。
プシュ!
「乾杯。お疲れ、ホラーバッハ君」
「お疲れ様です」
あの日から、仕事終わりに自販機横の長椅子に座り、レッドブルーで乾杯して1日の疲れを癒すのが定番になった。
「はあ、今日も肩凝ったなりよ」
「あのバカ、今日もエルザさんに余計な仕事押し付けてなかったですか?」
「ホラーバッハ君。バカとか言わないの。あの人はあの人で大変なんだよ」
「でも、僕はあんなの許せない」
「ありがとっ。最近はホラーバッハ君がフォローしてくれるから助かってるなりよ」
「でも、僕はエルザさんの優しさにつけ込む奴らが許せんのです。あいつら楽ばっかしてるじゃないですか……」
「いーんだってば。私、仕事嫌いじゃないし。ホラーバッハ君もさ、一端の社会人になりなさいな」
「一端の社会人?」
「そそ。見習う人さえ間違えなければ大丈夫。スーツも鞄もすごい高いのだしね。見た目は一端。あはははっ!」
「これは親がうるさくて。それより僕はエルザさんしか見習う人はいません。あとの奴らは反面教師にもならないクズばかりです」
「ほら、またクズとか言う。ホラーバッハ君は礼儀正しい人なのかやんちゃな人なのかよく分からないなりね」
「僕は一端の社会人になろうと努力をしている人間ですよ」
「そーなんだ。よしよし、偉い偉い。一端の社会人になるんだじょ。よしよしっ♡」
エルザさんはクリームパンみたいなかわいい手で僕の頭を軽く撫でた。心の中にある棘が抜け落ちる。そんな温かい時間だった。
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